「紳也特急」カテゴリーアーカイブ

紳也特急 294号

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全国で年間200回以上の講演、HIV/AIDSや泌尿器科の診療、HPからの相談を精力的に行う岩室紳也医師の思いを込めたメールニュース! 性やエイズ教育にとどまらない社会が直面する課題を専門家の立場から鋭く解説。
Shinya Express (毎月1日発行)
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~今月のテーマ『対話を阻む正解』~

●『生徒の感想』
○『経験が学びになるには?』
●『自分ごとの経験が不可欠』
〇『住民力の大切さ』
●『一人ひとりの正解』
〇『対話を阻む正解』
●『正解がないのが対話』
〇『緊急時、災害時にこそ対話を』
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●生徒の感想

 考えることによって正しい知識を得ることができるということがわかった。感染症や誤訳について新しい見解を知ることができたのが印象に残った。(高3男子)

 答えづらい質問をするのは少し良くないと思ってしまった。相手を不快にさせてしまうかもしれないから。(高2女子)

 講演会も復活し、いろんな生徒さんの感想をもらいますが、今回は敢えてこの二つだけを紹介したいと思いました。そして今月のテーマを「対話を阻む正解」としました。

対話を阻む正解

〇経験が学びになるには?
 正月早々能登半島地震が発生してから1ヶ月経ちました。いろんな情報が飛び交っていますが、被害は本当に甚大であるにも関わらず、感染症や震災関連死の増加、復旧の遅れ、支援の遅れ、等々、様々な指摘がされています。私は東日本大震災の際には陸前高田市につながりがあったことでお手伝いに入ることができましたが、今回は残念ながらつながりがないことから募金以外に関わる方策がないのが現状です。ただ、災害に備えるために必要な視点について、いろいろと気づかされ続けています。
 これまで繰り返し「人は正しい知識に、正解に学ぶのではなく、経験に学び、経験していないことは他人ごと」と言ってきました。しかし、今回の震災を受け、このことをもっと突き詰める必要があると気づかされました。自分自身、東日本大震災で被災した岩手県陸前高田市に今でも入り続けており、震災やそこからの復旧、復興に当たっていろんな経験をさせてもらっていたにもかかわらず、経験していても十分学習できていなかった、身についていなかった、考えていなかったことが多々あることに改めて気づかされました。その一例が水道の耐震化の問題でした。

●自分ごとの経験が不可欠
 今回、能登半島地震の報道で上下水道管の復旧に時間がかかっていますが、そもそも水道管の復旧にどれぐらいの時間がかかっていたのかを考えたことはありませんでした。さらに自分自身が住んでいる地域の水道管の耐震化がどの程度進んでいるかほとんど関心がありませんでした。つい先日も近所で一時的に道路の通行止めまでした大規模な水道管の工事が行われていましたが、そのありがたみを今回の地震で思い知ることになりました。
 耐震適合性のある管の延長/基幹管路総延長=耐震適合率で見ると、神奈川県は73.1%に対して最も低い高知県は23.2%、全国平均が41.2%でした。ちなみに石川県七尾市が21.6%、加賀市が17.9%でした。水道復旧の困難さは実は陸前高田市で経験していましたが次の記事を丁寧に読んだのは今回が初めてでした。

 陸前高田ようやく全域で水道復旧

 いま、陸前高田市で定宿にさせていただいている民宿むさしがある地域は、この記事にあるように2011年6月26日、震災から108日目にやっと水道が復旧していました。この地域の水道の復旧が市内でも最も遅れていたのは知っていましたが、当時は水道管の耐震適合率といったことを調べるという発想もありませんでした。この地域での復旧までの期間を今回の能登半島地震に当てはめると2024年4月17日となります。現段階での見通しで「遅い地域は4月以降となる見込み」となっていますが、能登半島よりも支援が入りやすかった陸前高田市でもそれだけ時間がかかっていたことに学んでいなかったことを反省しています。被災地での水道の復旧をもっと早めるには、そもそも地域での水道管の耐震化を促進することが求められていたのですが、東日本大震災からの復旧という経験をしていたにもかかわらず、なぜ地域間格差があるのかを含め、自分ごととして勉強できていませんでした。人は経験に学びますが、自分ごとの経験であることが必要、というか不可欠だと痛感させられました。

〇住民力の大切さ
 一方で今回の地震で改めて明らかになったのが住民力の大切さでした。福島第一原発事故を受け、石川県志賀町にある志賀原発も稼働停止中だったため、震災で大きな問題は起きていません。しかし、この原稿を書いている時に次のようなニュースがありました。

 石川 志賀町で大地震引き起こした活断層とは異なる断層確認

 この記事では志賀原発の再稼働の判断が注目されますが、それ以上にびっくりしたのが珠洲原発構想が住民の反対で阻止されていたことでした。

 「珠洲原発があったら…もっと悲惨だった」 能登半島地震で孤立した集落、原発反対を訴えた僧侶の実感

 珠洲原発を止めて「本当によかった」 無言電話や不買運動に耐えた阻止活動28年の感慨

 珠洲原発は今回の能登半島地震の震源のほぼ真上といっていい所に建設される予定でした。もし建設されていたら(もちろん福島第一原発の事故があったおかげ(?)で稼働停止中だったでしょうが)、もし稼働中だったらどうなっていたのでしょうか。珠洲原発計画は2003年12月に凍結されたのですが、たった20年前のことです。
 住民力が専門家たちの予想よりも的確だったのは何故でしょうか。ここ数十年で蓄積された「学問」ではなく、もっと大局的な判断ができていたからではないでしょうか。そもそも日本列島の「もと」は2000万年~1500万年前頃にアジア大陸から離れ、太平洋へ向かって移動しました。

 日本海の拡大と北部フォッサマグナ地域の沈降

 一方で今回の現象は

 「数千年に1回の現象」防潮堤や海沿い岩礁約4m隆起 石川 輪島

 とのことです。いろんな立場の人がいるからこそ、専門家や企業を信じる人もいれば、自分の世界観やそれまで何となく学習していたことの方を信じる人もいます。もし今回の地震が100年後に起きていたら専門家や企業を信じていた方々は自分たちの判断が間違っていなかったと思って旅立てたことだと思います。このようにいろんな意見が、それぞれの正解があるからこそ、一人ひとりが考え、判断し、その結果を受け入れることが大切だということが確認できた、いい機会になったのではないでしょうか。

●一人ひとりの正解
 ただ、珠洲原発に賛成した人たちが間違いで、反対した人たちが正しかったという話ではないと思います。イスラエルとハマスも、ロシアとウクライナも双方自分たちの正解、正義を信じて戦っています。中国、ロシア、北朝鮮とアメリカ、日本、韓国も双方の正解を信じて疑わず、お互いに歩み寄るつもりはありません。人間というのはそういう存在だということを認識した上で、自分の身の処し方を考える必要があるのでしょうか。
 新型コロナウイルス対策、インフルエンザ対策におけるマスクの意味について、岩室紳也は自分なりの納得の中で一定の主張をしていますが、全く違う視点でご自分の正解を信じて疑わない方々が街中でマスクを着けて生活されています。このように一人ひとりが自分なりの正解を疑うことなく、それこそ他の人にも押し付ける正解依存症になっている社会の中で、われわれはどのような方向性を目指せばいいのでしょうか。

〇対話を阻む正解
 ここで改めて最初に紹介した女子高生の言葉を紹介します。

 答えづらい質問をするのは少し良くないと思ってしまった。相手を不快にさせてしまうかもしれないから。(高2女子)

 確かに相手を不快にさせてしまうことを避けるのが今の日本ですが、そもそも相手が不快に思うことを完璧に避けるには相手と関わらないこと以外にありません。しかし、それは無理だとするとどのような関りが双方に求められているのでしょうか。
 この生徒さんの指摘で気になったのが「答えづらい質問」という生徒さんの基準、正解に沿った指摘でした。私の講演はいろんな人との、今の自分はもちろんのこと、過去の自分、これまで出会った人との、そして目の前にいる生徒さんとの対話の中で話を組み立てているつもりですが、こちらが対話のつもりでも、対話ではなく質問や不快に思う指摘、正解の押し付けのように受け止められる難しさを感じました。対話が成立していたら、「今の発言について私は不愉快に思ったのですが、なぜそのような発言をしたのでしょうか」と返してもらえれば、「いやいや、こういう意味で発言したのですが、その真意が伝わっていなかったのですね。失礼しました」という対話になったと思います。

●正解がないのが対話
 斎藤環先生の言葉をいつも反芻しています。

 対話(dialogue)とは面と向かって声を出して言葉を交わすことで、思春期の問題の多くは対話の不足や欠如からこじれていく。議論、説得、正論、叱咤激励は「対話」ではなく「独り言」である。独り言(monologue)の積み重ねが、しばしば事態をこじらせる。対話の目的は「対話を続けること」。相手を変えること、何かを決めること、結論を出すことではない。

 一方が対話をしているつもりでも、その相手が正解を押し付けられていると受け止めれば対話は成立しません。すなわち、対話の中には正解はなく、お互いの可能性を模索するプロセスです。でも正解を求めている人たちは、相手の言葉に正解を求め、自分も正解を発信しなければならないと考えてしまいます。テレビのコメンテーターの言葉を聞いている人たちも、どれだけその言葉と対話をしているのでしょうか。「そうだ、そうだ」と自分の中の正解と照らし合わせているだけではないかと思ったりしています。難しいですね。

〇緊急時、災害時にこそ対話を
 東日本大震災で被災地に入らせてもらった時、一番心掛けていたのが対話だったことを思い出しました。それは「こうしましょう」と言わず、被災地で暮らしている、活動している一人ひとりの言葉を拾いながら、その中で自分を含めた一人ひとりができることを見つけることでした。なぜそれができたのかを改めて振り返ると、治療方法もなく、ただただ死を迎えるしかなかったAIDSの患者さんと向き合う中で、一番大事だったことがおしゃべりをする、対話をすることだと気づかせてもらったからだと思います。
 陸前高田市で全国から保健師さん等が支援に入ってくださり、全戸訪問をしてもらう中、われわれがとにかく支援者に求めたのが、住民一人ひとりと話してください、対話をしてくださいということでした。人は話すことで癒されるというカール・ロジャーズの言葉を教えてもらった時に「これだ」と思ったのを鮮明に覚えています。同じ地域で暮らしている知人、友人に言えないことも、遠くから来た、しかも専門家の人たちにはこころの内を話したくなるようで、多くの専門職の支援者は「今日はこれだけしか訪問できませんでした」と帰ってこられました。しかし、それこそが住民の方々のこころの健康づくりであり、いま陸前高田市で進んでいる「はまってけらいん、かだってけらいん運動」の原点でした。
 これからも正解を求めるのではなく、いろんな人と対話を続けられるよう、日々精進したいと思いました。bsp;

