紳也特急 210

~今月のテーマ『幸せ』~

●『大人の感想』
○『岩室紳也が撮影した富士山の写真が雑誌の表紙に』
●『寄稿文』
○『幸せなひとりぼっち』
●『自殺予防』
○『中年男の難しさ』
●『役割の喪失と回復』
○『福祉(幸せ)の果て?』
●『最期の幸せ』

…………………………………………………………………………………………

●『大人の感想』
 岩室先生の富士山のおはなしをお聞きして、私は心がぽっと温かくなりました。特別なことじゃなくても自分の「すき」と思えることを、「楽しい」と思えることを、日々の中で感じられることの幸せ。また、人と人との出会いの時に、そのあたたかなものが伝えられる。特別なことではなくても伝わるかもしれない。それでいいよと言っていただいたようなほっとした気持ちになりました。

 思春期の若者とインターネットに関する研修会で、「岩室紳也が『幸せ』と感じるのは富士山を拝むことができた時」という話をほんの数十秒させていただいたところ、なぜかこの言葉に多くの方が感想を寄せてくださいました。
 「性教育で何を伝えるか」という研修の質問コーナーでも、「岩室先生が『幸せ』と感じる時って何ですか」と聞かれました。その日は飛行機での移動だったので、いつものように富士山が見える側の座席をとっていたらちょうどきれいな富士山を拝むことができたので、「今日も富士山を拝むことができたことです」とお答えしていました。
 なぜこの「幸せ」という言葉が最近、いろんなところで取り上げられるのかはわかりませんが、そんな時に見た映画が「幸せなひとりぼっち」でしたので、今月のテーマを「幸せ」としました。

『幸せ』

○『岩室紳也が撮影した富士山の写真が雑誌の表紙に』
 公益財団法人日本教育会が発行している「日本教育」という機関誌の今年の1月号の表紙に私が撮影した富士山の写真が採用されました。写真を撮るのは好きなのですが、基本的に人に見せたいという思いで撮っているのではありません。Facebookに出会ってから「陸前高田の今」といった写真をアップして情報発信をしたり、富士山を拝めて何となく幸せになっている自分の思いを「今日の富士山」としてアップしたりしてきました。写真を撮ること自体が好きですのでカメラやレンズをいくつも持っていますが、何のために写真を撮っているのかと聞かれると、自分が「きれいだ、いいなと思える写真に出会える喜びを得たいがため」なのでしょうか。そこには「自分のために」というのはあっても、誰かにその写真を見せるため、という思いになったことはありませんでした。雑誌の表紙に採用された時に写真への思いも寄稿させていただいたのですが、いつも思っている「富士山を拝める幸せ」について書いたところ、依頼者の方が予想されていたものではなかったようでした。

●『寄稿文』
 東海道新幹線で関西方面に向かう時は必ず進行方向に向かって右側の、東北新幹線で北上する時は左側の、横浜→東京間を移動する時、晴れていて時間が許せば横須賀線のグリーン車の2階の左側の、飛行機で羽田から南下する時は航空会社のインターネットサイトで、行き先で異なる富士山が見える側の席を確保します。
 どうしてここまで富士山を見ることにこだわるのかと言えば、実際に富士山が見えただけで不思議と元気がもらえるからです。その富士山を写真に収められると、その日の幸せ度が確実にアップしますのでカメラはいつも持ち歩いています。富士山は私にとって元気の源、背中を押してくれる不思議な存在です。
 医者として数多くの生と死を診させていただく中で、一番大事なことは生きている一瞬一瞬をどれだけ堪能できるか、大事にできるかだと気づかされました。今は元気でも明日の保証はどこにもありません。日本は健康づくりブームの真っただ中ですが、健康づくりで一番大事なことを見失わないようにしたいものです。
 世界保健機構(WHO)が掲げる健康の定義の中に日本語訳が難しい“well-being”という言葉があります。「福祉」という言葉もこの“well-being”や“welfare”の訳とされていますが、日本人が福祉という言葉から受けるイメージとは随分異なるのではないでしょうか。その人なりの幸せ、調和がとれた状態と訳すのが適当なのかもしれませんが、実は日本人が一番苦手なのが「幸せづくり」、「幸せを実感すること」なのかなと思ったりします。
 日本人は課題を見つけ、それを解決する発想法が大好きです。しかし、病気にならないための、障がいを抱えないための健康づくりという発想でいると、実は病気や障がいの状態になった時に不幸のどん底に突き落とされてしまいます。
 いろいろあるけど今日は富士山が見られたから幸せ。そう思えるだけで昨日の失敗を、今日の現実を乗り越えられます。もう少し「幸せづくり」を意識した生き方をしたいものです。

