紳也特急 243号

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全国で年間200回以上の講演、HIV/AIDSや泌尿器科の診療、HPからの相談を精力的に行う岩室紳也医師の思いを込めたメールニュース! 性やエイズ教育にとどまらない社会が直面する課題を専門家の立場から鋭く解説。 Shinya Express (毎月1日発行)
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~今月のテーマ『雑談は相談』~

●『生徒の感想』
○『「相談しましょう」に違和感』
●『相談は雑談から』
○『「話す」の意味』
●『話すトレーニングが必要』
○『話しが癒しにならない時代?』
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生徒の感想
・私は常に人では無いものに依存してきた。勉強、遊び、部活動など様々なものに依存して、擬似的に自立することに成功していた。心の底では他人を信頼できず、表面上だけの人間関係を築き上げてきた。しかし、それは本質的には自立していないのではないと思い、改めて自分自身に自立とは何かに問いかける良い機会になった。今までの自分は人と距離を置くことで、お互いに傷つけず、依存せず、という関係を築いてきた。それは、人との関わりから逃げ続けただけなのではないか。様々な疑問が自分に投げかけられたように感じた。(高1男子)

・私は経験があります。エッチは好きではないですが、彼が抱きしめてくれるエッチの時間は好きです。でも、彼には恋人がいます。愛がないです。愛がないエッチは無関心なんだと気づいて悲しくなりました。私のこころには全く関心がなく、体にしか興味がないのだと思い知り、分かりきっていたことなのに、こころに染み入り、改めて考えさせられました。それでも彼を嫌いになれない自分が嫌です。一緒に先生の話を彼は聞いていたので、少しでも気持ちを理解してくれたらいいなと願うのみです。本当に先生の話を聞くことができてよかったです。ありがとうございました。(高校2年女子)

 人はどのような時に自分の中のもやもやを解消できるのでしょうか。少なくともこの二人は私の話を通して、何か感じ、自分自身の次のステップにしてくれたように思います。「『助けて』が言えない」という本に関わらせていただいた後に、「ザッソウ 結果を出すチームの習慣 ホウレンソウに代わる『雑談+相談』」という本の存在を教えてもらいました。「雑談」や「相談」ということを改めて振り返ると、自分自身がこれらの言葉をちゃんと理解していなかったことに気づかされました。そこで今月のテーマを「雑談は相談」としました。

雑談は相談

「相談しましょう」に違和感
 最近、若者たちの様々な生きづらさを乗り越えるために、いろんな人が「信頼できる大人に相談しましょう」と言っています。わたしはこの言葉にずっと違和感がありました。平気でこのような言葉を口に出している人にはぜひとも「あなたにとって性的なことを含め、信頼できる、相談ができる人はいますか」と聞きたいものです。そもそも「信頼できる大人」がどこにいるのかという疑問もありますし、そもそも「相談しましょう」という言葉自体が理解できません。なぜなら岩室紳也は意識的に、自分から進んで相談したという記憶がないのです。「それは悩みもなく、よかったですね」と皮肉を言う人もいるかもしれませんが、いろんなことを悩み、苦しい思いもし続けてきましたが、「相談に乗って欲しい」や「どうすればいいと思う?」と言ったことを訴えた記憶がどうしても蘇りません。もし私から相談を受けたという記憶がある方は是非おっしゃってください。
 では、どうやって様々な悩みや苦しみを乗り越えてきたかというと、誰かと話をしたり、いろんな情報(書籍、メディア等)からヒントをもらったりしていたように思います。そこでいつもの癖で「相談」を広辞苑で調べてビックリでした。

相談は雑談から
 広辞苑第七版に、「相談」は「互いに意見を出して話しあうこと。談合。また、他人に意見を求めること」とありました。皆さんにとって「相談」のイメージはどのようなものでしょうか。私は「他人に意見を求めること」と思っていました。ついでに「雑談」を調べると、「さまざまの談話。とりとめのない会話。ぞうたん」とありました。すなわち、先に紹介した「ザッソウ」という本はある意味、話していればいろんなことが解決されるという核心をついているのです。
 言葉は社会情勢で変化するものですが、では、なぜ「相談」が「話し合うこと」から「意見を求めること」に変化したのでしょうか。以前だったら家や学校にしか辞書や百科事典がなかったのですが、IT技術の進歩により、今ではパソコンの中に広辞苑等の辞書が入る時代です。信頼度はともかく、Wikipediaのようなサイトもありますし、ネットで調べればいろんな情報にアクセスできます。今や「百科事典」という言葉も死語のようになっていないでしょうか。すなわち、自分が欲している答えがすぐそこにあると思える社会になっています。