紳也特急 293号

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全国で年間200回以上の講演、HIV/AIDSや泌尿器科の診療、HPからの相談を精力的に行う岩室紳也医師の思いを込めたメールニュース! 性やエイズ教育にとどまらない社会が直面する課題を専門家の立場から鋭く解説。
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~今月のテーマ『時代は変わっても、人は変われない』~

●『生徒の感想』
○『人は経験に学び、経験していないことは他人ごと』
●『院外処方は時代の流れ』
○『変われない自分を見つめて』
●『変われる人への期待』
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●生徒の感想

 正しい知識を得るには映像だけのテレビやインターネットよりも、人の声で聴き、想像力や考えて判断をすることが大切だとわかりました。特に性知識はしっかりと身に着けた方がよいと思いました。(高1男子)

 自分は性の知識をそれなりに持っていると思っていたんですけど、講座を受けていると、知らないものばかりだったのでもっと調べなきゃなと思いました。(高1男子)

 正解を疑えと言っていたが、自分は脳の処理量を減らすため、事象について疑い、それを正しいという根拠を考えてこなかったので、これは知っていると決めたらそれ以上疑うことがないことが多いので、治したいと思った。(高2男子)

 相談するではなく、対話の中で答えが見つかる可能性があるという話題、タメになりました。自分は他人を頼ったり相談したりするのが大嫌いなので・・・・・(高2女子)

 コンドームの扱い方も、女だからといって知らない顔をするのではなく、自分の体を守る身として意識していきたいです。(高3女子)

 学校での講演も復活し、このようにいろんな感想をもらう日常が戻ってくると時代の変化というのをあまり感じることはありません。ところが京都で開催された日本エイズ学会で「偏見、差別、誤解」のシンポジウムを開催したり、厚木市立病院で抗HIV薬の院外処方が求められたりする中で、時代が大きく変わってきている、動いている一方で人はなかなか変われないと思わされた年の瀬でした。そこで2024年1月号のテーマを「時代は変わっても、人は変われない」としました。

時代は変わっても、人は変われない

〇人は経験に学び、経験していないことは他人ごと
 今年の日本エイズ学会では多くの方の支援を得て「偏見、差別、誤解」のシンポジウムの座長と発表をさせていただきました。同じメンバーで10月に開催されたAIDS文化フォーラム in 京都でも発表していたので議論を深めることができました。だからこそ言えるのですが、あらためて気づかされたのが「人は経験に学び、経験していないことは他人ごと」ということでした。
 新型コロナウイルス患者への対応で、外国籍の方々への支援で、HIV/AIDSの相談で、HIV/AIDSの診療や普及啓発で「偏見、差別、誤解」にさらされたり、経験したりした人たちが登壇しました。どの方のメッセージも本当に重いもので、フロアは立ち見が出るほどの満員御礼状態でした。参加してくださった方々も口々に「よかった」と言ってくださったのですが、では、このシンポジウムを企画した時に考えていた「HIV/AIDSや新型コロナウイルスでわれわれが経験してきた偏見、差別、誤解を繰り返さないための方策が見つかったか」というと、私自身の答えはNoでした。だからと言ってこのシンポジウムが無駄だったとは思いませんし、すごく意味があるシンポジウムだったと今でも自負しています。
 登壇してくださった方々も、岩室紳也も、次なるパンデミックの際に冷静に対応できるでしょう。というか今回の新型コロナウイルス対策でもそれぞれが非常に冷静、かつ的確に対応されていました。しかし、なぜそのような対応が可能だったかと言えば、それぞれが、それまで様々な経験を通して、自らの中にある、あるいは周囲にある偏見、差別、誤解と早い段階で向き合う経験を重ねてきたからだったように思います。一方で一人ひとりが、それぞれの経験を通して培ったものを他の人に、次の世代に簡単引き継げないのは当たり前と言えば当たり前のことだということも実感させていただきました。

●院外処方は時代の流れ
 いま、医療機関を受診し、薬を処方されるとその処方箋を持って薬局に行き薬を受け取ります。このシステムを「院外処方」と言います。この制度が始まったのは1956年で、当初は医療の質的向上を図るため、つまり、医師の指示した薬に対して、薬剤師がチェックすることによって、 患者の安全性を一層高めることが本来の目的だったとのことです。しかし医療費が高騰し続ける中、医療費を抑制するために様々な取り組みが行われる中、院外処方も医療費抑制策の一つとして重要な役割を担うようになりました。すなわち病院や診療所の中で薬を受け取るシステムだと、より多くの薬を出せば出すほど購入価格と薬価との差額で医療機関が儲かることになります。それに対して院外処方だと医療機関は処方箋代しかもらえないので、余計な薬を出さず、医療費が抑制されるという発想からでした。
 私がHIV/AIDS診療を始めた1994年頃はHIVをコントロールできるような治療薬もなく、次から次へと患者さんが亡くなる時代でした。その後、少しずつ治療薬が開発されたものの、院外処方にすればHIVに感染していることを院外薬局で他の患者さんに知られることへの懸念もあり、多くの病院ではHIV/AIDSの患者さんの薬は院内処方としてきました。また、HIVに感染している患者さんの診療を拒否する医療機関が多かったことから、診療をしている医療機関は医療保険で「ウイルス疾患指導料2」というのが認められ、一定の要件を満たせば月1回5,500円の指導料をもらえるようになっています。
 しかし、時代は変わり、特に大学病院等は率先してHIVの治療薬も院外処方としてきました。一方で多くの病院に感染制御の専門家(インフェクションコントロールドクター:Infection Control Doctor(ICD))が勤務するようになり、厚木市立病院でも大学から派遣される先生たちもHIV診療をしてくださることになりました。大学病院等でHIV診療の経験があり、当たり前のように院外処方をされてきた若い先生から見ると偏見や差別に直面してきた世代の人間が院内処方にこだわってきた理由が理解できないのも当然のことです。

〇変われない自分を見つめて
 時代が変わった。世間はそこまで気にしなくなった。今の流れに合わせるのが基本。と、いろいろ思うのですが、一方で昔はもちろんのこと、未だに自分だけではなく、患者さんが受け続けている不当な扱いを考えると、割り切れない自分がいます。それはおそらく、時代が変わっても、そして変わる前の時代も、変わった後の時代も経験している私は「変わる前の時代のままの人間」、すなわち変われない人間なのだと改めて思いました(笑)。変われない理由は年齢もあるのでしょうが、言い訳に聞こえるかもしれませんが、それ以上に強烈な差別、偏見、誤解を経験してきたから故にしみついてしまったこだわりがあると思います。
 一方で次のような経験を先日しました。HIVの患者さんが急に健康診断書が必要だということで開業医さんを紹介したら偉い剣幕で「HIVに感染している人を紹介してもらっては困る」とおしかりを受けました。U=U、すなわち、治療によって血液中のHIVが検出できない(Undetectable)の状態にある患者さんはコンドームなしでパートナーとセックスをしても相手にうつさない(Untransmittable)ということが常識になっているにもかかわらずそのことが医療関係者の中に浸透していません。でも、変われない岩室紳也がいるのであれば、変わらないこの先生を責めることはできないと思いました(反省)。

●変われる人への期待
 では変われる人とはどのような人なのかと考えると、まだ柔軟性がある若者です。中高生に講演をさせてもらうと、私の言葉を本当に真剣に受け止め、吸収してくれているのが伝わってきます。だからこそメルマガで生徒の感想を毎回紹介させていただいています。その意味でも、これからの余生、講演を通して、変われる人への期待を込めていろんな思いを伝え続けたいと改めて思いました。
 こんなことを考え、書き連ねていたこの年末に、東日本大震災の少し前に亡くなられたHIVの患者さんのご家族から連絡があり、AIDS文化フォーラム in 横浜に多額のご寄付をいただきました。その患者さんは最期までご自宅での生活を希望されていたので、訪問看護、入浴サービス、ショートステイ等々、本当に多くの方に支えられる調整を岩室がしたことに感謝されてのことでした。この患者さんとの日々を振り返るとそれこそ昨日のことのように思い出されますし、東日本大震災と言えば私にとってはほんの少し前に起きたことですが、考えてみれば多くの人にとって東日本大震災は遠い出来事になっています。だからこそ、経験した人が、その経験を、変われる人への期待を込めて伝え続けるのが責務なのだと改めて思いました。
 本年もどうぞよろしくお願いします。

紳也特急 292号

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~今月のテーマ『自分だけ依存』~

●『生徒の感想』
○『依存とは』
●『SNSのありがたさ』
○『依存症の中心には痛みがある』
●『反抗期の痛み』
○『「自分だけ依存」にならないために』
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●生徒の感想
 
 今まで芸能人や大学生が薬物で捕まった、というニュースに馬鹿すぎと思ってたが、その人たちは孤独や同調圧力からなのかと考えるとヤパい奴ではなく、受け止め方が変わって共感したり、身近に感じたりした。(高2女子)

 いつも学校で友達と話している下ネタの話は、ただ面白いだけだと思っていましたが、性のことについて話すことができる友達がいるというのは、とても精神面で大切だということが分かりました。(高1男子)
 
 凄く自分の中で正解が広がりました。お話を聞く前までは、エロいはなしとかになるといつも気まずくなっていました。でも、先生みたいな方がいると知り、そんなことどうでもよくなりました。また二次元について理解があるのは驚きでした。ぜひ語り合いたいです。(高2男子)。
 
 オナニーで相談する男の子との会話も面白くて笑いっぱなしだった。その話の中で、痴漢や強姦のAVを1人で見ていたら勘違いし、犯罪に繋がるケースがあることに驚いた。そんなに男性はセックスをしたいもの?1度男の子の体になって体験してみたい。オナニーじゃ満足しないの、できないの?(高2女子)
 
 先生の引き付けるようなお話のおかげで、考えることが大事なのだと知ることができました。(中3男子)
 
