紳也特急 115

~今月のテーマ『正常と異常の境目』~

●『人はやはり、だれかとつながってこそ人なのだと思う。』
○『病気なのか状態なのか』
●『正常と異常』
○『こころを病む』
●『大麻と社会規範』
○『つながるために』

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●『人はやはり、だれかとつながってこそ人なのだと思う。』
 「つながる」という言葉に敏感になっているとき、「ゆっくりていねいにつながりたい」というコピーを見て思わずAmazonで本を注文していました。
 発達障害当事者研究 ゆっくりていねいにつながりたい 綾屋紗月・熊谷晋一郎 医学書院 2100円。
 著者の綾屋紗月さんはアスペルガー症候群と診断された当事者の方です。熊谷晋一郎さんは脳性まひの当事者で小児科医です。このお二人が既成概念にとらわれることなく自分たちのこころとからだの葛藤を丁寧に振り返った当事者研究です。私にとってはすごく興味深く、考えさせられる内容であり、多くの皆様に紹介したいと思いましたので敢えて内容には触れません。ただ、その中に綾屋さんのことば「人はやはり、だれかとつながってこそ人なのだと思う」というのがありました。つながる上で多くの障害を抱えておられる二人ですが、共感することが多く、あらためて自分自身を見つめなおす時間もいただけたことに感謝したいと思います。
 「障害」や「病気」という枠組みで人を見る、「障害者」や「病人」という枠組みでその人と向き合うことが本当に正しいのでしょうか。医学教育では「病気を診るのではなく、人を診る」ことの大切さが強調されていますが、私自身もそのことを忘れがちです。そこで今月のテーマを「正常と異常の境目」としました。

『正常と異常の境目』

○『病気なのか状態なのか』
 性感染症という考え方はそもそもクラミジアやHIVを持っていることがよくないこと、病的なことという発想があります。そして感染している人たちを病的な人、病人としてクラミジア感染者数やHIV感染者数という形で扱う考え方が一般的です。ところが「HPVは性感染であって性感染症ではない」と教えてくれた先生が「HPV感染者数と学会等で報告している人がいるが、正確にはHPV検出数とすべきだ」とおっしゃっていました。正直なところ、その意図がすぐに飲み込めませんでした。HPVに感染していることは事実なのでHPV感染者数という言い方でも問題はないはずと思っていました。
 しかし、ある会議でこころの健康をどのような指標で評価すればいいかという話になった時に「不登校の生徒数」というのはどうかと私が話したところ、「不登校」は学校という環境に適応できない状態ではあるもののそれを「不健康」と決めつけて良いのかという指摘を受けました。確かに大勢の人の状態を「健康」といい、そうではない人たちを「不健康」という発想はおかしいですね。不登校も性感染も一つの状態、その人にとっての通過点ととらえれば、その状態になった人に学び、何が原因でそうなってしまったのか、そうならないためにはどうすればいいのか、あるいはそうなってしまった時にどう対処すればいいのかを考えることが大事なはずです。しかし、実際には不登校や性感染というレッテルを貼ることで解決策を教育関係者や医療関係者にゆだね、責任を本人や家族に背負わせ、結果的には他人事にしています。私自身も「エイズは他人事ではありません」と言いながらも、病気は医療関係者が扱うべき問題という社会の意識に対して、病気があってもそれはその人の状態の一部であって、大事なのはその人が一番生きやすい支援環境が整っているか否かだということを積極的に伝えようとしていなかったと反省させられました。

●『正常と異常』
 病気ではない状態を正常と考え、病気を持った状態を異常と考えてしまうのはどうしてでしょうか。医者が病気や病人という考え方をとりたがるのは、「病気」という診断があるとこの人は医師が対処しなければならない人(=患者さん)というお墨付きをもらったことになります。しかし、医者が治せる病気はいざ知らず、治せない病気までを医者に押し付けた結果、患者さんやその家族がつらい思いをしているのだとしたらどうすればいいのでしょうか。
 社会学者の方に教わったのは、健康における正常(健康)と異常(病気)という考え方は「社会」を考える時の社会規範の考え方に似ているとのことでした。社会規範を受け入れた社会をつくっていかないと、みんなが好き勝手なことを言ったり、行ったりして混乱が起こってきます。そのため、社会規範、社会のルールを決め、それにのっとって秩序を守ることで大勢の人が安心して暮らせる社会をつくっているとのことでした。確かに社会規範は大切ですが、社会規範という考え方も病気を診て人を診ずということに通じているようです。結婚制度を異性愛者には認めても同性愛者には認めない社会規範も人を、マイノリティーを見ていない、見ないことで大多数の方は自分の中での葛藤をせずにすんでいます。