○『幸せなひとりぼっち』
 この原稿を書く2日前にこの題名のスウェーデン映画を見ました。この映画は今日的なテーマがいろいろ凝縮されていて、まるで自分がいろんなところでかかわっている仕事への後押し、問題提起、皮肉にも思えました。まだ見ていない、でも見てみたいと思う方は、この後は読まずにまずは見てください。

●『自殺予防』
 妻に先立たれた頑固な男が会社をクビになる。これはまさしく今、私が取り組んでいる「自殺予防」そのものに該当すると思っていたら、実際に映画の中で何度も自殺を試みていました。自殺予防でよく言われる「誰かに相談すればいい」や「早期発見早期対応」といったきれいごとは通用しないのはちょっと考えればわかることですが、日本では未だにそこに焦点を当てた研修会が繰り返されています。しかし、映画の中では近所の、それもとんでもなく主人公に迷惑をかける人たちのお陰で主人公は死に損ねてしまいます。「映画だから」ではなく、自殺予防には地域のつながりが大事と訴えてきた自分の背中を「こうやって防ぐしかないのだ」と押してくれたように思いました。

○『中年男の難しさ』
 男はプライドの生き物で、歳を重ねると頑固になるというのは多くの人が経験から学んでいることです。自治会の会長をしていた主人公がいつしか頑固さ故に友人も離れていくのですが、そのストーリーをスウェーデンの自動車メーカーのSaab派とVolvo派の好みの対立で巧みに描いているところが秀逸でした。車好きで、かつケニアで小学生の時にこの2車があこがれだった自分にとって「このやり取り、わかる、わかる」と思っていました。さらに痛快だったのが、落としどころはドイツ車のAudiのロゴ「0000」をゼロが四つ並んでいて何が面白いと皮肉ったかと思うと、Volvo派の友人がドイツ車のBMWZ3のオープンに乗り換えて呆れられる落としどころでした。ここは何とも言えない「車種で戦いになる男たち」を見る思いでした(わからない方にはすみません)。

●『役割の喪失と回復』
 役割がなくなっていた主人公ですが、気が付けば地域の見回りに近所の若者たちがいつの間にか同行するようになっていました。ゲイの男の子が親にカミングアウトしたら(という私の仕事にも絡むような設定が何よりうれしかったのですが)家を追い出されたので泊めてくれと頼まれたら断れず、また自殺する一人暮らしの環境がなくなります。隣に引っ越してきた移民のアラブ系の家族とは生活習慣等でぶつかるものの、食事の差し入れで元気をもらう一方で、車の運転を教える(自動車学校はないのかとは思いましたが)。気が付けばお互いを支え合っている姿は、まるでいま、移民排斥に動いている、それもこの映画ができた時にはEU離脱も決まっていなかったイギリスのメイ首相や、今や世界中が困っている(?)アメリカのトランプ大統領への皮肉としか思えませんでした。

○『福祉(幸せ)の果て?』
 北欧は福祉の先進地だということはよく知られていますが、主人公の長年の仲間が脳の病気(脳出血?)で倒れ、奥さんが自宅で、一人で介護しているところに福祉施設の職員が行政命令として施設入所を迫っていました。介護が大変でもご主人を一人で面倒を見たいということであればそれでいいのではと思いながら見ていたら、最後は奥さんのためと称して強制収容になりそうな場面でした。そこで地域の新聞記者が、強制収容をしに来た福祉施設の職員に「あなたの施設は赤字のはずなのにとんでもない隠し財産を持っているのを書きますよ」と迫ると、「どこで調べたのだ」と食ってかかる施設の職員に「インターネット」と答えるとすごすごと引き下がっていました。これはまさしくウィキリークス(WikiLeaks)という機密情報が公開されているウェブサイトのことをいっているのでした。
 いろんな困難を抱えていても、いろんなサービスを導入することで人が幸せになれる制度が福祉制度のはずですが、その制度が金儲けの手段になれば、逆に人の幸せを奪うものになりかねないと、医療費や介護費用が高騰し続けている日本に対して警鐘を鳴らしている映画でした。

●『最期の幸せ』
 最後の場面で主人公は持病の心臓が原因で、自宅で亡くなります。日本でも自宅で亡くなりたいと思っている人は多く、映画の中のこととはいえ、ある意味理想的な死に方でした。しかし、それ以上に私が感動したのが、ご遺体の上で、野良だった、そしていつしか主人公の見回りにも同行するようになった猫が、最期では主人公のご遺体の上で見守るように横になっていたことでした。「飼い猫をおいて死ねない」と思って高齢になると動物を飼わなくなる人が多い中で、近所づきあいをしっかりしていれば、誰かが引き取ってくれるというメッセージまで映画に込められていたようでした。
 絆(きずな+ほだし)の大切さを訴えていますが、「岩室がやっていることは間違いではないよ」と背中を押されたような幸せを実感できた映画でした。