 考えることは本当に大事ですが、皆さんはどのような場面で考える機会を得ているのでしょうか。私は講演の準備をしたり、実際に講演をしたり、さらにはいろんな質問を受けたり、相談を受けたりすることを通していろんなことを考え続けさせてもらっています。講演会も復活し、いろんなやり取りを通して「依存症」について考える機会が増える中、自分だけにしか依存できず、他者に依存できない人が増えているように感じましたので今月のテーマを「自分だけ依存」としました。

自分だけ依存

○依存とは
 広辞苑で「依存」を調べると「他のものをたよりとして存在すること」とありました。確かに子どもの頃は基本的に親に、保護者に、周囲の大人にたよりながら生活、成長していきます。しかし、思春期になればそれまでの依存から脱却する過程として反抗期を迎え、親だけではなく、社会の様々なことに対して疑問を持ったり、反発したりするようになります。ここで参考になるのが熊谷晋一郎先生の言葉ではないでしょうか。
 
 自立は依存先を増やすこと
 
 子どもが成長し、親離れの時期を迎える際に経験する反抗期は、裏を返せば親からは一定の距離を取りたくなる一方で、他の依存先を得て、自立へと向かう過程と考えると納得できます。一方で親離れをしようとする時に、他の人が依存先になるのではなく、ゲームやスマホ、SNS、ネットが依存先になると様々な依存症になってしまうのでしょうか。

●SNSのありがたさ
 実は先月、突然の腰痛を経験し、整形外科に駆け込んでいろんな検査をしてもらいつつ、痛み止めを処方してもらい、何とか仕事をこなしていました。そんなことをFacebookに書き込んだところ、多くの方に心配をしていただく中でストレッチの大切さを教えてくださった先生がいました。実はここが大事で、医療を過信してはいけないということを改めて実感させられました。検査で明らかにここが悪い、ここが原因というのがなかったことから、原因の一つとしてその前の3週間ほどずっとパソコンに向かい、体をほとんど動かしていなかったことを思い出すきっかけになりました。ストレッチをしつつ、主治医に運動不足の話をしたところ(先のアドバイスがなければしていなかったと思います)、腰痛の運動療法として体幹の筋トレを勧められました。ストレッチと筋トレを真面目にやってみたところ、少しずつ改善に向かっています。SNSでこのように大変ありがたいアドバイスをいただけたことに感謝する一方で、もしこのようなアドバイスに接することがなければ、ここまで改善しえなかったと思いました。
 一方で同じSNSを使っていても、SNS依存、スマホ依存、ネット依存になる若者たちも少なくないのが実情です。では、SNSも、スマホも、ネットも、ゲームも、アルコールも、上手に付き合える人と依存症になってしまう人の違いは何なのかを考えていた時に次の言葉を教えてもらいました。

 依存症の中心には痛みがある。
 
 妙に納得できる言葉だと思いませんか。

○依存症の中心には痛みがある
 インターネットの専門家の友人、宮崎豊久さんが教えてくれたEdward J. Khantzianという精神科医の言葉です。早速この先生の著書“Understanding Addiction as Self Medication: Finding Hope Behind the Pain” を取り寄せましたがまだ届いていません(12月末予定)。しかし、このタイトルだけでも多くの示唆をいただけます。
 依存症は自己治療(自己手当)である。すなわち、アルコール依存症も、薬物依存症も、その背景には、その中心にはその人の痛みがあり、アルコールも、薬物も、それこそゲームも、スマホも、SNSもその人の自己手当である。もちろんそれは適切なレベルの手当てではないのですが、ご本人はそれで楽になっているのは何となく納得できます。一方でその痛みを乗り越えるには、痛みの裏に隠れている希望を見つけることが大切であるとも教えてくれています。すごく納得ができるだけではなく、説得力があると思いませんか。

●反抗期の痛み
 いま、反抗期がない若者が増加しているとの指摘が少なからずあります。その理由についていろんな人がいろんなことを言っていますが、子ども、若者自身にとって反抗期というのはある意味「痛み」と表現できると思いました。そしてその痛みから逃れたくて「反抗」をする人たちが多かった時代に「反抗期」という言葉が生まれ、「反抗期の子どもに、若者にどう接すればいいか」を悩んだり、「放っておけ」となったりしていました。反抗期を脱することができた子どもたち、若者たちが自立した状況を見ると、それこそ自分自身のことを考えると、まさしく「自立は依存先を増やすこと」であり、親離れのためには自分の世界を広げることが大事だということが理解できます。で、実際にどうやって自分の世界を広げたか、依存先を増やしたかを考えると、いろんな仲間をいろんな方法でつくってきたでしょうし、昔はその手段は対話、会話を含めた関係性づくりがベースにありました。
 ところが、いま、その反抗期に差し掛かる年齢の時に子どもが、若者が手に入れるものがスマホやゲームです。もちろんスマホを使いながら、ゲームをしながら、SNSで上手に仲間を作っている人もいれば、それが上手くいかず、反抗期の痛みを避ける手段としてスマホ依存、ネット依存、ゲーム依存になる子どもが、若者が少なくないと考えると、何となく納得できませんか。

○「自分だけ依存」にならないために
 依存症の中心に痛みがあるという言葉に学ぶとすれば、痛みをどう乗り越えるかが大事になります。今回、腰痛を乗り越えるため、鎮痛効果が優れているロキソニンを処方してもらいましたし、それで助かった部分もありましたが、当然のことながら鎮痛剤だけに依存していると鎮痛剤依存症になるだけでした。根本的な解決のためにはやはり痛みを回避することが不可欠でした。
 「自立は依存先を増やすこと」の裏返しが「自分だけ依存」と考えると、様々な依存症の根本原因が「自分だけ依存」と言えるのではと思いました。そして「自分だけ依存」にならないためには、いろんなつながりを作り続けるしかありません。でもつながりを「うざい」と感じ、「居心地がいい自分だけの世界」にはまってしまうとなかなかそこから抜け出せません。
 昔のように成長と共に体の内から湧き出た反抗期を一人でやり過ごす手段としてのゲームも、スマホも、ネットもなかった時代は、自ずと仲間とつるみ、気が付けば依存先を増やせたのに対して、今は反抗期さえも経験できない怖い時代になったのかもしれません。自分だけ依存にならないためにも、やっぱり反抗期は大事なようです。

紳也特急 291号

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~今月のテーマ『AIDS文化フォーラム in 横浜の30年』~
●『生徒の感想』
○『薬害・MSM・異性間・刺青』
●『日本と海外の評価の違い』
○『“文化”の2文字』
●『続くからこそ“文化”』
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●生徒の感想

 初めて知ったことがいろいろありましたが、一番びっくりしたのがコンドームに表と裏があったことです。(中3女子)
 
 今までは教科書にコンドームの画像がなく、言葉だけで説明されていることがあったりしてもあまり気にならなかったけれど、今日の講演を聞いておかしいと感じました。単語だけ覚えたり、細かいことをあいまいにするのではなく、すべてはっきりと今日の講演のように教えてもらえることが重要だと思った。感染症対策の話も、換気を気をつけろと言われることがほとんどで、サーキュレーターなどの重要さをあまり感じられていなかったので今日知れてよかった。(高2女子)

 研究・周知・実行の中では一番簡単そうに見える周知にも色々苦労があるって話でしたね。(高2男子)
 
 経験談も混じえた分かりやすい話し方だった。ただ、岩室さんが経験したことが壮絶というか、自分らには考えられないようなことばかりであったためか、大真面目に話していると分かっていても、少し笑ってしまう事があった。ただただ話すことだけ話すのと、そうやって笑いありの話し方では、頭に入る効率というか、集中できる力は全然違うと知った。先生の話し方は、私が今まで体験してきた講習会の講師の中でも一番分かりやすかったと感じています。本日はどうもありがとうございました。(高2男子)

 「岩室さんが経験したことが壮絶というか、自分らには考えられないようなことばかりであった」という言葉にハッとさせられました。確かにこれまで経験させてもらってきたことはあまりにも壮絶で、一般の、素人の方だけではなく、医療の専門家の多くの人たちでも経験できない世界だったのかなと思いました。盟友の夜回り先生こと水谷修さんがよく講演会で「皆さんとは違う夜の世界で生きてきた」と話していますが、確かに岩室紳也も多くの人が経験しない、というか気づくこともない世界を見せてもらってきました。ただ、岩室紳也が経験してきたことを多くの人と共有させていただくだけではなく、その経験の意味を、その経験を深掘りし、学ぶ場がありました。1994年に横浜で始まったAIDS文化フォーラムでした。そこで今月のテーマを「AIDS文化フォーラム in 横浜の30年」としました。

AIDS文化フォーラム in 横浜の30年

○薬害・MSM・異性間・刺青
 30回目を迎えた今年のAIDS文化フォーラム in 横浜のテーマは「未来をみつめて」でした。そのオープニングに血液製剤で感染した薬害エイズの被害者の後藤智己さん。男性同性間性的接触で感染したMSMの奥井裕斗さん。異性間の性行為で感染された北山翔子さんが登壇してくださいました。奥井さんはこれまで他の感染経路の方に会ったことがなかったと話され、会場に来られた方もいろんな感染経路の方が同じステージに登壇されているのをはじめて拝見し、いろんなことを考えさせられたとおっしゃってくださいました。
 HIV/AIDSの診療に当たっているといろんな感染経路の方にお会いするのですが、その内2人の方にAIDS文化フォーラムのステージ上で率直な話をいろいろ聞かせてもらってきました。残念ながら亡くなってしまったパトには何度も登壇してもらい、第1回目のコンドームの正しい着け方講座に始まり、感染した時のセックスは自分で選択(choice)したことだから、その選択に反省点はあっても後悔はしていない、などの視点を教えてもらいました。刺青で感染し、妊娠を契機に感染が判明した石田心さんには刺青での感染が実際に起こり得ることを教えていただきました。一方で、今や医療の進歩で体調に全く問題がなく、本業で大活躍のため、お忙しいのも事実ですが、いまだに顔出しができない、登壇をお願いできない社会状況が続いている現実を突きつけられています。
 このように単にいろんな感染経路の方々だけではなく、その方々の深い思いやその後の生き方を含めて教えていただけていることに改めて感謝するとともに、一人ひとりの思いを伝え続ける役割があると改めて思いました。

