紳也特急 152号

~今月のテーマ『自己中病』~

●『先月のメルマガに「違和感』
○『リスクと向き合う』
●『略語は誤解を生む温床』
○『優先順位は是か非ではない』
●『恋愛もできない自己中病?』
○『保護者も自己中』
●『就職氷河期は本当?』
○『鶴瓶さんの失敗に学ぶ』

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●『先月のメルマガに「違和感』
 電気を使っているんだから瓦礫の処理を受け入れろというのが、ゴムなしでセックスしたんだから感染は自業自得だろうというのと、感覚が近いように感じてしまったんです。わたしは脱原発に震災前から関心があり、活動に参加するなかで、「原発は安全だから危険を考える必要はない」という、まさに他人ごとな電力会社の方、政治家などを目にしました。友人も「難しいよね。事故が起きたら大変だよね。でも原発ないと電気足りないんでしょ?考え過ぎじゃない?」という反応が一般的でした。事象についての興味がないわけではないけれど、やはり他人ごとで。起きるかもしれない事故を憂うより、便利に電気を使える自分が優先され、思考が停止してしまう。また、原発の危険性についての主張は「左翼だ」と、くくられやすく、活動のしにくさを感じていました。
 HIVの予防活動でも、自分は大丈夫、という他人ごと病が蔓延していると痛感しました。ただ、他人ごと病にとりくむのに、原発よりもHIVの方が構図がわかりやすく、活動もしやすく、実際、思想的だというような批判を受けたことはありません。一般メディアでも、学校でもHIVの基礎知識に触れる機会は増えていましたし、語りやすいものになってきていたと思います。ですが震災前まで、原発の危険性についてはタブー視されていましたし、学校では安全性か強調された教本が使われていました。
 今回事故を起こしたのは、わたしたち都心部で暮らす人のための電気を作っていた原発なのは確かです。自業自得だから放射能のリスクを受け入れろというのは、正論なのかもしれません。ですが、リスクの開示が充分だったとは思えません。国の放射能基準は、1人1人にとって安全なのか。など、疑問点が残ります。特に基準に関しては、水俣、HIV、被曝。似た歴史を繰り返そうとしているように思えて仕方ありません。原発を語ることは、HIV以上にデリケートなことと周囲に扱われていたという実感があるので、放射能の拡散リスクが伴う瓦礫受け入れ拒否を、自己中病とくくることに、非常に違和感を感じました。
 メルマガへの感想は本当に勉強になります。この感想をいただいた後、「自己中病」が招く不幸な転機と、「自己中病」ではないからこそ対応できたことをいろいろ見聞きしました。そこで今月のテーマを「自己中病」としました。

『自己中病』

○『リスクと向き合う』
 先月のメルマガは確かに言葉が足らなかったと反省です。「ただの瓦礫と違って放射能の問題もある」との反論をもう少し丁寧に説明すべきでした。指摘があった国の放射能基準の妥当性だけではなく、同じ放射能であっても自然界に存在する放射性物質ではないものを持ち込む可能性への懸念など、反対されている方々にもいろんな理由はあると思います。私は瓦礫の放射線量の測定結果が一定の基準を満たしているにも関わらず受け入れを拒否していることを問題視しています。しかし、すべての疑問が解決しなければ前に進まないというのでは、何事も前に進みません。でもこれが今の日本の現状? 原発に賛成かと聞かれると正直なところ震災前まではあまり深く考えていませんでした。原発に関しては他人事意識、裏を返せば自己中だったのでしょう。しかし、今は小学校の時に何度も訪ねた、アフリカ大陸を南北に縦断する大地溝帯(Great Rift Valley)を見れば、そもそもこの地球に原発をつくることの愚かさを日本人のみならず、人類が選択しているというリスクを覚悟しながら生きるしかないと思っています。

●『略語は誤解を生む温床』
 安全性が問われていると言えば年金です。年金問題で「資産運用」という言葉が何度も使われていますが、そもそも投資というのは正当化された賭博、ギャンブル、ばくちです。最近銀行に行けば預金ではなく投資信託の誘いがやたらあります。投資信託は略語で、本当は「投機で資産を増やせる可能性があるのでわが銀行を信用して託してもらえますか」と言っていることをもっと伝えるべきでしょう。当然損をすることもあります。「年金の運用」というのも正確には「年金を他人任せで運用させあなたの大事な資産が目減りをするリスクと向き合こと」というべきでしょう。その意味では原発も、「日本がアジア大陸から遠く離れるに至った、地殻変動が多い地球の表面に立っている、いつ壊れても不思議ではない、原子力で発生させた電力を供給している所」と言うべきなのでしょう。だから原発事故は誰かの自業自得ではなく、社会全体で共有しているリスクであり、事故が起こった時には社会全体で補償しなければならないことなのです。

○『優先順位は是か非ではない』 しかし、消費税の問題を見ても「賛成か反対か」、「是か非か」といった単純な議論になり、反対する人は「無駄の削減が先」としか言いません。もしかしたらいろいろ言っているのをマスコミが単純化して伝えているだけなのかもしれませんが、単純な話にならないのが人間が作り上げている社会の中で起こっていることです。
 国が、官僚が、政治家が信用できないなら対案を出し続けなければなりません。公務員を減らせと言う人はぜひ災害時にはお役所に頼らず、公的な医療機関も利用せず、地域の自主防災組織と民間医療機関だけで災害を乗り切ることを「想定」してみてください。被災地で自殺が減っているのは何を隠そう、全国から馳せ参じてくれた公的機関に働く保健師さんたちが丁寧に被災者の方々の所を訪問してくれたからです。ところが保健師は健康診断や保健指導をしていればいいから民間に委託すべきというとんでもない有識者からの助言を真に受け、保健師業務の外部委託をしている自治体が増えています。公務員は住民にとっての「災害時の保険」です。だからこそ、見直すことは必要ですが、切り捨て過ぎるといざという時に自分で乗り切るしかなくなります。公務員バッシングもこれまた自己中病?

