紳也特急 211号

~今月のテーマ『社会の病理をどう治すか』~

●『抗議のメール』
○『自己愛性人格障害とは』
●『「障がい」をどう受け止めるか』

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●『抗議のメール』
 先生の中学生むけの講演を二回聞きました。中学生の子供には、過激すぎる、品のないお話しもありました。先生は医者で、何でもない性器の話でも、特に女子にとっては、そこまで聞かされなくても、良い話もありました。特にはじめの、性経験をしている子がいて当然のような話だと、「え?していて普通なんだ。やってもいいんだ。経験していない私は遅れているんだ。」と勘違いしてしまう子もいると思います。(悲しいことに、経験している子も確かにいますが。)その言い方はやめて欲しいです。
 世の中がどんなに乱れようと、やってはいけないことに、大人が、しかも先生のように影響力のある方がはっきりと、まずNOと教えてあげないといけないと思います。病気予防の話はそれからして頂ければと思います。コンドームをすれば、しても良いのではなく、本来性は結婚関係にあるものの、祝福としてあります。その枠をはずれたところでの行為が、さまざまな悲しみ、痛みを生み出します。不倫もその良い例でしょう。
 先生の一言一言が大きな影響を与えます。どうぞ、よろしくお願い致します。

 相変わらず一方的、根拠に基づかない、思い込みにあふれた、それこそ誰かにこう書きなさいと言われたような抗議文が来ます。悲しいことです。でもとりあえず思いをお返ししました。

 私の中学生むけの講演を二回お聞きいただき、ありがとうございます。いつ、どこでお聞きになったのでしょうか。
 「中学生の子供には過激すぎる、品のない話。特に女子にとっては、そこまで聞かされなくても、良い話」とのことですが、ぜひ中学生の子どもたちがどう受け止めたかを直接聞いてみてください。また、私が呼ばれているということは学校側が「岩室の話を聞かせたい」と考えてのことです。ぜひ、学校の先生たちに岩室を呼ぶ意図を確認してください。

 「特にはじめの、性経験をしている子がいて当然のような話」ってどのような表現をそのように受け取られたのでしょうか。私の話の感想で「これからもしないようにしたい」というのが多く寄せられます。

 「え?していて普通なんだ。やってもいいんだ。経験していない私は遅れているんだ。」と勘違いしてしまうというのは〇〇さんの感覚ではないでしょうか。そう受け止めている子どもがいるのかどうかを直接確認してください。私はそのような受け止め方をする子どもと会ったことがありません。

 「世の中がどんなに乱れようと、やってはいけないことに、大人が、しかも先生のように影響力のある方がはっきりと、まずNOと教えてあげないといけないと思います。」とのことですが、私の話は結論としてはNO SEXです。もし〇〇さんがそう受け止めていただけなかったのであれば残念です。これも改めてですが子どもたちに直接感想を聞いてください。

 「コンドームをすれば、しても良い」というような話は一言もしていないのですが、どうしてそのようにとらえてしますのでしょうか。これは内容ではなく、言葉の受け止め方の問題でしょうか。

 「性は結婚関係にあるものの、祝福としてあります。その枠をはずれたところでの行為が、さまざまな悲しみ、痛みを生み出します。不倫もその良い例でしょう。」という考え方を持った方がいらっしゃることを子どもたちに伝えたいですね。ぜひ〇〇さんの思いを直接生徒さんにぶつけてください。もしまた聞いていただく機会があれば、ぜひ生徒さんの前で質問、指摘をお願いします。いろんな考えの大人があることを子どもたちが知り、いい勉強をさせていただくことにつながると思います。

 こんな返事を書いていた時に、相模原の、津久井やまゆり園の犯人が「自己愛性人格障害」と診断されたと報道されていました。社会的にはこれで一件落着なのでしょうが、とんでもありません。そもそもこの「障がい」は生まれつき持っていてどうにもならないものなのでしょうか。それとも誰が、何が、社会がこの「障がい」を生み出し、あれだけ多くの犠牲者を出したのでしょうか。そこを考える意味で、今月のテーマを「社会の病理をどう治すか」としました。

『社会の病理をどう治すか』

○『自己愛性人格障害とは』
 日本人は、というか医療関係者は誰かが「これが病気です」というと、なぜかそれを信じてしまい、疑うことを知りません。自己愛性人格障害、自己愛性パーソナリティー障害は診断の手引きにある9項目( http://sugiura-kokoro.com/treat/syoujyou16-2.html から引用)のうち、5項目に該当すれば診断されますが、5つなら異常で、4つなら正常なのでしょうか。大事なことは「診断」ではなく、そもそもこの障がいは予防可能なのかということです。
 実はこの「自己愛性人格障害」というのは誰にも当てはまることであり、社会が作り上げていることのようにも思えてなりません。この診断基準を、自分自身を含め、「医者」、「医師」という職業に従事している人たちを中心に当てはめて考えてみると、何とも不思議な気づきをいただきました。