●日本と海外の評価の違い
 30回目を迎えたAIDS文化フォーラム in 横浜のオープニングで、今だからこそ気付かせてもらった「日本と海外の違い」がありました。現在エイズ予防財団の理事長をされている白阪琢磨先生が1988年に世界で最初に抗HIV薬であるAZTを開発されたアメリカ国立衛生研究所(NIH)の満屋裕明先生の元に留学されていた時のエピソードを教えてくださいました。夏休みにバーベキューをしていた時、そこに集まった現地アメリカの人たちに「私はAIDSのウイルスの研究をしている」と話したところ、みんなが「お前は偉いな」と感動しながら聞いてくれたそうです。しかし、日本でこのような経験をすることはなかったどころか、AIDSの研究で留学すると話したところ、医者仲間から「帰国しても一緒にすき焼きは食べないぞ」と冗談とは言え言われていたとのことでした。このような経験があり、ちゃんと取り組まなければならない病気だという認識に至ったとのことでした。
 確かに亡くなった私の母親も「もう少しまともな病気を診たら」と言ったりしていましたが、白阪先生の話と合わせて考えると、日本人は自分の思いや価値観がまるで正解であるかのように思い込み、そのことを疑ったり、物事の本質を考えることなく相手に押し付けるところがあるのかもしれません。

○“文化”の2文字
 AIDS文化フォーラム in 横浜のHPにも、毎年の報告書にも次の文言が記載されています。
 
 なぜAIDS“文化”フォーラムなのか。それはフォーラムを医療や福祉の問題だけではなく、HIV感染者やAIDS患者を病気と共に生きる人間としてとらえること、そしてすべての人間が、HIV/AIDSに関わりを持ちながら、日常の生活・社会的活動に関わっているという側面を大切にしたいという考え方で「文化」の2文字を使ったのです。「文化」の2文字を入れたことで、フォーラムの開催プログラムの幅は大きく広がることができました。
 
 今回、30周年を迎えたからこそ、そして近年、コロナ禍を経験したからこそ、この“文化”の重みを感じています。第1回のフォーラムが始まった1994年の時点で私は37歳の若輩者でした。それからの30年の間に出会った、そして別れざるを得なかった多くの方々に、「生きるとは何か」を教え続けてもらっています。
 今年のフォーラムでも薬物使用の経験を持った人たちの話を聞かせてもらいましたが、同じメンバーに毎年登壇していただいているのは、まさしく「『薬物使用者』というレッテルを貼って当たり前という日本社会の中で生きざるを得ない一人ひとりの今」を聞かせてもらえるまたとない貴重な経験だと思ってのことだと改めて思いました。

●続くからこそ“文化”
 正直なところ、「AIDS文化フォーラム in 横浜はいつまで続けるのか?」という思いは自分の中にここ数年常にありました。ただ、30回目の今年のフォーラムでいろんな出会いをいただく中で、自分自身の今年の体験も、気が付けば30年間このフォーラムを続けさせてもらったからこその積み重ねだと気づかせていただきました。HIV/AIDSと、そしてHIV/AIDSに関係する様々な社会と出会ってしまった以上、そこでの自分自身の学びを、それこそ生徒さんに指摘された「岩室が経験した壮絶な、彼らには考えられないようなこと」を伝え続けることが使命だと思いました。
 今年もAIDS文化フォーラム in 横浜の報告書がほぼ完成しましたが、早速来年の第31回AIDS文化フォーラム in 横浜に向けてのディスカッションが始まっています。是非今年よりバージョンアップした出会いを提供できるよう、仲間の皆様と共に頑張ります。30回も開催できたことに感謝申し上げます。ありがとうございました。

紳也特急 290号

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全国で年間200回以上の講演、HIV/AIDSや泌尿器科の診療、HPからの相談を精力的に行う岩室紳也医師の思いを込めたメールニュース! 性やエイズ教育にとどまらない社会が直面する課題を専門家の立場から鋭く解説。
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~今月のテーマ『インフルとコロナはどう違う?』~

●『生徒の感想』
○『なぜ季節外れのインフル?』
●『加湿が効果的な理由』
○『コロナの後遺症は侮れない』
●『免疫持続期間の違い』
○『これからのウイズコロナ、ウイズインフルを考える』
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●生徒の感想

 先生がおっしゃられたように、正しい感染経路を理解していればマスクよりもずっと有効だという話は新鮮でした。とりあえずマスクをしていればいいんだなと思っていたので、正しい感染経路を知ることから始めようと思います。(高2女子)

 今日の講演をきいて、ウイルスが少し体内に入っただけで感染するわけではないということが初めて知ったことだったので、自分が正しいと思っていた知識はもしかしたら違うかもしれないという意識をもって過ごしたいです。極端にいろいろ避けるのではなく、体内に入ってくるウイルスを減らすという感染対策はまだ浸透していないけどとてもいいなと思いました。(高2女子)。

 日本人はまわりに合わせる民族なので、何かを広めたりしたいときは、誰かが一人行動を起こして、ゆっくり変えていくしかないと聞いて、自分もまわりに流されずに考えて行動しようと思いました。(高2女子)

 感染症に関して、考えれば納得できることも多くて面白かったです。(高2女子)

 私はいつも見ているテレビが完全なものだと思っていたし、教科書に書かれていることで十分な知識が得られると思っていました。しかし、先生がおっしゃっていたことのほとんどを知りませんでした。改めて情報を正しく知る大切さを知ることができました。今後は伝えられている情報以外に知っておくべきことはあるかを考えながら生活していこうと思います。(高2女子)

 今までのコロナに対する常識とは違う話をしてくださって、普通に考えたら当たり前だったけど、今まで考えたことなかったことを考えることができてよかったなと思いました。また、日本人の性格(同調圧力とか)が原因となって、今現在起こっていることがたくさんあると感じました。(高2女子)

 「考えたことがなかった」という感想をよくいただきます。インフルエンザが9月なのに目立って増えていますが、「なぜ、今なのか?」という話も聞きません。一方でテレビに登場される先生方は「これからの季節は乾燥が進みますからインフルエンザが広がりやすくなります」とコメントされていますが、「なぜ乾燥が進むとインフルエンザが広がりやすくなるのか」の説明はありません。ちょうど一年前の278号で「インフルエンザに学ぶ」を書かせていただきましたが、新型コロナウイルスの出現で感染経路等々について様々なことがより詳しくわかってきた一方で、インフルエンザと新型コロナウイルスの共通点や違いが必ずしも理解されていないようにも思います。そこで今月のテーマを「インフルとコロナはどう違う?」としました。

インフルとコロナはどう違う?

○なぜ季節外れのインフル?
 今回のタイトルを考える前に、そもそもなぜ日本の、北半球のインフルエンザが冬場に急増し、夏場はほとんど患者がいないのに、東南アジアでは年中同じ程度の感染者がいて、南半球では流行はほぼ逆のパターンなのに年中それなりに感染した人が確認されるのでしょうか。
 北半球では年末年始から春にかけて、クリスマス、忘年会、お正月、新年会、春節、歓送迎会と人が集まり、お互いにインフルエンザをうつし合う機会が増えます。実際、2009年の夏場に流行した新型インフルエンザがその翌年から他のインフルエンザと同じような流行の仕方をしたのも、翌年の抗体検査の結果から、他のインフルエンザ同様の抗体保有率だったことが証明されています。
 裏を返せば、冬場にしっかりみんなが密になり、多くの人が感染して抗体を、免疫を持っていなければ今年のように集団免疫が早く切れ、夏場からインフルエンザが流行しても全く不思議ではありません。

●加湿が効果的な理由
 これまで、インフルエンザやいわゆる風邪と呼ばれていた他のコロナウイルス感染症の予防に「加湿が有効」と言われてきました。私もなんとなく「のどの粘膜を保護するのだろうか?」と素人的に考えていましたが、新型コロナウイルスのお陰でその理由が科学的、視覚的に紹介されました。
 富岳で( https://www.youtube.com/watch?v=QOzGDi5waJQ :15:26以降)湿度が低いと小さな飛沫(エアロゾル)が増え、湿度が高いとすぐ落下する大きな飛沫が増えます。すなわち、加湿することで浮遊するエアロゾルが減ります。また、加湿とエアロゾルの関係が明らかになったことで、インフルエンザの感染経路としてエアロゾル感染を意識する必要性が再確認されたと言えます。
 ただ、これまでインフルエンザ対策として行われてきた加湿は冬場の暖房との併用だったので何となく受け入れやすかったのですが、年中流行するコロナや夏場のインフルエンザ対策としてどこまで受け入れられるかは未知数ですし、いろいろ考える必要があるようです。

○コロナの後遺症は侮れない
 コロナ禍の最中、多くの人がコロナの後遺症のことを気にしていましたが、今はどうでしょうか。いつも「人は経験に学び、経験していないことは他人ごと」と言っていますが、本当にその通りだと思いました。というのも、私の仕事仲間でまだ40代の方が少し前に新型コロナウイルスに感染し、未だに味覚障害が残り、体のだるさを訴え続けています。もはやコロナはただの風邪になったと言い切っている人もいますが、決してそうではありません。感染予防を、発症予防をこれからも徹底し、体内に取り入れるウイルス量を少しでも減らす工夫をし続けたいと改めて思いました。

●免疫持続期間の違い
 2022年の年末から増え始めたインフルエンザは例年ほどの流行ではありませんでしたが、定点当たりの感染報告数はちゃんとした波になっていました。その後夏場にかけてインフルエンザは例年ほど減少しませんでしたし、コロナ禍前より早く9月になってから急増し、夏休み明けの学校で学級閉鎖、学校閉鎖が相次いでいます。
 一方で新型コロナウイルスは9月になってやっとピークを超えましたが、第8波までの状況を見れば、減少したかと思うとまた増加に転じ、インフルエンザのように低い状況が続く期間がほぼないことが見えてきました。すなわち、感染が広がることで得られる個人の免疫力はもちろんのこと、集団の免疫力もインフルエンザほどは長く持続しないようです。
 ちなみにインフルエンザが冬場にしっかり流行し、集団免疫を獲得した年を見ると、約26週間、約6か月は集団免疫が持続されていました。

○これからのウイズコロナ、ウイズインフルを考える
 コロナ禍前の日本人はインフルエンザに対して、あまり意識することなく、というか意識していなかったからこそ結果としてウイズインフルができていました。ワクチンをする人、マスクをする人、加湿をする人がいつつも、結果的に冬場の感染拡大を、3,000人前後が亡くなることを容認しつつ、集団免疫を獲得して夏場を乗り越えていました。
 ところがコロナ禍で日本人が選択したのは「とにかく予防」でした。その結果、今年のインフルエンザが示しているように中途半端な免疫の獲得につながり、結果的にはインフルエンザが短い周期で流行する状況となっています。もちろん新型コロナウイルスが流行を繰り返している状況は言うまでもありません。
 実は岩室紳也は医者になってからこれまで、一度もインフルエンザのワクチンを打っていませんし、インフルエンザを発症したこともありません。もちろん「感染したことはない」と言っているわけではありません。私はこれからのウイズインフルも、ウイズコロナも、とにかく体内に入れるウイルス量を減らし、上手く行けば感染予防になり、仮に感染したとしても発症が予防できることを期待して、できるだけの感染予防対策を心掛けつつ、多くの人との交流を楽しみたいと思っています。皆さんはどうされますか?

