「全否定」と受け止める理由

正解依存症という考え方に至った理由の一つが、以前から気になっていた「全否定」の感覚でした。このことを児童のこころの病と向き合っている方にお話ししたこともあったのですが、「何ですかそれ?」という反応でした。しかし、いろんな対象に講演をさせてもらい、その感想をいただく中で次のような感想がずっと気になっていました。

自分が否定されたと受け取る

すぐ、全否定と受け止める

自分を少しでも否定されるとどうしようもないほど嫌だった

「正解の反対は?」で書かせていただいたように「正解の反対」には「不正解、間違い、誤り、誤答、誤解、別解、反論、デタラメ、嘘」もあれば「興味、疑問、異論」という対話的な対応もあります。しかし、自分自身も正解依存症の要素があると自ら語っている方から次のようにコメントをもらいました。

正解依存症の人が「不正解・誤答・反論・別解・間違い・誤り・デタラメ・嘘」と言われると「否定」されたと受け止めるのではなく、「全否定」されたと受け止める。

これは、その通りだと思います。というのも、私自身がそうだった(今もたまにある)からです。未だに「0か100か」要は「正解か不正解か」で考える癖がある私は、ちょっとした叱責で自分の全てを否定されたように思う時があります。そういう時は、大抵「完璧」を求めていた時です。

「全否定」と捉える人とそうでない人の違い、育ってきた環境が要因のひとつとしてあると思います。幼い頃から「すごいね、えらいね」と大人の期待に応えて、褒められて、正解しか味わったことがなかった私は、その期待に応えられなかった時、生きてる意味を失いました。

正解依存症になってしまうと、自分以外の正解は受け入れられない、すなわち他の人が言ったことがすべて「否定」に聞こえてしまうようです。このような視点で子育てや相談を考えていかないと、いろんなことが解決しないと思いませんか。

「全否定」にならない理由

ブログ「正解依存症」の目次