パトの軌跡

パトリック ボンマリート
PATRICK BOMMARITO

岩室紳也がHIV/AIDSに向き合い続ける中で、同士だったパト(私にとっての、みんなにとっての愛称)。
患者でもありましたが、どうHIV/AIDSと向き合うかを一緒に考え続けたパートナーでした。
その彼が残した足跡の一部だけでも紹介したいと思います。

略歴
アメリカ国籍
1965年10月12日 フロリダ生れ
1974年 母と一緒にスペインで暮らす
1982年 横田基地に勤務していた父を頼って来日
    東京在住。「ギャルソンパブ」でダンサーとして働く。
1986年 ニューヨークに渡り、クラブDJとして活躍
1989年4月 HIV感染と判明。
1993年1月 仕事のため来日
   3月 Fridayでのカミングアウト 
   5月 ニューメキシコ大学入学
   7月 AIDSシンポジウム出席のため来日
   10月 東京都港区のAIDSイベントのため来日

1994年1月29日 ハマラジで岩室と初の競演
この時、岩室紳也は握手でパニックに。
その事件がその後の医者としての姿勢に大きな影響を!


1994年8月AIDS文化フォーラム in 横浜にて


2012年12月3日 山梨大学での最後の共演


2013年3月15日 逝去

追悼式


週刊SPA!の連載
10号単位でpdf化しています(1つが10Mb程度です)。
欠番もありますので、もしお持ちの方がいらっしゃいましたらご提供ください。
  1-  11-  21-  31-  41-  51-  61-  71-  81-  91- 
101- 111- 121- 131- 141- 151- 161- 171- 181- 191- 
201- 211- 221- 231- 241- 251- 261- 271- 281- 291- 
301- 311- 321- 331- 341- 351- 361- 371- 381- 391- 
401- 411- 421- 431- 441-445

連載の中でのパトの治療と岩室との関り
・AZTしかなく、検査をするしかなかった時代は55号に。
・インジナビルという副作用がひどい薬の副作用に苦しめられるパトは146号、147号に。
・治療が今ほど確立されていない頃のパトの思いは156号に。
・薬を続けるストレスもあり、薬をやめてみたパトは329号に。
・治療方法が確立された2001年のパトは361号に。

連載終了後の特別掲載
2001年夏 2002年秋 2003年冬 2004年春 2004年冬 

パトの追悼号