紳也特急 289号

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~今月のテーマ『権利とrights』~

●『生徒の感想』
○『権利とrightsの違い』
●『選択できるか否か』
○『個人の選択、rightsを奪う他者の価値観』
●『床オナとrights』
○『選択ができる環境の確保を』
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●生徒の感想

 保健体育でエイズ、性感染症について学びましたが“自分の身を守るため”と言われたとき、正直言って全然ピンとこなかったです。性的行為を自分が将来するとは思えない。だからエイズにはかからないだろうと思っていたので他人事のように効いていました。ですが、今回岩室先生のお話を聞いて、自分にもかかる可能性は大いにあるんだ。知っておくことはとても大事なんだ、と思えました。(中3女子)

 岩室紳也さんは性行為という公共の場では言いづらい話において、多くの人が勘違いしていることに対して、何とかマスコミを通して正しい知識を伝えようとしている姿に感動し、自分もそういう人になりたいなと思った。(高2男子)。

 男女合同で性教育お行うことがなかったりして、日本は性教育に抵抗があるみたいな話をこの間テレビで取り上げられてて、自分自身も男子のことについて全くと言っていいほど知らなかったり、抵抗があったので、そういう講演が行われる機会があったらいいなと思ってたら、ちょうど行われて、いろいろなお話がきけて良かったです。(高2女子)

 新型コロナ対策の感染経路の話で、言われたら確かそうだなと思ったこともあったので、どんどん広めて欲しいです。(高2男子)

 マスコミは問題の根本(例えばコロナはどこから来ているのか)をとらえないで報道をしていると感じていた部分があったが、それが今回きれいに言語化されて、とてもすっきりした。マスコミは科学情報を得る場ではないというのに納得した。今日の話を頭に刻みたい。(高2男子)

 先月、日本思春期学会の「男子のリプロダクティブヘルス・ライツ」というシンポジウムに登壇させていただきました。私に与えられた演題は「ポストコロナ時代に考える男子のリプロダクティブ・ライツ」。この分野のことをご承知の方は「リプロダクティブヘルス・ライツ」というのはこれまで女性の問題として議論されてきました。しかし、今回、「男子」「男性」という視点で切り込みたいということで自分なりにいろんな角度から考えてみました。この投げかけから本当に多くの学びを得ましたので、今回のテーマをズバリ「権利とrights」としました。

権利とrights

〇権利とrightsの違い
 多くの人は「権利」と「rights」は単に日本語と英語の違いではと思っていないでしょうか。小学校6年間を英語圏のアフリカのケニアで過ごした経験から、何となくそれぞれの言葉から受けるイメージが違うなと思いつつ、多くの日本人に合わせて深く考えないようにしていました。しかし、Maslow’s hierarchy of needsがマズローの欲求5段階説と誤訳されていたことに気づかせてもらってから、日本語と英語のニュアンスの違いを意識しつつ、言葉の意味の違いから文化の違いをも考えるようになりました。
 広辞苑で「権利」を調べると次のように書かれています。
?一定の利益を主張し、また、これを享受する手段として、法律が一定の者に賦与する力。
?ある事をする、またはしないことができる能力・自由。
 一方でOxford Dictionaryで「right」を調べると[countable, uncountable] a moral or legal claim to have or get something or to behave in a particular wayと書かれています。
 「主張」と「claim」は一見同じように思われますが、「claim」はどちらかと言うと「主張」というより「要求」のように思っています。さらに「享受」はかなりレベルの高い話ですが「have or get」は結果的に手に入ったか否か、すなわち選択できたか否かという話ではないでしょうか。

●選択できるか否か
 思春期学会のシンポジウムを掘り下げるべく、先月開催された第30回AIDS文化フォーラム in 横浜で思春期学会のシンポジウム「男子のリプロダクティブヘルス・ライツ」の登壇者によるトークセッションを開催しました。そこで学ばせていただいたことは、rightsとは選べる、選択できることだということでした。
 これまで自分自身がrightsを正しく理解できていないかった理由は「権利」と言うと「義務」が付いてきたからでした。すなわち何らかの権利を主張するにはそれ相応の義務を果たす必要があるという刷り込みが正しい理解を妨げていました。しかし、rightsは選択できることと理解できるといろんなことが腑に落ちました。
 例えば日本では異性愛者は「結婚」という制度を選択できます。しかし、なぜ同性愛者は「結婚」という制度を選択できないのでしょうか。そもそも他人だった二人が、一緒に生活をし、財産を一定程度共有する結婚制度というのは、その二人やその子どもたちの様々な生活を安定させ、保障するための制度です。なのにどうして「同性愛者」というだけでその選択をすることが出来ないのでしょうか。

〇個人の選択、rightsを奪う他者の価値観
 同性愛者が結婚制度というのを享受できない理由は明らかで、「同性愛」を認めたくないという人たちの価値観でしかありません。そのような価値観を持つこと自体を否定するつもりはありませんが、「価値観」と「rights」を同レベルで考えていいのでしょうか。
 一方で民主主義は多数決で決まるので、ある意味価値観の争いと言えます。ただ、大事なことは「価値観」を超えたものとして認めなければならないのが「rights」、「権利」、「人権」のはずですが、いまだに根強い人種差別を含め、「rights」、「権利」、「人権」を浸透させることは実は至難の業なのです。

●床オナとrights
 難しい話はさておき、思春期学会のシンポジウムで一番の議論は「床オナ」でした。
 読者の中の男性にお聞きします。「あなたはどうやってオナニー、マスターベーションを覚えましたか」。おそらく多くの男性は「自然に」と答えるでしょうから、「どのような状況を自然と表現されているのでしょうか」と切り込むと「覚えていない」となるのではないでしょうか。
 岩室紳也がオナニー、マスターベーションを覚えたのは桐蔭学園の寮生活でした。同室の仲間から「岩室、オナニーって知っているか?こうやるんだ」と布団越しでしたが何となくやっていることが理解できました。しかし、イマドキの男子はそのような話を仲間とすることはありません。では、どこで、どのような場面でオナニー、マスターベーションを覚えればいいのでしょうか。ある意味自然な形で、朝立ちをした際にベッド等にこすりつけ、結果的に射精ができ、それをオナニー、マスターベーションと思ってしまうのです。では、正しいオナニーを知る、学ぶrightsというのをどう考えればいいのでしょうか。

〇選択ができる環境の確保を
 少子化が問題視されているにもかかわらず、国会では次のような議論はありません。
 
 A議員:総理、厚生労働大臣、文部科学大臣に伺います。手を使った正しいマスターベーションができない若者が増え、床オナ率が増加していることで膣内射精障害による不妊症が少子化の原因の一つという指摘があります。仲間でマスターベーションを教え合う環境がなくなっているのであれば、教科書等に正しいマスターベーションの仕方を記載し、保健体育の中で教える必要があるのではないでしょうか。
 K総理:様々な立場のご意見をお聞きした上で、慎重に検討し、善処したいと思います。
 
 正しいマスターベーションとは何かを知り、それを選択するか否かを自分自身で決定できるための環境整備こそが今の若い世代のrightsではないでしょうか。床オナ注意報発令中を訴え続けましょう。

紳也特急 288号

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~今月のテーマ『「当たり前」って何?』~

●『生徒の感想』
○『一人ひとりの土俵を否定しない』
●『障がい児者の性』
○『性で学ぶ社会性』
●『ダメ絶対を教えるべきか?』
○『当事者の土俵の当たり前を』
●『2023AIDS文化フォーラム in 横浜』
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●生徒の感想
 
 母から「生理周期を記録しとけ」とこっぴどく言われていましたが、その意味を知ることができた講義でした。ちゃんとカレンダーに記録していこうと思います。(高2女子)
 
 コンドームの達人に会えて光栄です。私が襲名したい所存。コンドームの練習とAVを使わないことを意識してこれからのオナニーライフを豊かにしていきたいです。(高2男子)
 
 私はボーイズラブが好きないわゆる腐女子なのですが、漫画などで受けの方が「つけなくていいよ」とかいうのは嘘なんだなとわかりました。勉強になりました。(高2女子)

 保健の授業よりも赤裸々に話をしていただけたので、わかりやすかったです。(高2男子)
 
 義務的な話をするのではなく、なぜどうしてかが分かりやすく、とても面白かった。(高2男子)
 
 人生の営みの大部分、学校では教えてくれないのだなと思いました。人生の楽しみを少しずつ増やしながら、先生に教わったことをインストールして生きていきたいと思います。(高2男子)
 
 中学の頃も岩室紳也さんからお話を聞いたことがあり、高校生になって聞くとまた違うものだなと感じました。話も巧みで聞きやすく、ためになりました。人は人と話すことで癒される、この言葉はこれからも大切にしたいです。(高2男子)
 
 何気ない感想ですが、これらの感想の意味を外来に通っている知的障がい、発達障がいと言われている患者さんたちが教えてくれました。そこで今月のテーマを『「当たり前」って何?』としました。

「当たり前」って何?

