紳也特急 277号

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■■■■■■■■■■■  紳也特急 vol,277  ■■■■■■■■■■
全国で年間200回以上の講演、HIV/AIDSや泌尿器科の診療、HPからの相談を精力的に行う岩室紳也医師の思いを込めたメールニュース! 性やエイズ教育にとどまらない社会が直面する課題を専門家の立場から鋭く解説。
Shinya Express (毎月1日発行)
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~今月のテーマ『文化だから続く』~

●『生徒の感想』
○『「文化」とは』
●『人の営みを支えるものは』
○『フォーラムは対話の場』
●『文化に、対話に学ぶ』
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●生徒の感想
 今回の講演では、単なる知っていることのおさらいであったり、知っていることの答え合わせのような内容ではなく、考えさせられる内容であった。お話の中で、詳しく知りたい人はホームページを読んでほしい、などの発言があったことからも、岩室先生は、私たちに対して「知識の拡充」を目的として来校したのではなく、考えることを促すために私たちに話をしてくださったのではないかと思う。実際に、岩室先生のお話のなかでも、「考えてほしい」であったり、「話し合ってみてほしい」という言葉が多く聞かれたと思う。
 中でも印象に残っていることは、ゲイについて何人かの生徒に質問していた際に、生徒の一人がゲイに対する考えとして「普通と違う」という発言をした後のことである。私は、ゲイは決して病気ではなく、異常でもない、普通である、ということを知識としているため、この生徒が普通ではないと言い放った際に少し違和感を覚えた。しかしそのあとに岩室先生が、経験を持つ人と、知識のみを持つ人の違いを話し、知識だけでは不十分で、経験しないとわからないということを聞き、ゲイに対して知識を持っているので私は差別主義者ではないと思っていた自分を少し懐疑的にみる機会を得た。つまり、私の周りには、ゲイであることをカミングアウトしている人がいないので自分のことを顧みる機会が今までなかった。そのため知識があるので、直面しても公平に接していけると思っていたのだが、経験がないためにもしかしたら自分のなかにも他とは違うと思ってしまう気持ちが少なからずあるのではないかと思ったのである。
 今回の講演は、思春期の性とエイズというタイトルであったが、新型コロナウイルスや、女性の生理のはなし、自立や依存のはなしなど、多岐にわたるとともに、それぞれのトピックで考えさせられる問いかけがあり、非常にいい講演が聞けたと思う。こうした講演は成長するとともに、聞く機会が減っていくと思うので、とてもいい経験であったと思う。こうした講演を聞き、それについてしっかりと考え、議論していくということでこの講演が生きていくのではないかと思う。(高1男子)

 2022年8月5日(金)~7日(日)の間、第29回AIDS文化フォーラム in 横浜をハイブリッド方式で開催することができました。1994年の国際エイズ会議と同時並行で始まった市民による市民のための第1回のフォーラムから何と29回も続いていますが、運営している側も正直なところどうしてこんなに続いているのか、よくわかりませんでした。
 一方で夏休み前の講演の生徒さんの感想を読ませてもらい、また、フォーラムをコロナ前の形式に戻して開催し、今年のテーマ「文化 ~くりかえされるもの うまれるもの~」を考え続けた結果、「文化」という視点だったからこそここまで続いたのだと気づかされました。そこで今月のテーマを「文化だから続く」としました。

文化だから続く

○「文化」とは
 AIDS文化フォーラム in 横浜のHPにも、「HIV/AIDSを医療だけの問題ではなく、広く文化の問題としてとらえることに重きを置き「文化」の2字を入れています」と書かれています。AIDS文化フォーラム in 横浜の名付け親の長澤勲さんは今年のフォーラムのオープニングセッションで  「文化は人の営み」という視点を紹介してくださいました。
人が行う営みに影響することは多岐にわたっています。HIV/AIDSで言えばセクシュアリティだけではなく、性産業、ドラッグ、違法薬物の問題も考える必要があります。AIDS文化フォーラム in 横浜が長く続いている理由は、実は「HIV/AIDSの問題を解決するためには〇〇を実現する必要があります」といったスローガンを掲げるのではなく、いろんな人が登壇し、いろんな考え方や視点を紹介し、それを聞いた人が何かを持ち帰ると言った緩やかなつながりの場だからだと気づかされました。まさしく、AIDS文化フォーラムはそこに集う人たちの営みそのものでした。

