紳也特急 270号

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■■■■■■■■■■■  紳也特急 vol,270  ■■■■■■■■■■
全国で年間200回以上の講演、HIV/AIDSや泌尿器科の診療、HPからの相談を精力的に行う岩室紳也医師の思いを込めたメールニュース! 性やエイズ教育にとどまらない社会が直面する課題を専門家の立場から鋭く解説。
Shinya Express (毎月1日発行)
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~今月のテーマ『ゼロか百か』~

●『生徒の感想』
○『原因と結果という単純化』
●『「なぜ?」がないゼロか百か』
○『独り言はゼロか百かの発想』
●『対話はゼロから百までの連続性を確認しつつ、着地点を確認する手法』
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●生徒の感想
 自分は犯罪を犯すのは頭の狂った人だと思っていました。しかし、講演を聞いて「孤立している人」と聞き恐怖を覚えました。と同時に納得もしました。
 恐怖を覚えた理由として、自分はゼロではないが友達が少ない。そして自分のことをすべてさらけ出せる友達は二人しかいません。今まで困ったことがあったらお母さんに相談していました。しかし、高校生になって相談しにくくなりました。しかし悩みはずっとあるので、ストレスがどんどん溜まる一方でした。だから先生の言葉を聞いてとても納得しました。
 その後、ストレスがたまっていた自分はその二人の友達に相談し、こころが楽になりました。だからこれからは困りごとがあったら誰かに相談しようと思いました。(高1男子)

 最近、医師が犠牲になる、医師を目指している人が人を傷つけるといった事件が続いていますが、これらの事件の前に行った講演会の感想でした。
成績が伸び悩み、東京大学医学部に入れそうにないとして人に切りつけた高校生は、答えを、目標を求める現代社会の犠牲者ではないでしょうか。多くの人はそんな理由で他人を傷つけるのは許されないと断罪し、医者は「医学部なら他にもたくさんある」とか、「医者の世界では出た大学はその後の活動にそれほど影響しない」と正論を言うでしょう。私自身、酷似したケースの相談を受け、非常に根っこが深い問題だと思い知らされたことがありました。少なくとも今回の高校生にとっては「東大理Ⅲ」が百、唯一無二の目標であり、是だったのです。それ以外は彼にとってゼロであり非だったのです。そこで今月のテーマを「ゼロか百か」としました。

ゼロか百か

○原因と結果という単純化
 感染症対策が混乱するのもこのゼロか百かの発想が根付いているからではないでしょうか。感染したら0点、感染していなければ100点。だから感染するリスクを下げるリスクリダクションという話をしても、「いろいろやっても、結局感染したらおしまいでしょ」と言われます。
 先日、知人4人で中華料理を食べに行きました。直径1.5メートル強の、ターンテーブル付きの円卓に等間隔に座り、出てきた料理は菜箸を使い、料理はしゃべらずにすぐにとりわけ、会話も自分の飛沫を相手にかけないように心掛けるなどの感染対策を共有した上で会食をしていました。ところが、他のお客さんはお互いの料理に飛沫をかけあいながら会食していました。どのテーブルにも神奈川県が推し進めているマスク会食のチラシが置かれていました。
 もしわれわれのグループで同時に二人以上の感染が確認されたとしたら、お店の空気の流れが今一つ弱かったのでエアロゾル感染の可能性は否定できません。でもそれなら他のお客さんも全員感染していたでしょう。でも、「感染」という結果が出たら原因は「会食」という単純な判断になり「空気の流れを創出する指導がされていないこと」にはならないのが今の日本の現実です。