〇一人ひとりの土俵を否定しない
 私の性教育だけではなく、コロナ対策の話も岩室紳也にとって当たり前のことをただただ経験に基づいて伝えているだけです。しかし、感想からもわかるように、結果として岩室の視点だけではなく、いろんな角度から物事を見ることができ、何が大事か、何がおかしいかということに気づいてくれていました。
 お母さんから「生理周期を記録しとけ」とこっぴどく言われていても、同じことを他者の視点から、しかも男性、異性の医師から言われると腑に落ちるのでしょう。コンドームの練習とAVを使わないことを意識して、これからのオナニーライフを豊かにするというのはオブラートに包まない、かなりストレートな話をしないと気付かないことです。漫画などで受けの方が「つけなくていいよ」とかいうのは嘘を誰が教えてくれるのでしょうか。このような気づきをしてもらえたのは、保健の授業よりも赤裸々で、かつ義務的な話ではなく、なぜどうしてかが分かりやすだったからのようです。そして結論として、人生の営みの大部分について学校では教えてくれないし、同じような話でも中学生で聞くのと高校生になって聞くのとでは違うのです。
 どの感想もその人にとって大事な気づきですが、それは真正面から彼らと向き合ったからこそ、彼らの土俵を否定しない話だったからこそ気づいてもらえたのだと思います。すなわち、当たり前とは、いろんな人がいて、いろんな考え方が飛び交う中で、一人ひとりが自分自身の土俵の上で生き方を選択していける社会ではないでしょうか。
 
●障がい児者の性
 では、本当に一人ひとりの土俵が尊重されているのでしょうか。私の外来には障がいを抱えている方が何人も通院されています。これまでも多くの障がいをかかえているひとたちとの関りを含め、「障がい児者の性」について講演をさせていただいています。そしていつも私の話を聞いて「できることをすればいいのだとわかって気持ちが楽になった」との感想をいただいています。
 そんな私ですが、最近、立て続けに障がいを抱えつつ成長している方々との関わりの中でハッとさせられることが続きました。
 
 Aさん本人から:岩室先生、女の人の性器はどうなっているのでしょうか?
 
 岩室からBさんへ:私もだけど、女の人のおっぱいを触りたくなるよね。
 
 このようなやり取りについて皆さんはどう思われますか。健常者だって同じ思いになりますよね。でも、その思いが反社会的な行為にならないよう、皆さんはどのようなステップで学習したり、邪念を打ち消したりしてきたのでしょうか。
 
〇性で学ぶ社会性
 女の人の性器について聞いてきた彼で一番びっくりしたのが、いつも一緒に来ているお母さんに「外に出て待ってて」と言ったことでした。いろんな事情から母子家庭だった彼にとって母親は常にそばにいる、いて欲しい存在だったのですが、初めて岩室と一対一の場を自分から求めました。おそらく健常と言われる人であればとっくの昔にその感覚を学習していたのですが(と書きつつ、そうではない人たちを多数見てきましたが)、彼はかなり大きくなるまでその感覚に至れなかったのです。今回の彼の行動を見て思ったのが、私の外来に通い続け、一定の信頼関係を築いていたからこそ彼が主張できたのだと思いました。健常と言われている人たちが当たり前のように経験していることは、実は当たり前ではなく、いろんな要素が複雑に絡み合ってはじめて当たり前になっているようです。

●ダメ絶対を教えるべきか?
 女性のおっぱいを触ってしまったという彼はかなり重度な障がいを抱えています。私の外来に入ると最初にするのが、診察台にうつぶせになり、腰を上下動させることです。これは年齢でいうと中学校高学年ぐらいから始まり、20歳を超えた今でも続いています。しかし、その行為をする彼の表情は私の勝手な想像ですが「岩室先生の前だからしているんだよ」という雰囲気です。でもその都度、私が「ここではいいけど、他でしてはダメ」と叱るとなんとなく嬉しそうにしていました。
 その彼のお母さんから女性のおっぱいを触ってしまったので何とかしたいという相談を受けました。もちろんお母さんもお母さんなりに考え、子ども向けの絵本を購入し、そこに書いてある「『相手が嫌がることをしてはいけません』というのを教えた方がいいでしょうか」、と聞かれました。もちろん反社会的な行動をすれば犯罪者になり、その社会で生きていけなくなるのが今の日本です。しかし、「ダメ、絶対」を教えたから彼が、他の人たちがその行為をやめられるでしょうか。答えはNoですよね。
 では、岩室はどうしたか。まず、「岩室先生も女の人のおっぱいを触りたくなるよ」と伝えました。ただ、言葉でのコミュニケーションだと、彼もどこかごまかすことがあるので、敢えて電子カルテに「どうして女の人のおっぱいを触ってしまったのでしょうか」と書くと、その文字を読み、考えていました。いまさらながらと反省していますが、彼は聞き言葉より読み言葉、文字の方が入るようでした。今回の外来ではここまでしか到達できなかったのですが、一定の前進があったと実感しています。

〇当事者の土俵の当たり前を
 健常者は、マジョリティ側はつい自分の土俵の「当たり前」で考えがちです。しかし、自分とは異なる障がい者やマイノリティの方と接する時だけではなく、他の人と意思疎通を図るには相手の土俵の中の当たり前探しが求められるのだといまさらながら学ばせてもらいました。最近は少し様子が変わってきましたが、健常者は思春期に同じ関心を持った同年代や先輩から性について学習する機会をもらいます。しかし、障がいを抱えていると、そもそも性に芽生える時期にも個人差がありますし、性的な欲求について仲間等から学ぶ機会も少ないですし、性的な欲求とどう向き合えばいいかについて日常の交流の中で学習する機会が非常に限られています。
 だからこそ、できる人が、もっともっと試行錯誤しながら、一人ひとりに合致した学びの環境を模索する必要があると思いました。その時に大事なことは、障がい者やマイノリティの方々の当たり前とは何かを意識し続けることだといまさらながらの気づきをいただきました。

●2023AIDS文化フォーラム in 横浜
 8月4日(金)~6日(日)に30回目を迎えたAIDS文化フォーラム in 横浜を開催します。
 久しぶりに対面で多くの人にお会いしたいと思っています。YouTube配信するプログラムもありますが、ぜひ会場でお目にかかりましょう。よろしくお願いします。

紳也特急 287号

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~今月のテーマ『理解ではなく受容を』~

●『生徒の感想』
○『理解できない「自分の性」』
●『自分のことは棚に上げたい』
○『花柳病から性感染症へ』
●『エビデンスが言い訳に』
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●生徒の感想
 
 今回の講演を通して、性に関する知識だけではなく、人として自分の知らないものに対する考え方や向き合い方、人との関り方など多くの学ぶべきことがあった。多くの様々待考え方の人と出会ってきた先生の話はとても面白く、貴重な時間だった。(高2男子)
 
 テレビでは聞けないような刺激的で面白い講演で、自分一人しかいなかったらば苦笑していたと思います。自分から性について学ぼうとすることは何となく後ろめたく感じて今まで言葉を聞いたり、知ったりしても調べることができませんでしたが、今回の講演で自分はもう知らなくてはいけない時期であったことに気づかされました。この機会がなければ自分の中の偏見に流されて、この大事な情報を知るのが遅くなっていただろうと思います。これからは世間の風潮や偏見に影響されず、自分で決定して行動しようと思いました。(高2男子)

 知らないことばかりでした。性には「穢(けが)れる」という言葉が似合うと思っていたけど違いました。人間の繁栄に必要なことなんですね。(高2男子)

 自分はゲイが20人に1人ということを見事に勘で当ててしまいましたが、今日のお話は知らないことが大変多く先生の良いお話が聞けて良かったです。先生の話を聞いて、人との関わり方、女性への接し方を再認識することができました。そして先生のようにコミュニケーション能力をあげていきたいとも思いました。まだまだ未熟者ですがこれから沢山のことを挑戦して経験して人として社会に出られるように精進して参りたいと思います。大変勉強になるお話をして頂きありがとうございました。先生に言われた通り宝くじも買ってみようと思います。(高1男子)

 コンドームの達人という名前でどんな変な人なのだろうかと、勝手に思っていたのですがとてもちゃんとしている人でとても面白いお話でした。とてもいい声ですっと耳に入ってきました。話し方もとてもうまかったです。コンドームの柄のネクタイがとても印象に残りました。20分の1でゲイというのは思っていたよりも多くて驚きました。(高1男子)

 僕は軽度の色弱であり、小学校の頃は動物を虹色に塗ったり、ピンクの可能性がある僕には赤や水色に見える色をなるべく使用せず、黒の服ばかり着たりして、色弱ということをできるだけバレない様にしてきた。しかし、今はそれを皆とは違う世界が見える。二十人に一人の逸材とはまでは言わないがそれを個性として考えるようにした。それからは色弱であることを隠さず、一種の話題の種にしたり、困ったことがあったら友達に頼んだりするようになった。
 同性愛は色弱より複雑でデリケートなことであるため、まだ世の中では認められていない側面がある。同性愛を個人が持つ個性として受け入れられることは難しいかもしれないが、一人でも多くの人がそれに対し寛容になることが大切である。その為には皆が同性愛についての知識を身に着けることが必要である。僕個人も今回の講演を聞き、新たに得た知識が多々あり、理解が深まった。また、日本の法律で同性婚を容認することも対策の一つではないだろうか。まず個人としてではなく国として認め、それが一人一人に浸透していく。これこそが同性愛が受け入れられる近道であり、第一歩になるのではないかと考える。(高1男子)
 
 最後の感想にあるように、同性婚を国が認めることが第一歩と高校1年生が言っているにも関わらず、今回、「LGBT理解増進法」なるものが成立しました。そこで今月のテーマを「理解ではなく受容を」としました。

理解ではなく受容を

〇理解できない「自分の性」
 LGBT理解増進法のおかげで話が大変しやすくなりました。「皆さんは恋人を作るとしたら異性がいいですか、同性がいいですか、両性がいいですか」と聞いた後に、「では、なぜその性の人がいいのかを考えてください」と投げかけます。
 多数派の異性愛者の方は「なぜ異性の人がいいのか」と聞かれても説明できません。さらに「じゃ、異性であれば誰でもいいですか」と言われると「とんでもない」となります。すなわち、自分がなぜ異性が好きなのかを自分自身が理解も説明もできないだけではなく、異性の中でも限られた人を好きになる理由もわからないですよね。少なくとも私はそうです。ただただ、自分が感じていることをそのまま受け入れている、受容しているだけではないでしょうか。なのにどうして「LGBTを理解しましょう」という上から目線になるのでしょうか。この言葉こそ理解できません(笑)。

