正解に囚われている人と正解についての議論をする中で面白い気づきをいただきました。生成AI等とのやりとりを含めて「正解の反対」を調べてみると次のような答えにたどり着きました。
「正解の反対は不正解、間違い、誤り、誤答、誤解、別解、反論、デタラメ、嘘」
確かにそうかなとも思いますが、一方で「正義の反対は別の正義」という言葉があります。「別の正義」という考え方は、ある意味どうしてこのように同じ正義のはずなのに別の正義が生まれるのだろうと対話的に考えてのことです。となると「正解の反対は別の正解」なのかなと思ったりしました。
「正解の反対は不正解、間違い、誤り、誤答、誤解、別解、反論、デタラメ、嘘」という言葉に出会った時、ふとこれまでの疑問が紐解けたと思いました。私は新型コロナウイルス対策の問題点を自分なりに考え、発信し続けていますが、これまで多くの専門家に「不正解、間違い、誤り、誤答、誤解、別解、反論、デタラメ、嘘」と否定され続けてきました。もちろん私の視点に理解を示してくれている人たちからは「そうだよね」「正解だね」という反応もいただきました。しかし、考えてみるともっと大事なことは、そもそも岩室がどうしてそのような視点に立ったのか。そして否定する側との対話が成立すればもう少し建設的な、「どうしてそう考えるのか(興味)、ここは理屈が通らない(疑問)、ここはこう考えるべきでは(異論)」などの指摘であれば、次なる議論につながります。しかし、残念ながらそのような指摘を受けたことがありませんでした。こう考えることで「正解の反対」には二つの答えがあると思いました。
「興味・疑問・異論」
「不正解、間違い、誤り、誤答、誤解、別解、反論、デタラメ、嘘」
この思考パターンの違いについてもう少し考えたいと思います。