紳也特急 323号

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■■■■■■■■■■■  紳也特急 vol,323  ■■■■■■■■■■
全国で年間200回以上の講演、HIV/AIDSや泌尿器科の診療、HPからの相談を精力的に行う岩室紳也医師の思いを込めたメールニュース! 性やエイズ教育にとどまらない社会が直面する課題を専門家の立場から鋭く解説。
Shinya Express (毎月1日発行)
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~今月のテーマ『根岸昌功先生』

●『人生の道標を』
○『捨てる神あれば拾う神あり』
●『お前が診るなら』
○『医者とは何か』
●『できること探し』
○『弁護士に褒められた』
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●人生の道標を
 このメルマガの発行日(2026年7月1日)に根岸昌功先生の告別式が行われます。83歳でした。根岸先生のことをご存じない方も少なくないと思いますので簡単に紹介させていただきます。1981年にアメリカで確認されたAIDS。後にHIVというウイルスが原因だと判明した根岸先生は、この病気の専門外来を1985年に日本で初めて開設されました。それだけではなく、HIV/AIDSを取り巻く様々な問題についていろんな方と共に社会に問いかけ続けた方でした。根岸先生との出会いはおそらく1993年頃、ちょうど1994年に横浜で開催された第10回国際エイズ会議の準備をしていた頃だったと思います。HIV/AIDSに関する普及啓発のイベントに呼んでいただいたと記憶していますが、その後、実際にAIDSの患者さんを紹介していただいたのがきっかけで私もHIV/AIDSの普及啓発だけではなく、診療にも携わらせていただきました。
 岩室紳也がそれなりに医者として、臨床医として、公衆衛生医として恥ずかしくない人生を送ってこられたのは根岸先生との出会いなくしては考えられません。「恩師」というより「人生の道標を示してくださった師」でした。そこで今月のテーマを「根岸昌功先生」とさせていただきました。

根岸昌功先生

〇捨てる神あれば拾う神あり
 医者になって45年が経ちましたが、改めて医者人生の大半が根岸先生との出会いで大きく変わったと振り返っています。これまで取り組んできたことはどれも興味深く、自分なりに一生懸命、そして楽しくやらせていただきました。へき地医療が義務の自治医科大学を卒業し、義務年限後に大学に戻って泌尿器科医になるつもりでしたが教授が亡くなったため神奈川県に残ることになりました。正直なところ、自分の将来への夢も展望もない状況でした。神奈川県の公務員として、今考えても中途半端な週3日の保健所勤務と2日の病院(泌尿器科)勤務を続けていた1990年代前半、県庁所在地の横浜で第10回国際エイズ会議が開催されることになりました。
 新型コロナウイルスの際にも社会がパニック状態になりましたが、当時は「感染している人をホテルに泊めて大丈夫か」「同じトイレを使って感染しないのか」といったことに対して、保健所の医者として「そんなことでは感染しません」といった、今思えば十分とは言えないメッセージを一生懸命発信していました。と同時に「コンドームの達人」と得意げにコンドームのことを含めたHIV感染予防策についての講演を重ねていました。そんな時にHIV/AIDSの啓発イベントで根岸先生と知り合ったのでした。
 
●お前が診るなら
 イベント自体はそれなりにうまくいったのですが、しばらくしてから根岸先生から直接電話がありました。「厚木の近くに住んでいる、余命3ヶ月の患者さんを受け入れてほしい」と。もちろん感染不安もありましたが、病院には週2日しか勤務していませんでしたので当時の泌尿器科の上司の田代部長に相談したところ、「看取るだけなら泌尿器科でできるが、勤務日でなくても岩室が診るんだろ。それならいいぞ」と言ってもらいました。
 当初、院内、というより病棟内でもいろいろ不安な声がありましたが、今思えば、トップダウンではなく、看護師さんをはじめ、スタッフのみんなと対話し続けていました。その結果、一人ひとりが自分なりに納得できる方向性を模索し、確認できたからこそ、その患者さんに当たり前のように接することができ、根岸先生の見立ては3ヶ月でしたが2年近く頑張ってくださいました。