●自分のことは棚に上げたい
 最近、「なぜ梅毒をはじめ様々な性感染症が増えているのですか」と聞かれるので次のように答えています。
 
 性感染症を持った人と性交渉を持つから
 
 「そんなことはわかっているが、そもそも性感染症をもらう人ともらわない人の違いは何かを教えろ」とお叱りを受けます(笑)。しかし、HIV/AIDSをはじめ、様々な性感染症をもらってしまった人たちを診てきた立場で言えることは上記の言葉だけです。感染する人たちの職業等は医師、助産師、看護師、教師、警察官、公務員、普通の主婦、まじめな大学生、高校生、中学生、等々で、皆さんの周りにいる多くの方が性感染症に罹患しています。
 「そもそも性感染症に罹患する人はどのような人」と考えてしまう方はご自分のことは棚に上げたい、自分だけは性感染症の世界は他人ごと、性感染症にならないと考えている正解依存症ではないでしょうか。

〇花柳病から性感染症へ
 性行為でうつる感染症は今でこそ「性感染症」と呼ばれていますが、呼称の歴史をたどると面白いことに気づかされます。芸娼妓の社会を総称した花柳界で蔓延した病ということから1905年に「花柳病」と命名されたのを皮切りに、1948年に性病予防法が施行され「性病:Venereal Disease」になりましたが「性産業」のイメージが残ったままでした。1975年に「性行為感染症:Sexually Transmitted Disease(STD)」になりましたが、やはり昔からのイメージは払拭されませんでした。1988年の性感染症学会設立に合わせて「性感染症」になり、1998年にWHOがSTDをSTI(Sexually Transmitted Infection)に変更し、1999年に性病予防法が廃止され感染症法に含まれることになりました。
 日本の呼称は「花柳病」、すなわち性産業従事者や性産業のイメージを引きずっているのですが、英語表記は病原体の移動様式、すなわち誰もが行う性行為という点に着目し続けています。実際、子宮頸がんの原因であるヒトパピローマウイルスは性行為で男性の亀頭部から女性の子宮頚部に感染します。しかし、厚生労働省のホームページには次のように記載されています。
 
 ヒトパピローマウイルス(HPV)は、性的接触のある女性であれば50%以上が生涯で一度は感染するとされている一般的なウイルスです。
 
 キスも性的接触ですし、この一文を読んで自分ごととしてHPVを受け止め、「あっそうか。彼氏とセックスをしたから私もHPVに感染している可能性があるんだ」と思う人はどれだけいるのでしょうか。私でしたら次のように表現します。
 
 ヒトパピローマウイルス(HPV)は、妊娠を望む人を含め、コンドームを使わない性行為を行うことで子宮頸部に感染する可能性があるウイルスです。
 
 この一文だけだといろんな反論が来ることは承知していますが、それだけ感染症を伝え、自分ごとと思ってもらうことは難しいことだということが伝わればと思っています。
 

●エビデンスが言い訳に
 梅毒のような性感染症をもらうのも、もらわないのも、自分がセックスをした相手の、相手の、相手の、相手の、相手の、をさかのぼった時に、感染の連鎖が起きたか起きなかったかの違いだけです。タイムラグが小さく、感染蔓延が起こりやすいのが性産業ですが、その性産業を利用している人の多くが非性産業従事者で、その利用者から次なる非性産業従事者にうつります。
 多くの人が欲しい情報は「自分だけは大丈夫」という言い訳、エビデンスです。だからこそ、実態として性産業従事者や利用者、MSM(男性とセックスをする男性)に多いというエビデンスがあっても私はあえてそれは伝えません。なぜなら勝手に解釈されて自分だけは大丈夫という言い訳にされてしまうからです。
 「新型コロナウイルスはマスクで防げることがある」というのはエビデンスですが、その情報の結果、「マスクをしているから大丈夫」と考えることを放棄した人たちを、マスクが外せない日本人を生んでいると思いませんか。感染症対策では中途半端なメッセージは百害あって一利なしです。
 
 梅毒やサル痘(モンキーポックス)にはコンドームは無効です。肌と肌が触れ合うだけで感染します。
 
 この単純なことを伝え続けることで、「コンドームで防げないならどうしよう」と考え、結果として感染したとしても比較的早期に受診してもらえれば次なる感染拡大の抑止になる人が生まれると考えています。このように、これからも自分ができる範囲で伝え続けたいと思います。講演依頼、待っています。

紳也特急 286号

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全国で年間200回以上の講演、HIV/AIDSや泌尿器科の診療、HPからの相談を精力的に行う岩室紳也医師の思いを込めたメールニュース! 性やエイズ教育にとどまらない社会が直面する課題を専門家の立場から鋭く解説。
Shinya Express (毎月1日発行)
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~今月のテーマ『不要不急の外出はない』~

●『生徒の感想』
○『きょうよう、きょういくの大切さ』
●『犯罪予防も健康づくりの視点で』
○『自分の責任を考える難しさ』
●『バナナ320本で死ぬ』
○『対話で確認を』
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●生徒の感想
 
 岩室先生はたくさん経験して、たくさん失敗して、失敗したことにしっかり気づいて、そこからたくさん学んで今につながっていてすごいと思いました。(高2女子)
 
 「3密を避けろ」と言われ続け、当たり前のことなのに、「背中合わせで話せばOK」ということを考えてすらいませんでした。(中3男子)
 
 成績を伸ばすためには先生の話をよく聞けばいいという話は本当にその通りだと私も感じました。英語や数学は全然聞いていないのでテストの点が悪いけれど、自分が好きな教科は死ぬほど集中して先生の言葉を一言も逃すことのないように聞いているので、比較的テストの点もよいんだろうなと納得しました。(高2男子)
 
 オンデマンド授業になった当初は朝早くに起きて学校に行かずに済んで良かったと思っていたが、一か月ほどで一人家にいることに退屈さを感じてきた。久々に登校したのはテストの日であったが、次の日も試験があるにも関わらず友達と1時間も立って話したのは思い出深く、人と触れ合うことの幸せを痛感したあの感覚は今でも鮮明に覚えている。誰かと話せる環境や自分の居場所があるだけで多くの人が壁を乗り越えられると思う。つまり、“不要不急の外出”は人間の本質的には存在しないのではないかと私は思う。外に出て日光を浴びて人と会って話すことは人間が生きていく上で必要なことである。(女子学生)
 
 情報を受け入れつつ、友人に話して自分の認識が合っているのかを確かめることが大事とおっしゃられていたことが印象的でした。(高2女子)
 
 一見つながらない感想を羅列したように思われたかもしれません。しかし、私の中ではどれも自分自身が経験してきた事象につながり、最終的には今月のテーマにもつながりました。失敗や悔しい経験に学ぶことは容易ではありません。学ぶためには何より人の話を聞きながら考え続けることです。そのためにも人と会い、自分の考え方との相違に気づけると次なる道が開かれます。
 “不要不急の外出”は人間の本質的には存在しない。本当にその通りです。コロナ禍で繰り返し発信し続けられた“不要不急の外出は控えてください”というメッセージが世の中の様々なトラブルの根底にあるのではと思えます。そこで今月のテーマを「不要不急の外出はない」としました。

不要不急の外出はない

〇きょうよう、きょういくの大切さ
 5月はこのメルマガを発行し続けてくれている渡部さん、陸前高田市の戸羽太前市長、THINK ABOUT AIDSというラジオ番組を長年続けてきた仲間をはじめ、いろんな人と飲む機会をいただきました。コロナ前だったら当たり前の飲み会が制限され、閉店に追い込まれた行きつけのお店もある中、カールロジャーズの言葉、「人は話すことで癒される」を痛感しています。一つひとつの出会いが「不要不急」ではなく「必要不可欠」であり、きょうよう、きょういくの大切さを再認識しました。教養、教育ではなく、今日の用、今日行く所があって初めて人はこころを病まずにいられます。少なくとも私はそうだと思いました。
 
●犯罪予防も健康づくりの視点で
 長野県中野市で4人が亡くなられた事件。犯人が被害者の女性が「独りぼっちをバカにした」と一方的に恨みを抱いたと報道されています。裏を返せば本当に独りぼっちだったのでしょう。犯罪報道でマスコミは常に「動機は?」という視点で原因を探りますが、今回の事件に限らず、京アニ事件、津久井やまゆり園事件、座間の9人殺害事件、秋葉原事件、等々、多くの人が理解に苦しむ殺人事件が繰り返されています。もちろん犯人が悪いのですが、これらの犯罪を予防するという視点はほとんど聞きません。敢えて聞くとしたら厳罰化ですが、死刑以上の厳罰が無い以上、別の方法で予防を考える必要があります。紳也特急216号で「犯罪予防も健康づくり」を書かせていただきましたが、未だにそのような発想は広がりを見せていません。

〇自分の責任を考える難しさ
 新型コロナウイルスが5類となり、定点把握のデータでも再び感染者数が増え始めています。感染者数を増やさないためには、全員が感染経路対策を徹底するか、80%以上の人が感染かワクチン接種のいずれかで免疫を獲得するかしかありません。
 新型コロナの予防を考える上で宮崎や大分の高校で500人規模のインフルエンザの集団感染が起きたことに学びたいものです。コロナもインフルも感染経路は同じで、これだけ大規模な感染が起きたということは、500人がお互いに飛沫を掛け合ったり、落下した飛沫やエアロゾルでの接触(媒介物)感染が起こったりしたとは考えられません。今回はエアロゾル感染対策が不十分な環境を共有していたと思われます。その理由として考えられるのが、空気の流れを創ってエアロゾルを外に排気するという意識が相変わらず浸透していないことです。文部科学省の最新の通知も「適切な換気の確保」としか書かれておらず、「適切」の意味は紹介していません。
 感染が繰り返され、クラスターが続くと、私は自分自身の普及啓発力の無力さを繰り返し反省させられます。しかし、普及啓発をしている人の多くはそのような発想を持たず、感染した人がちゃんと言っていることを守らない、自己責任だと思っているようです。
 殺人が繰り返されている現実、現状に対して「犯人の動機は」「家族の育て方は」と当事者だけに責任を押し付けていないでしょうか。マスコミでコメントをしている人たちも、それを見ている一人ひとりも、自分自身ができることは何かを考え、その責任の一端でも果たそうと思えば、犯罪の予防も少しずつは進むのではないでしょうか。しかし、予防対策の効果、結果は絶対に見えませんのでそんなことやってられないとなるのでしょうね。

