紳也特急 193号

~今月のテーマ『生きづらさの背景』~

○『感想』
●『青年無罪』
○『人間は経験に学び、経験していないことは他人ごと』
●『で、どうする?』

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○『感想』
 私にとって、セックスをしたいと思うのは、行為そのものに快楽などの魅力を見出しているためというよりも、「自分が誰かに必要とされている」という自分への需要を確かめ、承認欲求を満たしたいがためのようです。

 私は付き合ってもいない人とセックスをしたことがあります。それも一人や二人ではありません。快楽を得たいがためと思っていましたが、岩室さんの話を聞いて、居場所を求めていたのだとはじめてわかりました。女性としての存在価値がそこにはあるような気がして、必要とされていると感じてしまったりして、そうなっていました。
 今はそういうことはしていません。勉強やバイトで忙しいからだと思っていましたが、自分の居場所を学校やバイトで見いだせたからなのだと、今日わかりました。

 私はあるときから自傷行為をはじめ、同時期に何人かと性的関係を持つようになりました。からだだけでも自分を求めてくれる人がいると思え、一瞬だけでもとても幸せに感じられました。私に「居場所」を与えてくれていると思っていました。
 私がそのような生活から抜け出せたのは一人の男性との出会いがきっかけでした。彼は周囲に流されることなく、自分の将来を見据え、日々努力している人でした。彼と比べ、今のままではいけないと気づきました。今では、自分の将来や夢に向かって頑張るための学校が、毎日明るく話しかけてくれる友達との時間が、すべてを話せ、信頼できる彼氏の隣が自分の居場所です。
 岩室先生の話を伺い、自分を振り返り、今の自分に満足できている、自分はちゃんと変われたんだと気づくことができました。これからも、自分を大切にできるよう、関係性を大事にしながら毎日を過ごして行こうと思います。

 メールでも複数の男性とセックスをしてしまうという悩みが数多く送られてきます。そのような相談を受けたら皆さんはどのように返しますか。今回の感想にもあったように、結局は自己肯定感を実感したいがためにセックスと言う手段を使っている時に、「やめた方がいい」ではなく、「そんなもんだよね、人間って」とある意味認めつつ、変われる自分に気付くしかないと考えています。しかし、そう簡単に変われないからこそ生きづらさを感じるのではないでしょうか。そこで、今月のテーマは「生きづらさの背景」としました。

『生きづらさの背景』

●『青年無罪』
 先日、日韓青年フォーラムというイベントに出席し、韓国の若者たちから興味深い話を聞かせていただきました。いま、日本でも自己肯定感が低い若者たちが問題になっていますが、韓国では自分は罪人と感じている若者が多いとのことでした。日本人である私の感覚からすると、確かに反社会的なことをした人は罪人ですが、韓国の青年たちが「罪」と感じるのは、例えば、自分は政治にすごく関心を持ったことを「罪」と感じるようです。だから、彼らが取り組んでいるのが「青年無罪」という、若者たちに罪はないという運動だそうです。
 国民性の違いの一言で片づけられないのですが、それなら、誰でも失敗はあるのだから「『全員有罪』と言うのはダメですか」と投げかけたら「わたしたちを罪人にするのですか」という感じで理解が得られませんでした(苦笑)。

○『人間は経験に学び、経験していないことは他人ごと』
 人間って勝手なもので、若いころは還暦、60歳になる自分を想像できないものです。よく子どもたちに「先を読みなさい」とか、「想像力を働かせなさい」と言いながら、「還暦になった自分」はやはり想像できませんでした。一方で、60歳になってみると意外と淡々とその事実を受け止め、自分なりに楽しんでいます。体力が衰えているのは実感しますが、講演を含めた仕事はまだもう少しこれまでと同じように出来るのかなと思っています。
 誰しも生きづらさを感じていると思いますが、若者たちと年配者では生きづらさを感じるポイント、視点が異なるようです。歳をとると、とりあえず人生って、人間関係ってこんなもんだという思いや諦めが生きづらさを和らげてくれます。一方で、年配者は経済的に追い込まれると生きづらさを感じます。生活保護制度というセーフティーネットがあると言われても、逆に周囲との関係性からそれを申請することを躊躇している人が多いのもまた事実です。
 一方で若い人たちは自己肯定感、居場所、関係性、思考パターン、コミュニケーション、といった、人が生きていく上で獲得しなければならない基本的、根本的なところに躓いて生きづらさを感じているようです。ある大学で講義した後、数百人規模のレポートが届いたので、それら全部に目を通して生きづらさにつながっているキーワードを拾ってみました。

自己肯定感
 自分に自信がない
 自分が傷つくことが怖い
 自分は愛されたいが、愛されていないと思う
 人が自分を好きになるはずがないと思う
 失敗を避ける
 不安の塊
 人と比べてしまう
 自分が嫌い
 人見知り、コミュ障と決めつける

 人間なんて完璧なはずがないのに、そのことを実感をもって経験していないと、変な理想を掲げ、結果的には理想通りに行かないので「自分はだめ」となっているようです。

居場所・関係性
 どう見られているかが気になる
 相手に、周囲に合わせる
 人間関係が面倒
 友達が少ないわけではない
 SNSが居場所
 家に、家族に依存
 家にしか居場所がない
 相談するのが苦手
 無関心

 人は人と人との間でしか生きられないから「人間」と呼ぶようになったと思っていますが、この基本的な関係性づくりが苦手になり、関係性が生んでくれる居場所感覚が得られずに辛い思いをしている人が多いようです。

思考パターン・コミュニケーション
 必要とされたい
 認められたい
 嫌われたくない
 相手の反応がすべて
 答え、正解を探す
 全か、無かの発想
 聞く耳を持てない
 自分が否定されたと受け取る
 すぐ、全否定と受け止める

 コミュニケーションを通した関係づくり、相手や自分について学び合うことが人間関係を構築する上では基本となりますが、自分で勝手に結論を出し続けていると、関係性づくりは進みません。

行動の実際
 自分の弱さを見せない、見せられない
 寂しさより楽を取る
 LINEでは盛り上がるが一緒だと話が弾まない
 必要とされていることをセックスで確認
 失恋するぐらいなら2次元で満足
 気づかいばかりのSNS
 目立たないようにする
 考えることを放棄する

 人と人との間で生きて行くためには、生きづらさを感じる生き方ではなく、少しは肩の荷を下ろした生き方ができなければ長続きしません。しかし、生きづらさを加速させるような生き方をしている人が少なくないようです。

●『で、どうする?』
 一つひとつのことにどう対応するべきかを考え、対処法を伝えるという方法もあるでしょうし、思春期学会でもメディアリテラシー、コミュニケーションの大切さといったスローガンはいろいろ打ち出されているのですが、もう少し本質的なことを考える必要があるようです。
 「自分に自信がない」、「自分が傷つくことが怖い」、「どう見られているかが気になる」、「相手に、周囲に合わせる」、「必要とされたい」、「答え、正解を探す」、「自分の弱さを見せない、見せられない」といった思いは「自分と同じ」と思われた方も多いでしょうが、一方で同じ感覚なのにどうして若者たちは生きづらさを考えてしまうのでしょうか。
 歳をとるということは、自分だけではなく、他者の失敗体験を数多く見せてもらっていることだと最近改めて実感しています。逆に、若さということは経験不足とも言い換えられます。他者の失敗経験に学び続けられる環境をどう作れるかが生きづらさを克服する唯一の道なのかもしれません。だからこそ私の講演ではこれからも自分を含めたいろんな人たちの経験を話し続けたいと思います。