●『恋愛もできない自己中病?』
 自己中病を解決するには一人でも多くの人と関わり、一つでも多くの経験を積むことに尽きます。その一つが恋愛であり、思春期は自己中病の入り口にも出口にもなる時期です。ところがその恋愛をする時点ですでに自己中病になっている人が少なくありません。
 メール相談をしてきた女の子が男の子から「もし俺が付き合ってって言ったらどうする?」という告白を受けたとか。この男の子はもしフラれたら嫌だから、傷つくから「もし」で探りを入れ、結果として当たり前のようにフラれたのですが、「俺は「もし」と言っただけなので今回は「フラれていない」」と自分の中で整理するのでしょうか。この話を聞いてから講演では「岩室紳也がフラれた回数」の話をするようになり、これがまた結構受けるということを知りました。失敗する勇気、失敗を恐れない心がないことが自己中病につながる?

○『保護者も自己中』
 おちんちん外来での出来事です。子どもにとっておちんちんをむく(包皮をずらせば亀頭部がすべて露出できるようにする)ことの意味を理解することは簡単ではありません。ただ、幼稚園や保育園の友達がむいているということを知ると、プライドの生き物である男心がくすぐられ、頑張らないといけないと思うようです。しかし、でも、やっぱり「痛い」というのは大きなハードルで、それを乗り越えるのをサポートするのが保護者の飴と鞭です。ところが、「頑張ったらマック行こうね」という親はいても、「鞭」の使い方を知らない親が少なくありません。外来は混んでいるので言うことを聞かない子に「じゃ後でまた呼ぶから」というのですが、先日そういっても外来を出ないという子がいました。「どうするの?」「どうしたいの?」「がんばれないの?」と言い聞かそうとするだけの父親に、「ルールを守らない時はちゃんと叱らないとだめですよ」と言ったら「子どもに嫌われたくないんです」という何とも自己中病の返事に唖然。

●『就職氷河期は本当?』
 何十社も受け、4月目前になっても採用されない若者が挑んだ面接で「夢は?」と聞かれ「とくにありません。内定をもらうことでしょうか」と答えていました。私が経営者や人事担当者だったらこの若者を採用しません。「人事担当者があなたを見る目がなかった」と優しく受け止めてくれる保護者はいても、「夢を語れないやつを取る会社があるか」と厳しく言い切る大人が周りにいないのでしょう。
 一方で、ここ2年ほど横浜市の「子ども・若者支援協議会思春期健全育成部会」で若者が抱えている様々な課題をどう克服するかの議論をする中で、素晴らしい取り組みがあるにも関わらず、それらが知られていなかったり、そこで得られた知見が一般化され他で活用されていないと実感させられました。横浜近郊の方はぜひ「お好み焼きころんぶす 石川町北口駅前店」に立ち寄ってみてください。ここは不登校、引きこもりから脱却した若者たちが切り盛りしている店です。彼らは仲間と寝食を共にする中で、他者と、社会とどうかかわればいいかをいろんなことを通して学んできました。彼らの目つきは間違いなく就職氷河期の犠牲者として取り上げられている若者たちとは違い、いろんなことにもまれ、たくましく感じられます。

○『鶴瓶さんの失敗に学ぶ』
 笑福亭鶴瓶さんが「鶴瓶の家族に乾杯」という番組の中で、被災地陸前高田市を訪れた際に会った、明るくふるまう女の子に、思わず両親はどうしているのかを訪ねる場面がありました。女の子のお父さんは津波の犠牲になっており、その場にいたお友達がかばうように寄り添い、「しまった」という思いで鶴瓶さんは何度も謝っていました。この場面を放送した鶴瓶さんの勇気に感謝です。
 私も被災地で同じような失敗をしています。ご家族を亡くされたことを、家を流されてしまったことを感じさせないぐらい明るくふるまってみんなの先頭に立って復興に向けて活動されている方を見てつい家族や家の話になったりします。もちろん被災地では一定の配慮は必要ですが、完璧はあり得ません。配慮が足らなかった時は鶴瓶さんに学び「ごめんなさい。本当にごめんなさい」と言うしかありません。子どもがいない私もよく「お子さんは?」と聞かれますが、「いい泌尿器科医がいたら紹介してください」と切り返しています。是か非かではなく、非がある時は誤るというように、次なる対応ができるようになることが求められています。
 自己中病の原因は他者との関わりに学ばないことです。でも他者との関わりはつらい。だから関係性を拒否し、自己中病になる。ま、誰でも自己中でしょうが、それが病にならないようにしたいですね。

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