紳也特急 168号

~今月のテーマ『AIDS文化フォーラム in 横浜の20年』~

●『講演後のやりとり』
○『岩室の返信』
●『1990年の転機』
○『一(いち)お手伝いとして参加』
●『最初のバッシングの結果』
○『コンドームにこだわった第1回』
●『「文化」に込められた思い』
○『手詰まりだから運営委員に』
●『今年も多様なプログラム』

【詳細】AIDS文化フォーラム in 横浜(8月2~4日)
http://www.yokohamaymca.org/AIDS/
http://homepage2.nifty.com/iwamuro/abf2013.htm

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●『講演後のやりとり』
先日のエイズの講習会に参加しました。人と人のつながり、関係性が薄まってしまったのは、「地域とのつながりであり、家族間のつながりである」。これらが、自分自身の事としてもよく実感できます。
ただ、岩室先生の話を聴いていてよく理解できなかったのが、今まで、個人を尊重されてきた等の理由で、友達や家族ともあまりつながりを持たなかった彼ら(私も含めて)が、周りとのつながりを自ら作り出しえるのだろうか?言い換えれば、どのようにしたら周りの人とつながりを持てるようになれるのかその方法自体がわからないのではないか? との疑問が生じました。解決方法として、「自ら気付き、コミュニケーションのスキルを磨きつつ、気になった周りの人に話しかけてみる」事なのでしょうが、実際に行動するにあたってさしあたりどうすればいいのかとわからなくなってしまいました。彼らに対するアドバイス的な部分としては、まずは「あいさつ」から始めようこんな感じなのでしょうか?
公園デビューの言葉が象徴するように知らない人とのコミュニケーションを図るには子どもをダシに使って、かなり気構えてから、腹をくくってから話しかけるような感じであり、人と人の心理距離がかなり遠くなってしまっているように感じます。

○『岩室の返信』
おっしゃる通り、既に育ってしまった大人がどこまで変われるかは今後の大きな課題です。「あいさつ」も苦手な人がいます。ただ、人は関わることを求める動物です。喜びも、感動も、すなわち健康で言う“spiritual”なところはすべて「関係性」が作り出すものです。実は私自身も偉そうに言えるほどコミュニケーションが得手なわけではありません。しかし、その不得手、苦手を意識すると、少しずつ「関係性」を大事にできるようになり、気が付けば地域の自治会活動にも少しは出るようになりました。
大上段に「自ら気付き、コミュニケーションのスキルを磨きつつ、気になった周りの人に話しかけてみる」と言ってもできる人はほとんどいないと思います。私の話を聞いていただき「そうだよね」と思っていただけるだけでいいと思いますがいかがでしょうか。

「エイズ」をテーマにした講演会を頼まれること自体が少なくなっていますが、その貴重な機会に私がこれまで患者さんや様々なHIV/AIDS関係者から学ばせてもらってきたことをちりばめた結果、上記のようなやり取りになりました。私の活動の原点であるAIDS文化フォーラム in 横浜が8月2日から第20回が開催されます。そこで今月のテーマを「AIDS文化フォーラム in 横浜の20年」としました。

『AIDS文化フォーラム in 横浜の20年』

●『1990年の転機』
自治医科大学を卒業した後、神奈川県内の病院、診療所、保健所で9年間の義務年限を果たし、1990年3月で神奈川県を退職するつもりでした。しかし、当時の衛生部長の小宮先生から「秦野保健所で腎臓の超音波検診をやらないか」と誘われ、泌尿器科医としての経験も活かせると思い、保健所と病院の兼務を続けることになりました。当時、既にHIV/AIDSが話題にはなっていたものの、自分自身はほとんど性教育的なことをしておらず、今のようにどっぷりHIV/AIDSにはまっている自分は想像だにできませんでした。
秦野保健所では腎臓の超音波検診の確立に向けて様々な努力を重ね、当時行っていた学会発表と言えば「乳幼児期の腎臓超音波検診」ばかりでした。その合間に少しずつ性教育を頼まれることが増え、その中にHIV/AIDSのことにも触れるようになり、コンドームの正しい着け方を、模型を使って行うようになっていました。気が付けばいつからともなく、「エイズ予防にコンドーム」を強調している自分がいました。それが新鮮だったというより、医者でここまでこだわってHIV/AIDSのことを語る人がいなかったため、様々なところに呼ばれて講演をするようになっていました。

○『一(いち)お手伝いとして参加』
1994年の夏に横浜で第10回の国際エイズ会議が開催されると決まり、神奈川県や横浜市では様々な準備に追われていました。神奈川県の保健所の医者でしたが、なぜか横浜市の普及啓発活動の一つとしてハマラジ(FM横浜)の番組に出たりしながら、気が付けばAIDS文化フォーラム in 横浜というのが行われるので手伝っていました。これも自分から積極的に参加したというより、当時県庁の保健予防課におられた河西先生という厚木病院時代からお世話になっていた先輩に「手伝いなさい」と言われたように記憶しています。プレイベントでは「若年層に対するAIDS教育のひとつのありかた」「セーファーセックスとは何か?」という話をしていました。

