紳也特急 163号

~今月のテーマ『伝えるためには』~

●『反省』
○『経験を伝えるのが基本と言いつつ』
●『こころをつかむために』
○『命の大切さの伝え方』
●『命の大切さが伝わった』
○『何歳ですか』

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●『反省』
 先日、香川県と香川県看護協会に呼ばれ、HIV/AIDSの講演を午前午後としてきました。午前中は私がHIV/AIDSだけではなく、性について何をどう伝えるかという専門職を対象にした講演をし、午後は私の患者さんで妊娠時にHIV感染が判明した石田心さんとのトークでした。午前の講演も、午後のトークもいろんなところでやっていますので、それなりにそつなくこなし、会場の方にとっても、そして石田心さんにとっても、もちろん私にとってもいい時間、いい場となりました。ただ、良く考えてみると今回のように大人や専門職向けの講演と、若者を含めた対象へのマイク一本でのトークを組み合わせた研修会はあまりやってきませんでした。そして、ある人の一言が最近の私の講演姿勢にとって大いに反省事項となりました。「午前中の講義の中で、先生がおっしゃっていたことが午後のトークを聞かせてもらってやっとその意味がわかりました」という感想でした。正直なところ「ありゃりゃ」と同時に「反省」という言葉が頭の中を駆け巡っていました。
 子どもたちに何かを伝えたいのであれば、あまりPowerPointなどの映像にとらわれるのではなく、できるだけ耳から入る情報で伝えた方がよりこころに残ると思っています。そのため、私は生徒さんに講演するときは基本的にマイク一本で話すようにしています。以前の大人向けの講演では実際の私の生徒さん向けの講演を紹介しつつ、その講演に込めた思いを加えて話していました。しかし、そのような私の講演を聞くと「岩室先生のように上手に話せないから」とかえって消極的になる人が少なくなかったので大人や専門職向けの講演スタイルを変え、岩室紳也が講演の中で伝えたいと思っていることや、そのような思いの背景となることを話すようにしていました。しかし、気が付けば大人向けの話が、その聴き手である大人たちがその後自ら語ることを想定していなかった、というか、そこまで丁寧に面倒を見るような構成になっていなかったと反省させられました。
 そこで今月のテーマは「伝えるためには」としました。

『伝えるためには』

○『経験を伝えるのが基本と言いつつ』
 子どもたちが大人からの話で一番聴きたいのはその人の経験です。ただ、経験を伝えることが大事ということは言い続けて来たものの、あなたの経験に基づいて「何を、どう伝えてくださいね」ということを丁寧に説明していませんでした。そのため、結果として私の大人向けの講演を聞いていただいた方は「総論はわかったけど、で、自分はどうしゃべったらいいの」という壁にぶつかっていたのではないかと気付かされました。
 そのことを改めで気付かせてくださったのが、ある講演の後、養護教諭仲間でつくった性教育用の教材をいただき、是非コメントをくださいと言ってくれた養護の先生でした。その先生は私の大人向けの話だけではなく、いろんな場面で私の話を聞き、一度自分の学校の生徒さんに話してほしいと学校に招いてくださいました。生徒向けの講演自体は大変楽しい雰囲気の中で終わり、その先生にも、校長先生にも満足していただけたようでした。
 いただいた教材のDVDは非常に丁寧に作られていていい教材だと思ったのですが、自分が講演した直後に見せてもらったので思わず「岩室紳也の講演と教材を対比し、どこが共通し、どこが異なるのかを検証してみてください」とお伝えしました。ちょっと厳しい指摘と思った方がいらっしゃるでしょうが、私としては、学校で教師が行う性教育と外部講師(岩室紳也)を招いての性教育の違いをぜひ分析し、いい意味で役割分担をしたいと思った次第です。と同時に、教育現場でつくる「教材」に「経験」に基づく話を入れることは難しいことをあらためて思い知らされました。それこそ性感染症や望まない妊娠という「経験」を盛り込んだストーリーをつくると、そもそもその教材自体が否定されてしまいます。そのことを理解し、学校の教員は教科書を中心としていわゆる理論的なことを伝え、外部講師や教材を使わないアドリブでは経験を盛り込むという役割分担が必要だと思いました。では、具体的にどのように「経験」を盛り込めばいいのでしょうか。

