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■■■■■■■■■■■ 紳也特急 vol,306 ■■■■■■■■■■
全国で年間200回以上の講演、HIV/AIDSや泌尿器科の診療、HPからの相談を精力的に行う岩室紳也医師の思いを込めたメールニュース! 性やエイズ教育にとどまらない社会が直面する課題を専門家の立場から鋭く解説。
Shinya Express (毎月1日発行)
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~今月のテーマ『誰も正解を教えてくれないから公衆衛生医になった』~
●『生徒の感想』
○『正解は自分で探すもの』
●『悩む力』
○『公衆衛生の大失態』
●『公衆衛生は無念さへの抵抗』
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●生徒の感想
私は保健の授業で扱う性教育の内容が苦手で、授業を休んでしまうこともあり、本日の講和を不安な気持ちで臨んでいました。ですが先生の話し方もあり、楽しく講話を聴くことができました。(高2女子)
結構気まずい感じの授業になるのかなと思っていたのに、出だしから面白い話になったのでお話が記憶に残りました。面白さと真剣さを交えながらお話ししてくださったので、いつもなら絶対寝ているような場所なのに一睡もせず聞けました。(高2男子)
私個人、1人の人とか、1つのものだけを好きになると、それがダメになった時、メンタルを保てないと思い、いろんなことに興味を持ったり、多趣味になることを意識して過ごしてきたのですがちゃんと合っていたのだと安心しました。また、私は数回痴漢の被害に遭ったことがあります。ただただ気持ち悪く、怖かったので何でこんなことをするのかと今も怒っています。ただ、今回の先生のお話を聞いて、犯人にもそんな背景があったのかもと思いました。きっとこれから先も性犯罪者を許すことはできないけれど、少し私の気持ちは軽くなりました。(高2女子)
毎月、メルマガを書く際に一番自分の支えになっているのが話を聞いてくれた人たちの感想であり、私に講演を依頼してくださる人達の思いです。そもそも「性教育が苦手」、「気まずい」、「性犯罪は許せない」というのは「そうだよね」と思う一方で「みんなが納得できる性教育」、「みんなが気まずくならない性教育」、「性犯罪ゼロ社会」などあり得ません。しかし、岩室紳也は何故か性教育、HIV/AIDS予防教育をしなければならないという衝動にかられ、性犯罪を予防するにはそもそも性犯罪に走る人たちの背景を丁寧に確認する必要があるのではと思ってこれまでいろんなことに首を突っ込み、発信し続けてきました。先日、「公衆衛生の未来図~保健師活動への期待~」というタイトルで保健師さん向けに話をする機会をいただく中で、そもそも岩室紳也がなぜ公衆衛生に、HIV/AIDS予防教育に、性教育に取り組むことになったかを考えさせられました。その答えは「誰も正解を教えてくれないから」でした。
そこで今月のテーマをずばり「誰も正解を教えてくれないから公衆衛生医になった」としました。
誰も正解を教えてくれないから公衆衛生医になった
〇正解は自分で探すもの
気が付けば30年以上、HIV/AIDSに関わり、AIDS文化フォーラム in 横浜がきっかけとなり、このメルマガが発行される2025年2月1日に岩手県陸前高田市でAIDS文化フォーラム in 陸前高田に出ています。
でも、なぜここまでHIV/AIDSに関わってきたかということを自分自身あまり考えてきませんでした。それこそ気が付けば保健所に勤務し少しずつ公衆衛生に関わり、気が付けば目の前にHIV/AIDSがあり、気が付けばHIV/AIDSの診療に関わり、気が付けばAIDS文化フォーラムに関わってきただけだと思っていました。しかも医学生時代、公衆衛生には全く興味もなく、将来絶対公衆衛生医にならないと思っていました。にもかかわらず気が付けば先日も「公衆衛生の未来図~保健師活動への期待~」という講演依頼をもらっていました。なぜそうなったのかを考えた時、実は「誰も正解を教えてくれない」、「正解は自分で探すもの」ということを自ら経験してきたからでした。
忘れもしない1994年1月29日に、後に私の患者にもなったHIVを持っていたパトと握手をし、彼の手の汗を感じた時、「汗の中のHIVが自分の手にある傷に付着したら感染」とパニックになりました。ところが当時、「そんなことで感染しない」と教えてくれる専門家はいませんでした。HIVに感染しないためにはセックスの際にコンドームを装着すれば予防ができるのに、「コンドームをすれば誰とでもセックスをしていいのか」と論点を変えた攻撃をする人たちが未だに後を絶ちません。HIVに感染している人は男性同性愛者が多いとわかるとむしろそのことがバッシングの理由にされました。すなわち、誰も正解を考え、それを必要な人に、というか社会に向けて発信しようとは思わなかったのです。だからその世界に踏み込み、自分で考え、悩み続けてきたのだといまさらながら気づかされました。
●悩む力
保健師さん向けの講演会で私が一番申し上げたかったのは次の一言でした。
住民の健康づくりのため、未知の世界を含め、一緒に考え、発信し、悩み続けるのが保健師・公衆衛生!