〇医者とは何か
 都立駒込病院に入院されていた患者さんに会いに行くとともに、根岸先生からAIDS患者さんの医療についてのレクチャーを受けに行った時の言葉が忘れられません。「われわれ医者は所詮医療技術提供者でしかない」といった言葉でした。正直なところ岩室紳也の頭の中は「???」でした。実は国際エイズ会議と並行して開催された第1回AIDS文化フォーラム in 横浜のネーミングに事務局の長澤さんの発案で「文化」という2文字が入りましたが、このことも岩室紳也の頭の中では「???」でした。ただ、自分自身の性格なのか、それらの言葉の意味がすぐに納得できなくても、「問い」を頭の中で抱え続けていると、少しずつ「答え」が見えてくることをいつの間にか学習していたようです。そして、その答えの一つが「医者とは何か」でした。
 根岸先生が仰るように医者の本分、というか仕事とされているのは、医療技術を提供することです。患者さんから情報を聞き取り、診察や検査結果と合わせて診断をつけ、最良の治療を提供することですよね。そのため、私は泌尿器科医として手術の腕を磨き、それなりに手術がうまくなることが患者さんのためになると勉強に励んでいました。もちろんそれは間違っていない考え方であり行動なのですが、私が関わり始めた頃のHIV/AIDSは治療薬といえばAZTという薬しかなく、それを飲んでも低下した免疫力(CD4)が改善するわけでもなく、患者さんを見送ることしかできませんでした。これが、治療方法が確立されている、あるいは確立途上でも治療効果が期待できる病気との大きな違いでした。そうなのです。当時、HIV/AIDSに関わっていると患者さんに提供できる医療技術といえば免疫力が低下した人に起こる日和見感染症への対症療法程度でした。

●できること探し
 患者さんに提供できる医療技術がない医者は何をすればいいのかを考えていた時、実は目の前の患者さんが教えてくれていました。言われてみれば当たり前のことですが、最初の患者さんは「家族と一緒にいたいけど家族も感染が不安」と悩んでいました。それなら直接ご自宅にお邪魔して、感染経路の一般的な話だけではなく、実際にどのような場面が不安なのかを共有してみると「それってこういう理屈から全然大丈夫」といったことばかりでした。
 この姿勢、すなわち一緒に、同じ目線に立って考えるというのは在宅ケアや施設での受け入れをしてもらう上でも大事な、というか当たり前の視点でした。訪問看護、訪問入浴など、当たり前のように患者さんが利用できる環境が整っていきました。よく「役割分担」とか「協働」という言葉が使われますが、最近は「共創」の時代になったとのことです。簡単に言うと「協働」というのはお互いの役割を持ち寄ることで、「共創」というのはできる人が、できることを、できる時に、できるようにすることです。
 根岸昌功先生が教えてくださったのは、「医療技術を提供するのは医者として当たり前のことだが、医療技術を提供すること以外に、その人に、あるいは社会に対して、岩室紳也は何ができるのかを考え続けなさい」ということでした。

〇弁護士に褒められた
 実は最近、縁あって軽度知的障がいを抱えている方が、騙されて1千万円近い負債を抱え自己破産を申請したいが上手く進まないとの相談を受けました。経済的な理由で専門家の利用が困難な方々を対象とした「法テラス」という制度を利用したとのことでした。しかし、この制度は「まずは相談」が建前のため、面倒な、情報が上手く整理できないケースは門前払いになることが多く、途方に暮れていました。そこで岩室が生成AIに問いかけながら弁護士が求めるであろう資料として、借金が積み上がっていった経緯を示す記録を時系列順に整理し、データ化しました。
 ExcelのシートやA4判で50枚程度の情報を整理して弁護士さんに会ったら、「お医者さんですよね。完璧です」と言われすぐに受理してもらえました。自分で作業をしてみてわかったのですが、今回、ご本人に一つ一つの資料を確認し、時系列的に整理する作業をしただけですが、作業時間はおそらく30時間は超えていたと思います。私が弁護士として生計を立てていたとしたら、相当な金額をもらわないとやってられないと思いました。
 根岸昌功先生が残してくださった言葉をこれからも噛み締めつつ、これからもできることを重ね続けたいと思います。合掌。