●『こころをつかむために』
 この時期は卒業前の講演ラッシュです。医者になって間もなく丸32年。性教育を始めて四半世紀以上。これだけ長くやっているといろんな知り合いができます。先日ある中学校に、それこそ20年近く前から知っている養護の先生に呼ばれてお邪魔した時のことでした。いつもはすごく元気な、素敵な笑顔のその先生がこれまでとは違う雰囲気で、すれ違った生徒さんに大変厳しく、ちょっときつく当たるような感じで迎えてくれました。すぐに思い出したのですが、その日に講演する学年は入学した時から、というか小学校時代からいろいろ問題があるということを聞かされていました。入試や卒業直前になってもいろいろと大変な生徒さんたちだったようで、私の話を前任校で聞いたことがある学年主任の先生は、「チャンピオン君を使ったコンドームの話をすると、かえって茶化して行動をエスカレートするのではないだろうか」と心配されていたそうです。そのような、ちょっと心配な状態で講演会場に入りました。
 会場にいる生徒さんをパッと見渡しただけで、「あの子」と「あの子」と「あの子」に先生たちが手を焼いているんだなとわかります。講演の時にこのような子たちと目を合わせただけで「何とかなりそう」と思える子たちと、「厳しいな」と思ってしまう子たちがいますがその日は「何とかなりそう」と思いました。と同時に、この講演で私もまた新たな気づきをいただきました。

○『命の大切さの伝え方』
 最近の私の話は自分が経験した「死」から始まることが多くなっています。しかし、「講演には必ず『死』の話をこのように具体的な、身近な例で入れましょう」と言わない限り人はそうしようとは思わないようです。よくよく考えてみれば、私の性やHIV/AIDSの講演の中では最低でも5人ぐらい亡くなった人の話が出ますが、これだけの経験をしている人はそうはいないでしょう。また、プライバシーに配慮しつつ、聴き手の心に響く話のネタというのはそう簡単に作れるものではないのかもしれません。
 しかし、事例の話だけをしても「特殊な人」に起こった「特殊な出来事」と思われる可能性があるので、学校では校長先生を捕まえて、「あってはならないことですが、校長先生が万が一今日の帰り、交通事故で亡くなったとしたらどのようなお葬式を出されますか」と投げかけるようにしていました。しかし、その日は校長先生もおられず、講演会場には年配の先生もおられず、身近にいた、やんちゃな子の見張り番のような先生(おそらく担任か副担任の先生だったと思いますが)に同じ質問を振りました。すかさず「家族だけでこじんまりしたお葬式でいいです」という答えだったので「だめです。少なくともここにいる全員が出席し、先生が亡くなるとどれだけ多くの人が悲しみ、涙を流すかを経験できるようにしてください」と切り返したところ、一番反応していたのがやんちゃな子たちでした。もし校長先生がその場におられ、私が他の学校と同じように校長先生に質問を振っていたとしても、やんちゃな彼らにとって校長先生はかなり遠い存在です。しかし、担任として、あるいは日々の生活指導で厳しく指導してくれている先生がいなくなるという私の投げかけはそれなりに心に響いたようでした。これからはもっと若い先生に質問をした方がいいのかなと思った次第です。

●『命の大切さが伝わった』
 感想にこんなことを書いてくれた生徒さんがいました。
 「医者とはどういう仕事?何をしているの?」という質問に「人を助ける仕事」と答えたのに対して岩室紳也さんは「そうだよ。人を助ける仕事だよ。でもそれだけではなく人間の『生』と『死』という大事な場面に立ちあえる仕事だよ」というのを聞いて、改めて医者という仕事の素晴らしさを知ることができました。すべてが良いことではないということを改めて感じました。このことが一番印象に残りました。(高1男子)
 すごくうれしい反応でした。事例を通して学ぶことの大切さを伝え続けていますが、岩室紳也医師という事例を通して、医師が遭遇する「生と死」という経験を伝えたいと考え前述のような問いかけをするようにしていますが、その思いをそのまま受け止めてくれたことに感謝です。

○『何歳ですか』
 前述のやんちゃな子たちへの講演が予想以上にいい雰囲気で進み、終わった後にそのやんちゃの一人が「何歳ですか?」と聞いてきたので「何歳に見える?」と聞き返したら「52歳」と言ってくれました。「57歳」と言うと「若い!」という周りの声に思わずうれしくなり、その彼にパンフレットをプレゼントしていました。受け取る彼は普通のいい子でした。
 15歳の彼らから見れば42歳も年上はそれこそ「おじいちゃん」世代です。しかし、3世代同居もせず、学校にもその世代の教師の方に直接接する場面が少なくなっている中で、見ただけで「老い」や「死」がイメージできる世代になったわれわれ中高年こそ、歳をとったことを逆手に、一つの経験として若者たちに伝える必要があるのかなと思いました。
 57歳というとそろそろ引退を考えないといけないと思っていましたが、若者たちに「加齢」や「老い」を伝えられる現役の世代としてこれからも頑張らないといけません。がんばれ高齢者!!!