コンプライアンスという正解

 一人の芸能人による「重大なコンプライアンス違反が判明したため、無期限の活動休止」という報道をは多くの憶測、議論を呼んでいます。ただ、報道の多くは「何があったのか?」に着目していますが、そもそもここで言うコンプライアンスとは何かを改めて確認してみるとChatGPTは次のように教えてくれました。

コンプライアンスとは、「法令遵守(ほうれいじゅんしゅ)」を中心としつつ、企業や組織が社会的責任や倫理にもとづいて行動すること。
具体的に守ることは
1.法律や条例
 例:労働基準法、独占禁止法、個人情報保護法など
2.業界のルールやガイドライン
 例:医薬品業界の広告規制、金融業界の内部統制
3.企業の社内規定・行動規範
 例:就業規則、ハラスメント防止方針
4.社会的・倫理的責任
 例:人権の尊重、環境への配慮、公正な取引
近年は「法令さえ守ればいい」という狭義の意味ではなく、「社会的要請や倫理観に応える行動」も含めた広い意味で使われることが多い。

 改めてコンプライアンスについて調べて「よかった」と思いつつ「難しい」と思いました。先に書いた「法と文化のどちらが正解?」の続きで考えると、法は一応国民が承認し、全員が所属している組織(?)です。しかし、コンプライアンスというのはあくまでも「企業や組織が社会的責任や倫理に基づいて行動すること」です。もちろん企業や組織にはそこに所属する人を、その人の人権を守ることも重要ですが、逆に企業や組織を守るために責任を誰かに押し付けてしまうということはないのでしょうか。国が定めた法に基づく罰(刑)を終えても日本では社会的制裁が待っている社会です。ましてや企業や組織が定めた規定や行動規範というそれこそ第三者評価を受けていないものに基づいた処分がされるというのは、企業や組織の視点、立場から見れば十分あり得ることではないでしょうが、当事者の人権やそもそもの規定や行動規範の妥当性という観点から見れば直ちに「正しいこと」とは言えないように思ってしまいました。

 さらにコンプライアンスのことを考える上で「社会的要請」と「倫理観」は似ているようで異なる概念だということをまずは整理する必要があります。社会的要請は言葉の通り社会や個人が企業や組織に求めていることで、時には世論という外圧や企業や組織の中の個人の価値観に左右される可能性があります。それに対して倫理というのは本来であれば普遍的、持続的な「善悪」や「正しさ」に基づくもののはずです。

 これからはコンプライアンス違反の事案があった際には、そもそもその企業が掲げるコンプライアンス自体が妥当なものなのかを確認する必要があると思いました。しかし、昨今の報道を見ているとそのような視点がないことに改めて気づきましたので、今回のタイトルを「コンプライアンスという正解」とした次第です。

正解と感情、感覚との齟齬

ブログ「正解依存症」の目次