少し時間が出来たので、というか少しはできないと困るので料理を覚えようと妻に指導を受けながら気づいたことです。1回やっても次に同じことをしようとしてもできない。そんな時「前に言ったでしょ」「どうして覚えられないの」「やる気がないの」と言われてもなぜ覚えられないのかがわかりませんでした。そんな話をある人としていたらその人も記憶することが苦手で自分は発達障害だと言っていました。
「発達障害」の定義はさておき、逆に言うと記憶が得意という人は実際にどれぐらいいるのかなと思ってしまいました。確かに「すごい記憶力だな」と思う人もいますが、「記憶力」というか「記憶」が定着するプロセスは必ずしも「記憶力」ではないと思いました。
自分でも医師国家試験をよくぞ通ったなと思っています。高校時代、記憶力が求められる歴史や生物といった教科が苦手でしたし、医学部に入って気づかされたのが授業の多くは「どれだけ記憶できるか」が試されていました。医師国家試験のための勉強でいろんな医学知識を自分の記憶の中に入れていったプロセスを振り返ると、「この病気にはこの症状や検査結果」ではなく、「ここが壊れてこのような症状や検査結果が出る病気」という覚え方をしていました。だから勉強会の仲間に「どうしてこの病気はこうなるのか」と質問をしても「国試まで後3か月。この病気はこうなると覚えろ」と言われていました。
もちろん当時の私は「成績がいい=記憶力がいい連中」と「記憶力が悪い岩室紳也」の違いは何かを考える発想はありませんでした。その点、ライフワークになったHIV/AIDSもいわゆる先人がいなかったので、かっこよく言えばフロントランナーになれましたし、公衆衛生にも正解はないのでただただいろんな仲間と健康づくりの方向性を模索し続けてきただけのようです。もちろん答えは出ていないのですが、最近考え続けているひきこもり、不登校、自殺、といったトピックスも様々な対策を提案して実施し続けた先人たちとは異なる視点に立つと、まだまだやれること、やらなければならないことが見えてくると思いませんか。
実は「正解を覚えられない」という事実に向き合うことがすごく大事なんだと改めて気づかされています。裏を返すと、どうして正解を覚えられる人と覚えられない人がいるのかという疑問にたどり着きます。先に紹介した「記憶することが苦手で自分は発達障害だ」と言っていた人も料理はいつの間にか自己流で料理を覚えたとのことでした。確かにいろんな経験をしながら、失敗を重ねながら覚えるタイプの人と、マニュアルにしてもらった方が覚えやすいタイプの人がいるのかもしれません。少なくとも私は自己流でいろんなことを覚えるタイプなので、とにかく失敗を含めていろんな経験をさせてもらわないと駄目なようです。
「前に言ったでしょ」
「どうして覚えられないの」
「やる気がないの」
と言ってしまう人は正解依存症だと思いませんか(笑)。すなわち「一回言えば覚えられる」という正解に取りつかれているのです。でも、少なくとも私は一回やっただけでは覚えられないということに気づけたので、「根菜は水から」といった自分のための、次回同じ料理を作るときのためのマニュアルと作成することにしました。要するに、自分が記憶できるためのプロセスを学習できるような対話をしてあげることがその人のためになるようです。そんな悠長なことはやってられない!!! そうですよね。