「話す」の意味
 陸前高田市でお会いした岩手県立大船渡病院緩和療科の村上雅彦先生にカール・ロジャーズの言葉「人は話すことで癒される」を教えていただきました。その際に村上先生は「雑談自体も緩和ケア」という言葉も教えてくださいました。広辞苑で「話す」を調べると「言葉に出してつたえる。口で述べる。互いに会話をする。ある言語・方言を使う。(遊里語)遊女を買う」とありました。「話すことで癒される」を現代に当てはめて考えると、「話す行為ではないSNSでは人は癒されない」とも言えます。
 そのような議論をしていた時に、カール・ロジャーズの次の言葉も教えてもらいました。
 
 The only person who cannot be helped is that person who blames others.
 助けることができない唯一の人は、他人を非難する、他人のせいにする人です。
 
 同じ「話す」にしても話す内容も大事になるようです。クレーマーという言葉もありますが、確かにクレーマーになる人たちは、相手を非難する、相手のせいにすることで自己発散はされているのでしょうが、本当の意味で癒されてはいないということになります。

話すトレーニングが必要
 少し横道にそれるかもしれませんが、行きつけのヘアメイクサロンの客が、それも年配者がどんどん離れています。そこは基本的に「理容室」なのですが、女性客も多く、子どもから高齢者までが利用していました。神奈川県内でも若手の育成に定評がある先生がおられ、若い人たちが次から次へとその店を卒業し、それぞれが地元に帰って店を持ち、繁盛させていました。わが家は夫婦でそこを利用していたのですが、最近、うちの奥さんは他の店に替えました。理由は簡単で、若い店員さんと話をしていても「ただ疲れるだけ」とのことでした。「どうしてこちらが客なのに若い店員に話を合わせなければならないのか」という思いが強くなったようです。同様の理由でお客さんが激減しているようでした。そこでふと、なぜ自分はその若い店員の話についていけるのか、というかそれはそれで面白いと思えるのかを考え、ここ何回か、少し聞き耳を立てながら利用していました。
 理容師を目指している人たちなので、それなりにお客さんと話ができていると思っていたのですが、丁寧に聞いてみると、お客さんの話をちゃんと聞けていないようでした。「傾聴」という言葉をよく耳にしますが、店員がお客さんの話を「聞いていない、聞けていない、聞き流している」という印象でした。あるお客さんが旅行で美味しい食べ物と出会った話をしているのに対して、「〇〇コンビニの〇〇ってすごく美味しいですよね」と返していました。「美味しい」という言葉に反応しているとも取れますが、そもそもコンビニで売られているものを美味しく思わない人にとっては耐えがたい反応、会話だと思いました。私自身は若者の食文化を知る上で面白いと思ってしまうのですが、癒しを求めに来ているお客さんが多いので、そのお客さんたちに合わせて話すトレーニングが必要と思いました。

話しが癒しにならない時代?
 確かに「人は話すことで癒される」と話すと納得してくれる人が多いと感じています。しかし、若者たちの状況を見ていると、話す経験が乏しい人たちにとって「話す」という行為に変わる「癒し」が必要なのかもしれません。確かに「話す」かわりに「SNS」という時代なのでしょうが、SNSは癒しになりません。なぜなら目から入った情報はわかったような気になるだけです。また、自分勝手に解釈するので、思いは伝わりません。実際、両親からの虐待で死んで心愛ちゃんはアンケートに「先生どうにかなりませんか」と書いていました。しかし、話さない世代の先生はその「文字」情報を読んで、自分なりに「まだ大丈夫」と思ったのではないでしょうか。「いじめ」といえば「アンケート」という考え方自体、人間が変わってしまった時代にそぐわないのかもしれません。
 一方で、「話す」と言葉尻をとらえて非難される時代です。この風潮が続くと、ますます「話す」ことが怖くなると思いませんか。で、あなたはどうしますか。私はしばらく「人は話すことで癒される」ということを強調し、相手を傷付けたら「ごめんなさい」と素直に謝り、謝った人が許される社会に少しでも近づける、少しでも雑談が増える世の中になるよう頑張りたいと思いました。あらためて肝に銘じたい言葉です。
 
 The only person who cannot be helped is that person who blames others.
 助けることができない唯一の人は、他人を非難する、他人のせいにする人です。
     カール・ロジャーズ