紳也特急 109号

~今月のテーマ『お互いさま』~

●『失敗講演に学ぶ』
○『誰に対する責任?』
●『受け入れるときはお互いさま』
○『メタボでも個人の責任追及はだめ』
●『曖昧が故に個人を追及』

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●『失敗講演に学ぶ』
 ある講演会で最前列に3歳前後の子どもを連れたお母さんが座られました。おとなしくしていられる子どもさんなのかなと思っていたらとんでもなく、大騒ぎを繰り返し、時には話している私自身が自分の声が届いているのが不安になるくらいでした。時々お母さんに連れ出されてはまた舞い戻ってくるという努力(?)はされていましたが、残念ながらお母さんもほとんど話を聞いていなかったと思うほどでした。主催者は託児室も設けていたようですが、そのお母さんに注意するわけでもありませんでした。こう書いている私も黙っていましたが、平常心ではなかったのか、講演のリズムは乱れ、いつもは時間をきっちり守るのも大幅にオーバーした失敗講演をしてしまいました(反省)。
 子どもたちが騒いでいても許容されている環境はあります。時々時間調整のために立ち寄るマックで子どもたちが騒いで店内を走り回っていてもマックは静かに仕事をする環境だとは思っていないので気にはなりません。マックの戦略や子連れが多いというのがあるのかもしれませんが、そこには客同士の中に「お互いさま」という雰囲気があるように思います。しかし、それなりの高級店で子どもが騒いでいたら客はもちろんのこと、店側も注意すると思います。小学生時代をアフリカのケニアで過ごしましたが、イギリスの植民地だった関係か、ホテルではイギリス流に夕食は大人と子どもは別のダイニングルームでするのがルールになっていて、保護者にとってはそのことが「お互いさま」でした。それがケニアのルールであり、一人ひとりがそのルール「お互いさま」を守る責任があるといった雰囲気がありました。
 核家族化が進んだ今、確かに子育て中の方が勉強する機会に恵まれず、自分が聞きたいと思った所に行っても子どもが託児所を嫌がるため、結局は我慢をせざるを得ない場面が多いことと思います。育児中に勉強する権利も、講演会に出席する自由も保障されなければなりません。そのような方を支援するために主催者も社会的な義務として託児所を設けているのでしょうが、子どもが託児所にいられないなら保護者があきらめるか、主催者に講座をモニターで見られるような方法を要求するといった社会運動を守り立てる必要があると思いませんか。
 今回のことに戸惑いを覚えた私は、当初「お母さん(個人)の責任」という視点でこのことをとらえていました。講座を聞く自由があるのであればそこに出席するときの周囲への責任というものが発生します。ご自身が勉強をする権利を確保することも大切ですが、自分の周りの人間の学習環境に多大な迷惑をかけてまで自分の権利を主張していいのかと考えてしまいました。少なくとも私は講演に集中できませんでした。しかし、今回の講演が終わった時、主催者を始め、聴衆がこの親子を受け入れていて、講演会で子どもが騒ぐことはお互いさまだよねという雰囲気でした。このことは私にとって驚きでした。
 お互いさまと個人の責任追及の関係には実は大事なポイントがあることに気付かされたので、今月のテーマは「お互いさま」とし、少し自分の頭の中を整理してみました。

『お互いさま』

○『誰に対する責任?』
 大相撲の力士が大麻所持で逮捕され結局クビになりました。少し前、某大学のラグビー部の選手が大麻を持っていたため退学になりました。この処分の是非を云々するつもりはありませんが、このような個人を切り捨てるという形でその団体が個人に責任をとらせるということでいいのでしょうか。一方で同じ大麻で逮捕された歌手や芸能人の場合は罪を償えば復帰が許されます。所属している組織や環境が異なるだけで、社会的制裁の結果にあまりにも差があるというのはどうも変な感じがします。
 さらに本人はともかく、大相撲では親方も監督責任をとって理事を辞任し、ラグビー部には活動停止の処分が下され、連帯責任も追及されていますが「責任」というのは誰の、誰に対する、どのような責任かがあいまいなままです。同じような不祥事で組織のリーダーが誤る光景はワンパターンのように報道され続けていますがどこか変ですよね。
 そもそも責任をとって謝るということであれば、本来なら回避できるはずだったにもかかわらず、何らかの落ち度がその個人や団体にあったためトラブルが起こったということではないでしょうか。そのような場合は謝る必要があるのですが、その人たちの力で回避できない問題にもかかわらず、頭を下げることはかえって無責任のように感じます。

