紳也特急 230号

~今月のテーマ『正解依存症』~

●『保健室のつぶやき』
○『「正解」とは何か』
●『「社会通念」とは何か』
○『「病気にならない」という正解』
●『「人に迷惑をかけない」という不正解』

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●『保健室のつぶやき』
 携帯もメリットデメリットがありますが、スマホの普及のおかげで、リストカットや境界性人格障害がグンと減ったと保健室で実感しています。一部の子たちは家庭での孤独を薄めるため、ずーっとLINEをつなげっぱなしにして、寝るときもLINE、朝起きてLINEで「おはよう」。まるで兄弟が同じ部屋にいる、というような感じで、ずーっとLINEで同じ時間を共有。
 スマホのなかった時代の人間からは信じられない(というかそんな煩わしいことしたくない)ことですが、彼ら彼女らにとっては、夜という時間を乗り越えるための大切なツールです。
 一方で、スマホのなかった時代には、夜がくるたびリストカットをしていたであろう子たちが、LINEで誰かとつながって寂しさを癒し(紛らわし?)、自分が一人ではないことを知る。スマホこそリアルという子たちが一定数います。

 もしこの養護教諭の先生が感じておられるように、リストカットや境界性人格障害が減っているとすれば、LINEが人と人をつなぎ、これまで問題とされていたことが解消される方向に向かっていることになるので、SNSはそれなりにいい側面もあるととらえるべきです。もっとも「素人が勝手に決めつけるな」という専門家の声も聞こえたような・・・(笑)。
 一方でSNSのトラブルがあるのも事実ですし、SNSにつながっている時間を調査すると、夜中までLINEをやっている、さらにTwitterでつぶやいている子たちはSNS依存症、ネット依存症と診断されることでしょう。ゲームに費やす時間が多いとゲーム依存症や最近WHOが国際疾患分類に追加した「ゲーム障害」と言われるのでしょうか。専門家と言われている先生は「ゲーム障害が“疾患”になったことで、今後は研究が進むだろう。今がスタートラインと思う」とコメントしています。でも、これって絶対「変」です。病院で患者が来るのを待っている人たちにとってはそうかもしれませんが、若者たちに接し続けている人にとって既に「事件は現場で起きている」のです。
 専門家の先生もそうですが、どうも日本人は一定の枠に物事や価値観を当てはめ、結果として大事なものを見失っているように思えてなりません。「ずっとLINE」が「不正解」で、「LINEを上手に使う」のが「正解」になっていないでしょうか。本当の「正解」は別のところにあるのですが、そのことに気づかない、気づけない社会になっています。そこで、今回のテーマを「正解依存症」としました。

『正解依存症』

○『「正解」とは何か』
 「正解」を広辞苑で引くと、「(1)正しい解釈。正しい解答。(2)結果として、よい選択であること」とあります。「正しい」を引くと「(1)まがっていない。よこしまでない。(2)よいとするものや決りに合っている。法・規則などにかなっている。きちんとしている」とあります。
 ではお聞きします。皆さんは「正解」の、「正しい」人生を生きてきましたか。人に後ろ指をさされることを一度たりともしたことはないですか。それこそテストでとなりの「正解」が見えて「コピペ」したことはないですか。結局、「正解」とは理想ではあるものの、「正解」を追い求めると、だんだんつらくなります。なぜなら、現実の世界では自分がその「正解」にたどり着けないことを繰り返し経験するからです。ところが、自分ではなく、他人に、自分の家族に、子どもに、それこそ患者に、生徒に「正解」を求めると、それにこたえられない人を「ダメな人」と切り捨てることで自分を保つことができます。