1.自己の重要性に関する誇大な感覚
 「医者は所詮、医療技術提供者だ」と教えてくださった先生がいました。確かにそうで、いい医者か否かは、その「医療技術」が優れているか否かだけではなく、プラスアルファの人間性や患者さんにどう寄り添えるかが問われています。しかし、そこが欠けているお医者さんが増えていると思うのは私だけ?
 最近、「自己肯定感が低い子どもたちが多い」という大人たちが多いように思います。「確かにそうなのかな?」と思う一方で、自己肯定感って結果としてついてくるもので、下手に育てるとそれこそ「自己の重要性に関する誇大な感覚」を育てることになるのではないでしょうか。

2.限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれる
 世の中、そんなに甘いものではないですし、医者として社会的に成功する人、権力を握れる人、才気にあふれる人、美しい人、理想的な愛を得られる人ってそういるものではありません。そのような自分を「何となく」夢見るぐらいならいいのですが、「自分には才能がある」と変に思い込んでいる人が増えているように感じます。かわいい「親ばか」程度ならいいのですが、モンスターペアレントと言われる人たちは、まさしくこのような空想を持った子どもたちを育てている?

3.自分が特別であり、独特であり、ほかの特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない。
 「自意識過剰」の人は数多くいます。本当は自分があの地位にいたはずなのに・・・、といつまでもこだわっている人。いろんな人と関わっていると、絶対自分を理解してくれない人があまりにも多いことを突き付けられます。もっとも、自分の周りにもそのような意識の人は数多くいます。お互い様ですね。

4.過剰な賞賛を求める
 賞賛も「結果」であり、求めるものではありません。でも、自分の子どもはすごいとか、すごいと言って欲しいと思っている保護者が多いですね。無下に卑下することはありませんが、何でもかんでも「褒める」育て方はいかがなものか。

5.特権意識、つまり特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待
 そもそも特権階級、特別な存在というのはいません。一人ひとりが特別な存在です。にもかかわらず、自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待します。
 家のトイレは洋式で、子どもは和式を使ったことがないから学校のトイレは全部洋式に変えて欲しいと要求した親がいました。これって「診断項目に該当」です。

6.対人関係で相手を不当に利用
 福山雅治さんと一緒にラジオ番組をさせていただいていた。こう話すのは対人関係で相手を不当に利用すること??? いやいや、HIV/AIDSへの理解をAAA(Act Against AIDS)の一環として行っていた福山さんの意志を継いでいると理解すれば「不当」ではない???
 最初に紹介した抗議のメールは、私との関係(が本当にあるかないかはわかりませんが)があるかのように、事実を捻じ曲げて不当に抗議しています。これって・・・。

7.共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない
 これは反省を持って岩室紳也が該当する診断項目です。
 ゲイの人の気持ちどころか、相手の存在さえも当初は否定していました。薬物依存症についても、水谷修さんとも、松本俊彦先生ともこれだけ長くお付き合いさせていただいていたにも関わらず、薬物依存症の人の気持ちを認識しようとも、気づこうともしませんでした。
 では、どうやって岩室紳也はこの共感の欠如を乗り越えられたのでしょうか。人は経験に学び、経験していないことは他人ごとです。ゲイの友人ができ、いろいろと話していく中で、共感というより、当たり前の存在になりました。
 薬物依存症は依存不足が原因と話していたにも関わらず、熊谷晋一郎先生の言葉の「自立は依存先を増やすこと」に出会うまでは、自分がその依存先の一つになれる、ならなければならないということに気づけませんでした。さらに自分の患者さんをHIV/AIDSの診療だけを重視し、他に紹介した結果、再犯してしまって初めて、こころから反省した次第です。

8.しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む
 男は嫉妬の生き物。これは亡くなった父が教えてくれた言葉です。この項目は多くの男性に当てはまるのではないでしょうか(苦笑)。

9.尊大で倣慢な行動または態度。
 いるいる。これは解説するまでもありません。

●『「障がい」をどう受け止めるか』
 岩手県陸前高田市が目指している「ノーマライゼーションという言葉のいらないまち」とは、「一人ひとりが、自分自身の、そして相手の、障がい、年齢、セクシュアリティ、病気、国籍といった個性を意識することのない、誰もが暮らしやすい、住みやすいまち」です。逆に、「ノーマライゼーションという言葉が必要なまち」とは、「一人ひとりが、自分自身の、そして相手の、障がい、年齢、セクシュアリティ、病気、国籍といった個性を、意識しながら、意識させられながら、暮らさざるを得ない、ストレスの多いまち」で、その最悪の状態が津久井やまゆり園の事件でした。
 2月25日の読売新聞神奈川版に神奈川県教育委員会の「インクルーシブ教育推進運営協議会」の滝坂信一会長が次のコメントをされていました。
 私たち大人は、障害のある人を「手助けしなければいけない存在」、自分は「手助けする存在」と思い込んでいる。「私と『彼ら』は根本的に違う存在」という捉え方は、事件を起こした容疑者と同じだ。
 この状況を克服するために「感じたことを口にする機会を」と提言されていました。陸前高田市が進めている「はまってけらいん、かだってけらいん運動」はまさしく、感じたことを口にすることで、一人ひとりのこころが癒される地域づくりを目指しています。
 宮城県女川町では「まじゃって、しゃべっぺ」という合言葉で同じような運動ができないかという意見が出ました。排除ではなく、このような事件が起きない、みんなが思いを共有できるまちづくりを進めましょう。一人ひとりができることから。