●人の営みを支えるものは
 とはいえ、このフォーラムを運営すること自体、いろんな人の知恵だけではなく、労力が求められていますが、お陰様で今年も無事運営することができました。運営委員がいつもお互いにかけあっている言葉が「できる人が、できることを、できる時に、できるように」です。一見当り前のことですが、実はこれが意外と難しいことで、押し付け合いがつい生まれてしまうのが人間社会ですよね。
 では、なぜ押し付け合いではなく、「お互い様」や「できる人が、できることを、できる時に、できるように」という関係性が生まれたのか、正直なところそこがずっとわからずじまいでした。ところが今年のフォーラムを通して、何となくその理由が見えたように思いました。

○フォーラムは対話の場
 コロナ禍の最中でもフォーラムは続きましたが、従来のように2時間枠ではなく、配信のみのため短い1時間前後の枠で、登壇者も全員が配信会場に集まれない状況で、時には全員がオンラインで顔を合わせるといった方式でした。配信による開催はコロナ禍で職場や学校等でも増える一方でオンラインの問題点も指摘されています。しかし、今年は一部のプログラムを以前のようにリアルで集う状況に戻したからこそ、オンライン配信の問題点を実感、経験できました。
 今年はコロナ禍前から使っていた神奈川県民センターのホールをメイン会場に、ハイブリッド方式で開催しました。岩室は以前と同じ2時間枠の7つのプログラムに登壇させてもらいました。開催方式は以下でした。

1.登壇者全員がホールに集合しface to faceで
2.登壇者の一部がオンライン参加(顔出し)
3.登壇者の一部がオンライン参加(顔出しなし)

 過去2年間と比べ、時間がたっぷりとれるため、face to faceで登壇してくださった方々とは「対話形式」で、話をいろんな方向に広げることができました。一方で、オンライン参加の方と顔なじみではない場合、残念ながら「対話形式」にはならず、「司会者がオンライン参加者に振ることで発言してもらう形式」にならざるを得ませんでした。特に顔を出せない方がおられたセッションでは振るタイミングがなかなかうまく取れませんでした。

●文化に、対話に学ぶ
 では対話だとなぜ話が広がるのでしょうか。斎藤環先生が示してくださった「ひきこもりと対話」は「対話」を理解する上ですごく大事な示唆を与えてくださっています。

 対話(dialogue)とは、面と向かって、声を出して、言葉を交わすこと。
 思春期問題の多くは「対話」の不足や欠如からこじれていく。
 議論、説得、正論、叱咤激励は「対話」ではなく「独り言」である。
 独り言(monologue)の積み重ねが、しばしば事態をこじらせる。
 外出させたい、仕事に就かせたい、といった「下心」は脇において、本人の言葉に耳を傾ける。
 基本姿勢は相手に対する肯定的な態度。
 肯定とは「そのままでいい」よりも、「あなたのことをもっと知りたい」
 対話の目的は「対話を続けること」。
 相手を変えること、何かを決めること、結論を出すことではない。

 これまで全国各地で開催されたAIDS文化フォーラムにはいろんなプログラムがありました。当然のことながら参加者がどのプログラムを選び、参加するかは参加者の判断に任されています。すなわち、AIDS文化フォーラム自体が一つの「文化」、「人の営み」でした。一方で意識したわけではないですが、横浜の運営委員会が主催するプログラムは一つのテーマについて「登壇者同士の対話」を提供していたのだと改めて気づかされました。
 第1回のフォーラムが開催された1994年の1月、パトと握手をした岩室紳也は感染不安のパニック状態になっていました。その私が、その後、HIV感染予防のためには当時の厚生省も日赤も認めていなかった輸血で感染するリスクを訴えたり、実際に自分の患者さんにHIV感染の経路となった刺青を見せてもらえたり、気が付けば薬物依存症の人のプライマリケアをさせていただいたり、ほとんど誰も言わない細かい新型コロナウイルスの感染経路対策に言及できているのも、実はAIDS文化フォーラムでの多くの人との対話に、対話だからこそ学べたのだと気づかされました。
 主義主張、思い、正解を伝えるプログラムやイベントも必要ですが、AIDS文化フォーラムは全体としていろんな人が集う「文化」であり、特に横浜ではこれからも「対話」を大事にしたいと改めて思いました。来年は第30回です。がんばります。