●『「社会通念」とは何か』
 愛媛県伊方町にある四国電力伊方原発3号機の運転を差し止めた2017年12月の広島高裁の仮処分決定について、同じ広島高裁が2018年9月25日に四国電力の異議を認め、前の決定を取り消しました。「あれ?正解はどっち」と思いますよね。細かいことはさておき、この取り消しを命じた裁判長は、伊方原発から約130キロ離れた熊本県阿蘇山の破局的噴火について、「頻度は著しく小さく、国は具体的な対策をしておらず、国民の大多数も問題にしていない」と指摘し、「発生の可能性が相応の根拠をもって示されない限り、想定しなくても安全性に欠けないとするのが社会通念」と判断したようです。
 「社会通念」を広辞苑で引くと、「社会一般で受け容れられている常識または見解。良識。」となっています。では、そもそも「社会」とは何なのでしょうか。広辞苑には「(1)人間が集まって共同生活を営む際に、人々の関係の総体が一つの輪郭をもって現れる場合の、その集団。諸集団の総和から成る包括的複合体をもいう。自然的に発生したものと、利害・目的などに基づいて人為的に作られたものとがある。家族・村落・ギルド・教会・会社・政党・階級・国家などが主要な形態。」とあるのは、ま、そうかなと思います。
 しかし、次のような解釈もあります。(2)同類の仲間。(3)世の中。世間。家庭や学校に対して利害関心によって結びつく社会をいう。裁判官がもし「同類の仲間」や「利害関心によって結びつく社会」をひいきしているとすれば大問題です。そして、そもそも「社会通念」という言葉を使った時点でこの裁判官は失格と言わざるを得ません。まさしく裁判官なりの「正解」に判決を導いたのでしょうが、結果的には「社会通念」という言葉を理解していなかったと言わざるを得ません。この裁判長も、必死に正解を探し求めた結果、「社会通念」という言葉にたどり着き、それが「正解」と勘違いをし、とんでもない判決を出したと言えます。
 ちなみに、ここで言っていることは「原発反対」とか「原発賛成」といった話ではなく、あくまでも「正解依存症」というものを解明するための論点とご理解ください。

○『「病気にならない」という正解』
 私はよく「エイズになって何が悪い」と言っていますが、この言葉はなかなか理解されません。確かに「コンドームを使えばHIV感染は予防できる」というのは「正解」です。「早期に検査を受ければエイズ発症を未然に防ぐことができる」というのも「正解」です。しかし、「正解」通りの行動がとれない人がいます。好き好んでHIVに感染する人はいません。感染した人たちにとって一番大事なことはHIVと共に、その人が望む生活を享受し続けられるような社会をつくることです。感染予防をあまり強く言いすぎると、「感染することが悪いこと」という考える社会通念をつくってしまう懸念があります。実際、「いいエイズ(薬害)」と「悪いエイズ(性感染)」という発想があっという間に蔓延したのが日本社会でした。
 「生老病死」という言葉に学べば、「病気」は「生まれること」、「老いること」、そして「死ぬこと」と同じレベルでその人の人生の中の必然的な出来事です。その現実とどう向き合い、どう生き続けられるかを他人ごと意識ではなく、自分ごととしてとらえられるような社会通念をどうつくるかが問われていますが、本当に難しいです。

●『「人に迷惑をかけない」という不正解』
 よく、大人たちは子どもたちに「人に迷惑をかけるな」と教えます。これって一見「正解」です。しかし、人に迷惑をかけたことがない人なんていません。となると、「人に迷惑をかけない」というのは一人ひとりの行動結果から検証すると「不正解」になります。
 「もやもやしたら… 相談してみようよ!」や、「一人でなやんいるあなたへ ~SOSを出していんだよ!~」を小中学生への自殺予防のメッセージとしている自治体があり、それが大人気で各方面で参考にする動きが広まっています。でも「相談する」とか、「SOSを出す」といった「正解」に基づく行動がとれない子たちが増えているという現実が見えていない人たちにはぜひ自分自身が「正解依存症」になっていることをぜひとも実感してもらえればと思います。ちなみに、10歳~14歳の自殺は2008年~2012年と2013年~2017年の5年間で比較すると、男子で1.35倍、女子で1.71倍と増えています。
 一人ひとりがつながるためにできることは何かを考え、そして行動し続けたいと思います。