●『受け入れるときはお互いさま』
 野球部員の一人が強制わいせつ罪で逮捕された高校の野球部に対して、連帯責任を問う必要はないと甲子園出場が認められる一方で、学校に対しては生徒指導のあり方について改善命令が出たとのことです。一般論として、効果があるかどうかは別として、学校側が生徒に対して公序良俗に反する行為を行わない生活指導を行うことにはなっています。しかし、痴漢の効果的な予防方法については聞いたこともありませんし、むしろ多くの人たちが早く開発されることを祈っているはずです。改善命令を出した側も無責任で、とりあえず学校に責任を取らせたことにしましたというだけで、再発予防が可能だと思ってはいないと思います。
 ただ、「痴漢の予防は難しいことは皆さんおわかりですよね。大麻だって100%予防することはできませんよ。必ず悪いことをする人がいます。」といった発言を理事長や学長がしようものなら、それを袋叩きにするのが今の日本のマスコミであり国民性です。だから日本的、お互いさま的な責任の取り方としてこういうことになるのであればこれもまた受け入れるしかないと思いました。

○『メタボでも個人の責任追及はだめ』
 メタボの問題でも実は「個人の責任」という嵐が吹き荒れています。だから特定健診を行い、メタボとその予備軍を抽出し、特定保健指導で徹底的に締め上げる予定です。しかし、本質的なところまで掘り下げていくと個人に責任を押し付けても解決できない問題は多々あります。個人がどんなに頑張っても、周囲がどんなに頑張っても解決できない問題も数多くあります。
 健康づくりの分野では「予防医学的方法として、疾患を発症しやすい高いリスクをもった個人に対象を絞り込んだハイリスクアプローチが効率的ですが、リスクは集団全体に広く分布していますのでポピュレーションアプローチ、集団全体への戦略が必要です」と言われています。すなわち、病気を予防するには個人の責任も大事ですが、リスクが集団全体に広がっている場合は集団全体に働きかけ、社会全体でそのリスクに立ち向かう必要があるということが明らかになっています。
 メタボになるのは、食べ過ぎ、飲み過ぎ、運動不足です。しかし、メタボを個人の責任ととらえ、個人に行動変容を求めるだけではこの問題が解決しないということは多くの人が実感していることです。そのため個人に対しては健診と保健指導を徹底しますが、社会全般に分布している様々なリスク(飽食の時代、高カロリー食品の蔓延、ストレスでやけ食い飲み過ぎ社会、運動できない社会環境、自分の健康に関心が持てない、等々)に対しても一つずつ、根気強く解決していくしかありません。その際、個人も努力するでしょうが、仲間をつくり、「お互いさま」に学ぶことができればメタボ解消の道筋も見えてくるというものです。

●『曖昧が故に個人を追及』
 健康づくりの分野では「個人の責任を追及するだけではだめ」ということを言い続けている私ですが、いざ「個人」の行動が自分に直接的な影響を及ぼしてくるとつい「個人の責任」を追及してしまうことに気付かせてもらいました。みんなが「お互いさま」と思えるようになるには、もっとことの本質を追究し、考え続けられるようにしないといけないようです。そのことに気付かせてくださったお母さんに感謝です。
 お互いさまの意識で培われているのがご近所の底力です。なぜか岩室が出ますのでよかったら見てください。

岩室がNHKのご近所の底力「メタボ対策」に出演します。
http://www.nhk.or.jp/gokinjo/
8月29日(金) よる8時~
関東・甲信越地方(東京・千葉・埼玉・神奈川・群馬・栃木)
※山梨・新潟・長野は除く
※茨城のデジタル総合は除く (アナログ総合では、ご覧いただけます)
8月31日(日) あさ10時5分~
全国放送 (関東・甲信越地方も含む)
※佐賀は除く ※東海・北陸地方は、下記参照
9月14日(日) 午後2時15分~
東海・北陸地方 (愛知・静岡・三重・岐阜・福井・富山・石川)