岩室が探し続けている正解とは

 コロナ禍と言われる時期が過ぎたにもかかわらず、相変わらずマスクをしている人が少なくありません。そんな中、神奈川県平塚市の特別養護老人ホームで集団感染が起こったとの報道がありました( https://www.yomiuri.co.jp/national/20241211-OYT1T50055/ )。個人的には新型コロナウイルスの感染力や高齢者施設での感染拡大は完璧には防げないと思っています。しかし、「特養では利用者、職員ともに通常はマスクを着用して生活している」と書かれていたので敢えて「その対策で、考え方で感染が防げなかったのであれば対策の問題点を考えるべきではないでしょうか?」という意図でFacebookに書き込みました。書き方に問題があったことは反省ですが、残念ながら議論は深まりませんでした。
 Facebookへの書き込みだけではないですが、議論を、対話を通して岩室紳也は何を求めているのかを改めて考えさせられました。そして自分自身が求めていたことは「当事者一人ひとりの幸せ」だったと気づかせてもらいました。
長年取り組んできたHIV/AIDSですが、HIVに感染している当事者の方は今でも診療拒否に遭っています。なぜだと思いますか。どのような病気になろうが、当事者にとって一番大事なことは、当然の権利として当たり前に医療技術を提供してもらい、自分らしく生きられる環境が与えられることです。新型コロナウイルス感染症は初期の頃はともかく、今ではとりあえず医療にありつける状況にはなっています。しかし、医療にさえありつければ人は幸せではないことは自明の理です。高齢者施設ではマスクは義務化されていますが、本当にそれでいいのでしょうか。コロナ禍前からマスクをする子どもたちが増えていましたが、コロナ禍後(というか今でもコロナ禍だと思っていますが)マスクは個人の自由、権利になり、他者に顔を覚えられることなく年齢を重ねることが本当に幸せなことでしょうか。
 一人ひとりの幸せは本人が決めればいい。実はこのような正解を訴える方が多いのですが本当にそうでしょうか。今更ですが、岩室紳也が求め続けていることは「一人ひとりの幸せ」だと気づかされました。では、なぜそう思うようになったのかは次の会に書かせていただきます。

つづく

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