○『こころを病む』
 「こころを病むとはその人のものごとの優先順位が周囲の人の常識や思慮分別から大きくかけ離れてしまうこと」という春日武彦先生の言葉をよく講演会で紹介させてもらっています。よく考えてみると、この言葉はとらえようによってはマイノリティー排除の発想とも言えますが、こころが病んでいることを「異常」ではなく、「大きくかけ離れているだけ」ととらえる必要性を教えてくれている言葉でもあります。
 こころが病んでいる人は何に困るのでしょうか。周囲の人の常識や思慮分別から大きくかけ離れていると人とつながることもできません。つながれなかった結果、いろんな意味でつらいのだとこころを病んだ人から教えてもらいました。こころの病を克服するために薬や精神科での専門的な治療が必要な人もいますが、多くの人にとって大事なのはいろんな人とつながる中で、かけ離れている状態を少しずつ修正していくことです。それも本人が修正するだけではなく、周りの環境、周りの人も少しずつでも修正していくことが求められています。
 先日、「死にたくなって強くなる」というイベントに出させてもらった時に、インドによく行かれている方が、日本では排便の後、トイレットペーパーでおしりをふくのが常識だが、飛行機で8時間飛んだだけで、おしりを自分の手でふくのが常識になっている。常識とはその地域の都合や事情で変わるものだとおっしゃっていました。なるほど。日本で公衆トイレに入り、おしりを左手でふいた後に手を洗っている人がいたらこころが病んでいると思うでしょうが、よく考えれば「エコ」ですね。

●『大麻と社会規範』
 社会規範に反することをした人は「犯罪者」という扱いになり、その人はこころが病んでいる、あるいはそもそも社会が病んでいるという見方にはなりにくいものです。大学内での大麻汚染も、大麻はいけないものという社会規範を押し付けると、規範に反した人は罰を受けるという意味で退学というのも一つの対処法なのかもしれません。しかし、社会規範を押し付けても、どんなに正論を教えても様々な要因から一定割合の人が社会規範に反することをすると理解されれば対処法は変わってくるのではないでしょうか。
 大学生の大麻摘発が続く中、大学はもちろんのこと、中学や高校でも「薬物は違法です。使い続けると悲惨な状態になります」というダメ絶対的手法の講演会が繰り返されています。しかし、ダメ絶対は純潔教育と同じように一つの社会規範、あるいは病的な状態にならないための正解の押し付けでしかありません。もちろんそれも大事ですが、そもそも社会規範を確立し、それを押し付けることで社会が成り立っているとすれば、そのことは社会規範を守れない人がいることを認めていることとも言えます。

○『つながるために』
 綾屋紗月さんの言葉を借りると人はやはり、だれかとつながって、つながれてこそ人なのだとすると、つながることがつらい人にとっても、やはり最終的にはつながれるようになることが目標になります。しかし、人とつながれない、つながることが難しいアスペルガー症候群という状態の方に、「病気」や「障害」というレッテルを貼ることでかえってつながることへの障壁を作っているように思いました。アスペルガー症候群という診断がその人の周りの人にとって、アスペルガー症候群を正確に理解し、その人と上手につながるためのノウハウ、コツを教えてもらうきっかけになるのであればいいのでしょうが、診断の結果、アスペルガー症候群の人はつながりにくい人、つながれない人という言い訳を周りの人に与えているとすれば本末転倒です。 大麻に手を出してしまった人は、大麻に手を出さない強い意志を持った人や自分を止めてくれる人とつながっていなかったことが問題です。今大麻をしていない人は、大麻につなげてくれる人とつながっていないだけのことかもしれません。
 正常と異常、健常と障害、健康と病気、社会規範が守れる人と守れない人という区分があることで一人ひとりがよりよくつながることができるのであればいいのですが、その区分が異常や障害、病気や規範を守れない人を区別して、切り捨て、他人事としてしまい、一人ひとりが考えることを放棄するために使われているとすれば悲しいことです。つながるためには正常と異常の境目がなくなること、すべてのことが他人事でなくなることなのでしょうね。でもこれが難しい。

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