●「なぜ?」がないゼロか百か
 在宅診療を熱心に行っていた医師が銃で射殺された事件で、死後1日以上が経過した母親に心臓マッサージをするよう求め、蘇生はできないことを説明された後、銃を発砲したと報道されています。殺された先生やご家族、関係者の方々は無念以外の何物でもないでしょうし、理不尽この上ない事件です。しかし、犯人にとって、母親は生きていなければならない存在で、生きていれば百点、生きていない状況はゼロ点の状態だったのしょう。
 いやいや92歳で、先生たちは最大限のことをしてくださったので、これ以上長生きをするのが無理だったとほとんどの人は思うのでしょうが、そう思えるというのは「生」か「死」か、「ゼロ」か「百」かではなく、生から死に向かう中でそれこそ92歳という年齢や様々な病状を受け入れることができている人たちの発想です。
 最初の生徒さんの感想にあった「犯罪を犯すのは頭の狂った人だと思っていました」というのがまさしく社会の受け止め方ではないでしょうか。表現の是非はともかく、なぜ人の道から外れたことをしてしまったのかを考える必要がありますが、ゼロか百かの発想で言えば「ダメなものはダメ」で「なぜ?」がないまま話はおしまいです。

○独り言はゼロか百かの発想
 斎藤環先生がひきこもりと対話について、示唆に富む考え方を示してくださっていますがこの考え方は社会で起きている様々な事件を考える上で参考になります。

 思春期の問題の多くは対話、dialogueの不足や欠如からこじれていく。議論、説得、正論、叱咤激励は対話ではなく独り言、monologueである。独り言の積み重ねがしばしば事態をこじらせる。

 今回、事件を起こした犯人たちも孤立から他者との対話の中で現実を受容するプロセスを経験できなかったのではないでしょうか。斎藤環先生は対話の目的は対話を続けること。相手を変えること、何かを決めること、結論を出すことではないと指摘されています。しかし、これらの事件を聞くと、多くの人は犯人が間違っている。他者を傷つけてはいけない。こんな人間が医者にならなくてよかった。と、自分なりの結論を出しますし、ネット上での書き込みはまさしく自分が出した結論、独り言、monologueオンパレードです。
 もちろん悪いものは悪い、犯人たちはとんでもないことをしてしまったのでそれなりの制裁を受けるのですが、同じことが繰り返されないためにどうすればいいかを考えなければなりません。「そう言うならあんたが答えを、犯罪を予防する効果的な方策を示せ」とまたゼロか百かに逆戻りさせられてしまいます。

●対話はゼロから百までの連続性を確認しつつ、着地点を確認する手法
 孤立というと、物理的、あるいは心理的孤立がイメージされますが、対話が成立する相手がいない状態も立派な孤立です。先の高校生が友達に相談しこころが楽になったと言っていましたが、人は話すことで何かに気づき、次なるステップを踏み出せます。対話は今を生きるために必要不可欠なことです。
 新型コロナウイルス対策で一番難しいのが着地点をどこにするかです。感染者ゼロ、死亡者ゼロは無理だということは多くの国民が感じている今だからこそ、いろんな人が対話する中で、一人ひとりができることは何かを繰り返し確認し、一人ひとりが着地点を受け入れられているよう、対話を重ね続けたいものです。

1. ワクチンを打ちたい人はワクチンを打ち、3回目は少し遅くなったけど4回目以降はより適切な時期に行おう。

2. 飛沫感染予防のために2メートル離れよう

3. エアロゾルの排出抑制のため、2メートル離れていればマスクを外そう

4. 接触(媒介物)感染予防のために、タバコのフィルターを触る直前に指先の消毒を

5. 軽い熱ぐらいだと、水分補給で様子を見よう

6. 咳が出た時はすぐに医者に診てもらえるよう、自分が医療崩壊の原因にならないようにしたい

7.

8.

 自分ができそう、したいと思うようなことを7.以下に100、いや200ほど列挙して、一つずつ、いろんな人と対話をし続ければ、お互いができることが少しずつ増えていくはずです。一方で全部を完璧に実施するのは無理だと気づかされると、どこで妥協するか、妥協しても決してそれはあきらめやゼロの選択ではなく、結果として感染した人もそれまでやってきたからこそ今まで感染しなかったり、感染しても重症化しなかったりにつながったという納得、着地点に向かえるはずです。
 斎藤環先生は対話の際の基本姿勢は相手に対する肯定的な態度。肯定とは「そのままでいい」よりも、「あなたのことをもっと知りたい」とおっしゃっています。でも感染症対策でゼロか百かの姿勢の人は「あなたのこの考え方が間違っている」と切り捨てて終わり。難しいです。