●『最初のバッシングの結果』
当時のプログラムを改めて見直して「ひとつのありかた」となっているところが、その前年に受けたバッシングへの対応だったと思い出していました。コンドームを風船のように膨らませて高校生の前で講演をしていた私の新聞記事が神奈川県議会で問題になりました。「こんなふしだらな性教育をしていいのか」と県当局が一部の議員さんに責められていたようです。ただ、当時の県の方々は大変先見の明がある方々ばかりで、このようなバッシングがあることは岩室の耳に入れながらも、「やり方を変えろ」とか、「コンドームを出すな」といったことは一言も言われませんでした。それもあって、30代後半の私はめげることなく、むしろ積極的にコンドームの達人を名乗り講演を続けていました。このような優秀な県職員の方々がいなければ、コンドームの達人も闇夜に葬られ、今のHIV/AIDSの状況も変わっていたかもしれません(ちょっとオーバーでしょうか?)。

○『コンドームにこだわった第1回』
HIVに感染しないためにはノーセックスかコンドームしかありません。こう考えていた私は当然のことながら1994年に開催された第1回AIDS文化フォーラム in 横浜でコンドームの装着法を多くの人に伝えるセッションをやらせていただきました。コンドームにこだわったのは、自分の中に若者たちにセックスを思いとどまらせるメッセージがなかったからでした。私にできることはコンドームのことを徹底的に勉強してもらって、「コンドームでエイズ予防」を浸透させることだけでした。
と同時に、周囲で行われていた様々なプログラムの意義を考える余裕がなかったのも事実です。同性愛やセクシュアリティのこともよくわかっていませんでした。「女性とAIDS」というプログラムが設定されている意味もよくわかっていませんでした。それ以上に理解していなかったのが「AIDS文化フォーラム in 横浜」の「文化」の意味でした。

●『「文化」に込められた思い』
AIDS文化フォーラム in 横浜のネーミングは事務局となってくださった横浜YMCAの長澤さんが中心になって決まりました。なぜ「文化」を入れたのかについて当時から次のように説明はされていたのですが、このこと自体を私自身は理解できていませんでした。
・AIDSはウィルスによって起こる病気である。病気だから医学や医療、社会福祉の領域だけで語られるだけでいいのか。
・HIV感染者・AIDS患者こそ病気と共に生きている人間としていろいろな領域からとらえことが必要。
・誰もが人として日常生活ではいろいろな領域に関わって生きている。そのことを文化としてとらえ、『AIDS文化フォーラム』と銘打っている。
・フォーラムのプログラムが多様なのは、こうした文化の中に生活している人の問題として考えた証し。
いま、改めて読ませていただくと本当にすごいことを考えていたのだと感心するばかりです。でも、この言葉の意味がわからなくても、長澤さんという人が魅力的で、大好きだったということですべてがOKでした。
○『手詰まりだから運営委員に』
そのAIDS文化フォーラム in 横浜の運営委員をなぜ20年間続けているのかと考えた時に、自分自身の手詰まり感が後押しになっているように感じています。AIDS文化フォーラム in 横浜のネーミングに「文化」が入ったように、HIV/AIDSのことを理解するには、様々な角度から、様々な人が語り続けることが不可欠です。このことは20年以上HIV/AIDSに関わり続ける中で私自身が体感してきたことでした。もちろん私一人だけが語り続けても、HIV/AIDSの本当の姿は伝わりません。しかし、AIDS文化フォーラム in 横浜という場を提供しつづければ、他の人が、岩室紳也が伝えられないメッセージを伝えてくださいます。このようなボランティア活動ができるのはHIV/AIDSに関わるものとしてこの上ない喜びです。

●『今年も多様なプログラム』
AIDS文化フォーラム in 横浜のプログラムは毎年すばらしいのですが、改めてプログラムを組み立てる中で、この多様な、素晴らしい広がりを持ったプログラムを、一人ひとりが手弁当で参加してくださっていることに感謝です。
自分が出るプログラムを減らそうと思っているのですが、やはり6つ出ることになりました。
オープニングの「HIV/AIDS これまでの20年、これからの20年 何が変わり、何がかわっていないのか」は初回を知る人たちによる本音トークを改めて語ってもらいます。
AV業界の大スターだった紅音ほたるさんが「つけなアカンプロジェクト」として参加されます。コンドームの達人として彼女がなぜコンドームにこだわるのかを徹底的に聞き出します。
AIDS文化フォーラム in 横浜を支え続けたパトが亡くなったことは、私だけではなくパトを同士と思って頑張っていた石田心さんにも大きなショックを与えました。どのような展開になるかは未知数ですが、パトが残したものを改めて共有したいと思います。
「宗教とエイズ」はAIDS文化フォーラム in 横浜ならではのプログラムですが、今年はゲイの牧師さんが出てくださいます。カトリックの中にゲイの牧師さんがいる、いられる、いる必要があるのはなぜか突っ込みます。
男たちの性がおかしくなっている。そんな思いで二人の泌尿器科医にお願いして、男の何が変。男をどう教育すればいいのか。マスターベーション補助具のお土産つきのセッションです。こうご期待。
そして、岩室紳也のバッシングされない性教育を紹介します。バッシングされる性教育は不勉強な性教育だと思っています(笑)。バッシングされないための極意を紹介します。
もちろん自分以外のプログラムも素晴らしいです。おそらく全部聞いて、自分のものにできたら、エイズ・性教育で引っ張りだこになること間違いなしです。
是非会場でお会いしましょう。

【詳細】AIDS文化フォーラム in 横浜(8月2~4日)
http://www.yokohamaymca.org/AIDS/
http://homepage2.nifty.com/iwamuro/abf2013.htm