紳也特急 72号

〜今月のテーマ『人は歳をとれない?』〜

●『50歳という事実』
○『講演会の感想文』
●『「自分」を感じるメッセージを』
○『老兵は去るべし』
●『現場主義』

○『8月1日(月)25時29分日本テレビ「先端研」』

———————————————————————

●『50歳という事実』
 岩室紳也は8月13日に何と50歳になってしまいます。こんなに歳をとったのかと恐ろしくもあり、健康な状態でここまでこられたとありがたくも思っています。そして20代だった頃の自分が50歳の人に対して抱いていた「人生の先輩」という畏敬の念と「そろそろ引退前の人」という高齢者のイメージを思い出しつつ、今50歳になる自分自身の感覚を照らし合わせてみると大きなギャップに気づかされます。
 率直なところ、今の自分の感覚、感情は30年前の20歳の時とどれだけ変わったのかがわかりません。確かに経験を積んだ分、少し上手に世渡りが出来るようになった面は否めないでしょう。しかし、自分の関心事はあまり変わらず、「高齢者の性」を語っている自分がいる一方で、今の自分にとっての「性」は「高齢者の性」ではなく「岩室紳也の性」であり、昔も今も変わっていません。それもそのはずで、歳をとったという感覚があれば人はもう少し上手に世渡りも世代間のコミュニケーションも進められると思いませんか。
 ということで今月のテーマを「人は歳をとれない?」としました。

『人は歳をとれない?』

○『講演会の感想文』
 ある県で思春期の性とエイズの話を高校生にした後に、大人対象にも同じテーマで話をする機会をいただきました。そこに養護教諭を目指している大学生が何人か見学に訪れ、以下の感想文をいただきました。感想文をそのまま紹介します。

 今日の性に関する研修会は、正直自分にとってとても衝撃的なものでした。なぜなら、今まで今日のような方法で、また、今日教えていただいた内容の性について教えてもらう機会がなかったからです。初めて知ったことがたくさんあったこと、性についてこういう伝え方もあるんだ、こういうことを伝えることが大切なんだという発見があり、本当に勉強になりました。そして、養護教諭を目指しているにもかかわらず、自分の頭の中の性に関する知識は少なく、そして浅いということを痛烈に実感しました。だから、私は、今日、岩室先生が教えてくださった、
(1)子供の気持ちに共感し、一緒に考えていく姿勢(コミュニケーション)
(2)岩室先生を真似するのではなく、自分の気づきや経験をおりまぜながら性教育を進めていく
の主にこの2点に重点を置いて、まずは自分のできることから子供のための、子供と共に考えていく性教育をはじめてみようと思いました。
 また、自分自身にとってもとてもためになることばかりでした。HIVの検査も1度受けてみようと初めて思いましたし、受けようと思っています。コンドームに関しても装着方法だけでなく、パートナーの意思確認もきちんとしてみたいと思います(これに関してはなかなかすぐにとはいかないかもしれませんが)。

 性教育について講義を聞いたなかで、一番頭に入りやすかった。教える側が、恥ずかしがって自信がないようにするのでは、伝わりかたが違うと分かった。教わる側が、思春期の中学生や高校生ならなおさら反応がかわるだろう。
 エイズについては、まだまだ身近に感じてない人が多いと思う。知り合いから性病にかかったと聞いた私でさえも、まさか自分が、まさか自分の周りに、という考えがあった。けれど今回の講演を聞いて、この考えがいけないのだ。それぞれが身近に感じなければいけないと思った。
 もう一つ思ったことは、年齢によって考え方にギャップがあることを再認識したことだ。性行為のことで、小学6年生はまだ分からないと言う内容があり、そのことにみんな賛同していたが、私が小学6年生の時には周りも自分も知っていたことだったので、今の小学生ならなおさら知っていることなのではないかと思った。子供の考え方がどれだけ進んでいるか、私が歳をとるにつれてこれからますます分からなくなるのかと思うと怖くなった。

 エイズはどんな人がうつりやすいか?と聞かれると、不特定多数の人と性行為を行った人だと言っていました、ひとごとのように・・・。しかし、エイズが感染するのは誰でも可能性はあることで、いくら自分が知識と行動がきちんとしていても、性行為をすることは相手がいるから必ず100%予防なんて保証できません。コンドームをつけてでも・・・。本当に自分の体は自分で守ることが大切だと改めて実感しました。いつか、その時がきたらエイズ検査しようと思いました(^-^)

 今回の講演で、自分がどれほど無知であったかを知りました。無知、というよりは偏った情報や謝った知識の中にずっと浸かっていたような気がします。「肛門性交が感染しやすい理由」も「コンドームのつけ方」も間違ったままで“知識”としていました。私は養護教諭を目指す学生ですが、今日は教育者としてよりも、一人の人間として講演を聴かせていただきました。「もしも自分がHIVに感染したら」「もしも恋人となった人がHIVに感染していたら」とまるで自分のこととして考えさせられたからです。性教育やエイズ教育にはまったく自信がありませんでしたが、子どもたちに話すときには、今日考えたこと、感動したことが役にたつんだと気付かされて、私なりに性教育をする自信ときっかけを掴めた気がします。
 また、公演中にも仰られていたように、私も、子どもたちが割と簡単にセックスをしてしまう裏には、情報・教育・コミュニケーションの問題があると思います。自己肯定観の低い子どもが増えている、と聞きますが、自分の存在を確認したくて安易にセックスにはしってしまう。そうして知らずに感染してしまう。悲劇ですよね。学校・家庭で私たちが子どもたちに出来ることはきちんとしていきたいです。