新型コロナウイルス対策を見ても、今でも感染が繰り返されているにも関わらず、専門家もマスコミも、(もちろん国民も)もはや考えることを放棄し、発信もしていません。それは公衆衛生の中で「悩み続ける」という視点ができていないからではないでしょうか。
私がHIV/AIDSに関わる中で学ばせてもらったことが、気が付けば感染症対策を考える上で非常に重要な視点でした。それは暴露されるウイルス量が少なければ、感染するリスクも減らせるということでした。HIVに感染している人が、ちゃんと最新の薬を服用し、体内のウイルスをすべて排除することはできないまでも、血液中のウイルス量を検出限界以下(<20copies/ml)にすれば、コンドームなしでセックスをしてもパートナーに感染させないということが明らかになりました(U=U:Undetectable=Untransmittable)。もちろん、血液の中にも、精液の中にも、膣分泌液の中にもHIVはちゃんと存在しています。この情報に触れた時、私は正直なところ理解、というか受け入れることができませんでした。しかし、このことについて、様々な論文を読み、いろんな人と対話を重ね、悩み続ける中でその事実を受け入れられるようになりました。
確かに感染力が強いノロウイルスは10個程度体内に入るだけで感染しますが、一方でノロウイルスに感染しても発症しない、下痢も嘔吐もしない人が30%います。感染力が弱いHIV/AIDSの感染を考えるときU=Uは基本中の基本ですし、新型コロナウイルスがアカゲザルに感染するには数万個のウイルスが必要とか、インフルエンザに感染している人のくしゃみを浴びた人が感染する確率は100万分の1ということも受け入れられるようになりました。すなわち、当初は理解できなくとも、悩み続けることで、自分が納得するだけではなく、住民一人ひとりの健康づくりに寄与する情報は何かを考えられるようになりました。
〇公衆衛生の大失態
私自身公衆衛生医を自負していますが、実は私の素晴らしい多くの公衆衛生医の仲間たちは、実はすべての公衆衛生医の中の本当はマイノリティーだと思っています。「病院等で働くのがきつくなったから公衆衛生にでも、保健所にでも行くか」という医者が公衆衛生を実践できるわけがありません。その人たちがこれまで臨床の現場で求められていたのが「正解」でした。診断を間違えない、適切な指導や手術ができる。このような正解を求められ続けた医者が、住民と悩み続けられるはずがありません。実際、「私が言っていることを守っていればいい」という公衆衛生医の何と多いことか。
「マスク、換気、手洗い」をこれだけ言っているのに年末年始のインフルエンザの大流行を見れば、仮に「マスク、換気、手洗い」ということが適切な感染予防策だとしても、「いつ、どのような場面でマスク?」、「窓を開けるだけの換気がなぜ無効?」、「いつ手洗いすると感染予防が可能に?」という基本的な視点が伝わっていません。すなわち、今回のインフルエンザの記録的な流行は公衆衛生の大失態ですが、そう思っている専門家はどれだけいるのでしょうか。もっとも、これが人間、これが日本人という考え方を受容しなければならないのもこれまた公衆衛生の現実です(苦笑)。
こう言うというと「で、どのようにすればよかったのか」とお叱りを受けるでしょうが、そもそもそう思うこと自体、一緒に悩んでいない、悩む力が不足している、正解を求める正解依存症ではないでしょうか(笑)。
●公衆衛生は無念さへの抵抗
「犯罪予防も健康づくり」と言い続けていますが、殺人はもとより、性犯罪、いじめ、闇バイト、等々、様々な犯罪が繰り返されています。HIV/AIDSを見ても、未だにほとんどの医者がU=Uを知りません。しかし、例え多くの医者が、専門家が関心を持たないとしても、関心を持たない人たちが悪い、と断罪して個人的にすっきりするのでは公衆衛生医とは言えません(笑)。むしろ「自分はここまで思っているのにその思いを伝える力の無さ、無念さ」を力にし、無念さへの抵抗をあきらめることなく、少しでも一人ひとりの健康づくりを進めることが公衆衛生であり、公衆衛生医の役割と思いつつ、その同志として保健師さんに大いに期待したいと思い講演をさせていただきました。その結果、受講してくださった方々と悩みを、無念さを共有できたかと思うだけではなく、また別の気づきもいただきました。
一言で言うと「保健師、公衆衛生に女性が向いている」ということでした。保健師は、公衆衛生は悩み続けることが求められているのですが、それが苦手なのが実は「雄(オス)」だと思いませんか。今では男性保健師も増え、何人ものすばらしい男性保健師とお付き合いする中で、彼らは本当に柔軟な思考、姿勢を持っています。しかし、雄(オス)の中でこの柔軟性を持っている人の割合を考えると、男性保健師は一定程度しか増えないのも仕方がないのかなと思いました。個人的にはこれからもいろんな悩みや無念さが続くと思いますが、いろんな人と対話をしながら、少しでも誰かのお役に立てるよう、公衆衛生の視点で頑張りたいと改めて思いました。