●バナナ320本で死ぬ
 2023年5月29日の読売新聞に、小学5年生の生徒が「バナナ320本を食べると死ぬ」というネット上の都市伝説を給食にバナナが出た際にクラスメートに伝えた話からネット情報に翻弄される子どもたち、授業に支障を来している教育現場の問題、さらには脳の成熟より「本能」が先行しているといった記事になっていました。
 昔から都市伝説はいろいろありましたが、口コミのものばかりでそれらを仲間で議論したものでした。ところが最近はYouTubeをはじめ、ある意味しっかりした映像になっているものが多く、判断能力だけではなく、家族や友達を含めた判断をするための対話的環境が弱い子どもたちはもちろんのこと、多くの人たちの間で都市伝説を信じ込む人が増えていても不思議ではありません。「目から入った情報はわかったような気になり、耳から入る情報は想像力を育み記憶に残る」という北山修先生の言葉を思い出していました。本当にその通りですね。

〇対話で確認を
 最初に紹介した高2女子の感想「情報を受け入れつつ、友人に話して自分の認識が合っているのかを確かめることが大事とおっしゃられていたことが印象的でした」を読ませてもらって、ちゃんと私の思いを受け止めてくれたことをうれしく思うとともに、これは感染症対策や犯罪予防などにも当てはまる、これから伝え続けなければならないことだと再認識しました。
 カールロジャーズは「人は話すことで癒される」と言っていますが、癒されるだけではなく、自分自身の勘違いや誤解をも修正してくれます。これからもいろんな人たちと対話を重ね続けたいですし、きょうようときょういくの必要性を繰り返し伝え続けたいと改めて思いました。

紳也特急 285号

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全国で年間200回以上の講演、HIV/AIDSや泌尿器科の診療、HPからの相談を精力的に行う岩室紳也医師の思いを込めたメールニュース! 性やエイズ教育にとどまらない社会が直面する課題を専門家の立場から鋭く解説。
Shinya Express (毎月1日発行)
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~今月のテーマ『中途半端』~

●『生徒の感想』
○『普及啓発の矛盾』
●『出るウイルス量と感染するウイルス量』
○『漂うものも最後は落ちる』
●『手から食べ物、そして口から肺へ』
○『手からマスク、そして肺へ』
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●生徒の感想
 
 依存症は孤独の病気だと話していて、自分もゲームが好きで、家にいる時はよくゲームをしていて、前に少しだけ何でゲームをするのかを考えたら、家にいると誰とも関わらないからだと思ったことがあって共感出来ました。でも、学校に行って、友達と話したり、サッカーをする方が楽しいので、それで依存症にならなかったのだとわかりました。でも友達などと関わっているといいこともあればよくないこともあるので絆(きずな)のもう一つの読み方(ほだし)も知ることができてよかったです。(中3男子)

 奇抜な話題が目立つ講和でしたが、そこの本質は先生がおっしゃっていた「孤独」という病があるのかな、と考えさせられるお話でした。思えば昨今の世の中、性的な話題はともかく、抜本的な性教育までもがはばかられる始末で、こういった物事に対する具体的な対話が難しいがために間違った脅し文句のような広告で知識が広まることが少なくないと思います。だからこそ“保健講和”という形で意見交流の場を提供していただいたことが、とりわけてそういった経験則にも疎い高校生にも刺さったのだと思います。誰しもが社会コミュニティでの生活を求めているものだなと改めて深く感じ取るきっかけになりました。今日はありがとうございました。(高2男子)
 
 私は小学校に入学してから卒業近くまで、幼稚園では仲の良かった人、数名にいじめられていた。しかし、日々された嫌なことや言われたことははっきりと覚えているが、自宅に帰ってから両親に言おうか考えたりしたことはなく、更には自宅で、学校であったことを思い出していた覚えもない。その後、小学校6年生の頃に、周囲の友達がいじめを先生に伝えてくれ、先生や両親に事実が知られることになった。「どうして6年間も言わなかったのか」「よく6年間も耐えられたね」と何度も聞かれ言われたが、それに対しては自分自身でも疑問であった。されたことに対する嫌な感情は今でも覚えており、その人のことを考えるだけで否定的な気分になるが、自宅に帰ると平気だったのはなぜだろうか。講義を通して、それは自宅や両親、家族の存在が大きくて暖かく、かつ唯一の居場所であったからだと、すとんと腑に落ちた。何をされても声をあげずに6年間過ごせて良かったとは到底考えてはいないが、改めて自分自身には最初から居場所があったことが救いであったのだと痛感した。(女子大学生)

 岩室先生の講話を聴いて、「学びて思はざれば則ち罔し。思ひて学ばざれば則ち殆し」という言葉を思い出しました。自分一人で考えたり、逆にインターネットの情報をそのまま鵜呑みにしたりすることの危険性が身に沁みて分かった講和でした。(高2男子)
 
 同じような講演をしていても、当然のことながら一人ひとりの受け止め方は違います。これが普及啓発の難しさでもあり、自分自身の学びにもつながるありがたい機会でもあります。皆さんは「学びて思はざれば則ち罔し。思ひて学ばざれば則ち殆し」の意味をご存じでしょうか。私はよくわからなかったので改めてネットで調べ、「教わるばかりで、自分で考えることが少ないと力はつかない。自分で考えてばかりで、人に学ばないようだと、考えが偏るので危険このうえない」ということの意味を考えさせられました。いろんな人と対話をしながら、繰り返し考え続けることが新たな気づきにつながるのです。
 しかし、残念ながらこの3年間の新型コロナウイルス対策はいろんな意味で対話も、考え続けることも中途半端だったと言わざるを得ません。そこで反省の意味を込め、今月のテーマは「中途半端」としました。

中途半端

○普及啓発の矛盾
 このメルマガが発行された1週間後の5月8日(月)から新型コロナウイルス感染症は感染症法上の2類相当から5類に移行し、季節性インフルエンザと同じ扱いになります。そこで改めて新型コロナウイルス感染症に対して国民がとっている行動と、岩室がこれまで予防で伝えようとしてきたことのズレ、矛盾に気づかされています。
 3月13日にマスク装着が個人の判断となりましたが、結果的に今まで同様、多くの人が屋外を含めてマスクを装着し続けています。一方で感染した人たちが持っているN抗体の保有率は上昇をし続け、全世代平均で2022年11月に29%だったのが2023年2月時点で42%へと確実に増え続けるといういい方向に向かっています。ちなみにイギリスではすでに80%を超えています。これだけ多くの人がマスクをしているのに感染する人が増え続けているのはなぜなのでしょうか。それは、マスクをしていても感染する経路と、マスクをしているから感染する経路について考えなさいと言われているように思いませんか。

●出すウイルス量と感染するウイルス量
 インフルエンザウイルスに感染している人が1回のくしゃみで排出するウイルス量は200万個。1回の咳で10万個。インフルエンザウイルス感染者のくしゃみをあびて感染する確率は100万分の1。アカゲザルが新型コロナウイルスにエアロゾルで感染するのに必要なウイルス量は数千個から数万個。いろんな方にこれらの数字は教えていただき「そうなんだ」としか思わず、深く検証することを怠っていました。まさしく「学びて思はざれば則ち罔し。思ひて学ばざれば則ち殆し」でした。
 一番考えなければならなかったことは、「くしゃみ」や「咳」だけではなく、そもそも「呼吸」の際にどれだけのウイルスがエアロゾルという形で出続けているかということでした。くしゃみで200万個、咳で10万個だとすると、普通に息をしていれば1分間とは言いませんが、一定時間で数万個は出すのではないでしょうか。しかも、咳やくしゃみの場合は大量にウイルスを含んでいる大きな飛沫はすぐに落下するのに対して、軽い空気中をさまようエアロゾルはその空間の中で濃度を高め、結果として感染するリスクを増やし続けます。こう考えるとエアロゾル対策は本当に重要です。

〇漂うものも最後は落ちる
 エアロゾルは空気の流れを創って拡散、排気しなければ漂い続けますし、マスクをしていても顔とマスクの隙間から口、鼻、肺へと吸入され続けます。でもエアロゾルは1時間もすれば落下します。ここで大事なことは、感染している人が閉鎖空間の中に居続ければその人が排出するエアロゾルがその空間で落下をし続けるということです。雪が降り続ければ積もるように、エアロゾルも、見えないものの落下し、積もり続け、その量は時間とともに増え続けます。落下したウイルスの感染力は1日程度持続します。家庭内感染を調査した論文では、ドアノブや家族が頻繁に触るところからウイルスが検出されたとしていますが、それは感染している人が咳を止める時に手に付着したウイルスをドアノブにつけているだけではなく、家族が落下したエアロゾルを手に付け、それをドアノブにつけた可能性を裏付けるとも言えます。すなわち、感染している人と同じ空間を共有していれば誰の手にもウイルスが付着するということです。だからこそ、接触(媒介物)感染対策が重要になります。

●手から食べ物、そして口から肺へ
 手についたウイルスを洗い落とさずに食べ物に付着させて口にすれば、口腔内にあるACE2レセプター経由で新型コロナウイルスが体内に取り込まれる可能性があることはこれまで伝え続けてきました。しかし、ここで気づかなかったことがありました。皆さん、口に食べ物を入れ、噛みながら味わっているとおいしい香りも味わえますよね。すなわち、食べ物に、料理に付着したウイルスは口腔内で再びエアロゾル化して肺の中に吸い込まれている可能性があります。すなわち、接触(媒介物)感染にはエアロゾル感染という要素もあるということです。

〇手からマスク、そして肺へ
 マスクをしている人がマスクの表面を触っているのをよく見かけます。子どもたちではそのような光景が頻繁に見受けられますが、マスクを触っている指先は当然のことながらいろんなところに触れていて、指先にウイルスが付着している可能性があります。すなわち、手や指に落下したエアロゾルや飛沫の中のウイルスを付着させ、それをマスクの表面に届け、全部ではないものの、少しずつマスク越しに吸入し肺に届けているのです。すなわち、この感染経路は広い意味で接触(マスク媒介)感染となります。
 これまではこのような場面は予防を考える上で問題だと指摘し続けてきました。しかし考え方を変えるとマスクを触るというのはその指をなめるよりは少ない量のウイルスで免疫をつける立派な予防法なのかもしれません。これからは「マスクの表面を触ることは感染するリスクはありますが、マスクにつけるウイルス量が少なければ感染免疫をつけることにつながるのであまり神経質になる必要はありません」と言わなければならないのでしょうか。
 結局のところ、感染予防は本当に奥が深く、中途半端な感染予防対策のように見えていることも、視点を変えると感染予防の一つの選択肢として尊重されるべきなのだと思いました。皆さんはどう思われますか。私は考え続けたいと思います。