 高校の講演で先生が生徒に「自分がエイズになると考えたことはありますか?」と質問されたときに、私は、はっとしました。今、日本ではHIV/エイズが増え続けていて、性的接触による感染が86%を占めており、誰にでも感染の可能性があって・・・。そういったことは勉強して知っていました。それなのに、私はエイズを身近なこととして捉えていませんでした。私の生活にエイズが入り込んでくる可能性はないという考えが無意識にあったのだと気づかされました。私の受けたエイズ教育というと、感染経路や偏見、現状についてと、ひたすら情報を学ぶ教育で、身近なものとして感じることが出来ませんでした。それこそ、県外の問題のように錯覚していました。(ちなみに私の妹は東京にいます。なのに。)
 エイズ教育を学校で何度も学んでいても、そう感じていた人は私以外にもいると思います。けれど、今回の講演でそんな自分に気づくことが出来ました。そして、エイズ予防に対する意識が変わりました。
 エイズ教育は、単に知識を頭に詰め込むのではなく、自分たちの生活の中の自分たちの問題であることにまず気づくことが重要だと講演を聞いて実感しました。

 岩室先生の講演を聞いて、私は性教育への考え方が180度変わりました。そしてそれと同時に性教育をもっと学びたいという意欲が湧いてきました。高校の講演見学では、高校生の反応を近くで見ることができました。そこで驚いたことは、高校生達が性教育の話を一喜一憂して聞いていることに気づきました。私の中で性教育は、非常に大切=難しくて堅苦しいというイメージがついていました。しかし、先生がおっしゃられたように、性教育を語るにはまず自分の経験を話してからということにとても納得させられました。私は養護教諭になったら、はたして児童・生徒に大切さを伝えることができるのだろうかと、とても不安です。でも、児童・生徒側に伝えるためにまず自分が心を開いて自らの経験を伝えてみようと思います。
 全体的に先生の講演は、人権教育そのものだったような気がします。私も相手への思いやりや自分を大切にすることを強く伝えていきたいです。そして、自らが強い意志をもって行動できるきっかけを引き出せる養護教諭になりたいです。とても貴重な体験でした。

 先日の講演は衝撃的なものでした。包み隠さず話す内容はとてもわかりやすく集中して聞くことができました。私の知っている性教育はどこかオブラートで包まれたようなものでした。私自身が性教育をするとしても知識だけのものになってしまうと思います。それは、知識の浅さもあると思います。けれど、それよりも重要なものが何を伝えたいのかを捉えることができないところに原因があると感じました。私が岩室先生のお話で感動したのと同じように、子ども達にとって必要なことを捉えて伝えていきたいです。
 もちろん私の経験に似合った方法でしかできないのでこれから経験を思い起こしてネタ作りにはげみます(~~,)私にとってとてもいい出会いでした。

 感想文を列挙したのは、ほんの2〜3年前まで同じ高校生だったはずの、岩室から見れば高校生とほとんど変わらない地元大学の学生さんでさえも、今の若者との意識のギャップを感じていることです。では自分自身はどうだろうかと考えると、実は高校生の時の自分と今の自分にあまり差を感じられないのです。

●『「自分」を感じるメッセージを』
 歳をとれない大人たちが「自分」を見つめられないのと同じように、大学生の皆さんも「自分」ということを普段はあまり意識していないのかなとも感じました。毎日一生懸命勉強し、恋愛し、いろんな人生を生きているのでしょうが、「自分は」とか「自分なら」といったことを意識する機会は少なかったのでしょうか。性体験があっても、二人の間でのセックスは自分が行っている行為ではあるのでしょうが、自分が認識できていること以外の性やエイズのことは自分の問題ではなく、他人事だったのでしょうね。そんな彼らが自分の問題として性を、エイズをとらえてくれたことは私自身にとって励みとなっただけではなく、今後の性教育の方向性として「自分事」を意識するための伝え方の確立をもっと工夫する必要があるのだと反省もさせられました。

○『老兵は去るべし』
 大学生でさえも高校生の気持ちがわからないといっているこの世の中で、性教育についての議論が百出しています。どの年齢で性教育をすべきなのか、何を教えるべきなのかということをいろんな大人がしていますが、どうも若者不在の議論に思えてなりません。若者の声を聞かない、聞く必要がないと思っている大人たちは私自身も経験しているように「今の自分はちゃんと自分自身が若者であった時の気持ちをしっかり覚えている」と思っていますが、その思いがどんなに若者たちとの間で感覚的にずれているかを理解できていません(それが老化のありがたいところでもありますが・・・)。
 少なくとも若者とのコミュニケーションがないままいろいろ語っている老兵の皆様方へ。「老兵は去るべし」と思いませんか。もし去らなくてもいい老兵がいるとしたら、それはあなたの話に若者が耳を傾けてくれている場合だけでしょう。「とんでもない。若者に迎合した連中に任せておけない。」とお思いの方は大分老化が深刻なのでしょうね。若い人たちをもっと信じませんか。

●『現場主義』
 先日、ある会議でこの3月まで北星学園余市高等学校の先生だったヤンキー先生こと義家弘介さんと話す機会がありました。そこで彼が「自分には現場が合っている」ということをおっしゃっていたのが印象的でした。人間は人と人との間に生きている存在のはずですが、どうも居心地がいいのは人の上に生きている時なのかもしれません。歳をとり、本当の雲上人となる前に人の上に立ちたがるようになったら既に老兵なのでしょう。私は老兵を自覚し、若者の声を引き出すことはしても若者を指導するといったおこがましいことはしないように気をつけよう、現場に機軸、軸足をしっかりと置き続けようとあらためて感じた一ヶ月でした。

○『8月1日(月)25時29分日本テレビ「先端研」』
(実際には8月2日午前1時29分〜)
「日本人の性意識 〜増え続ける性感染症」で岩室紳也が取材されています。