紳也特急 298号

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全国で年間200回以上の講演、HIV/AIDSや泌尿器科の診療、HPからの相談を精力的に行う岩室紳也医師の思いを込めたメールニュース! 性やエイズ教育にとどまらない社会が直面する課題を専門家の立場から鋭く解説。
Shinya Express (毎月1日発行)
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~今月のテーマ『コロナは何も変えなかった』~

●『学生の感想』
○『専門家ではないので』
●『HIV/AIDS診療の今昔物語』
○『「考え続ける」「つなぎ続ける」という専門性』
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●学生の感想
 
 私は元々不登校で、中学に約2年通っていない。高校からは少し特殊な学校に通い、なんとか社会復帰した。その過程でたくさんの社会の外れものを見てきたし、自分も、少なくとも世間一般の人達よりは、そのような経験をしてきたつもりだ。そんな私には、この世に溢れる「人とのつながり」を説くようなもののほとんどが何もわかっていない偽善者の戯言と感じられた。
 しかし、今回の講義は違った。岩室先生はこの講義で、自立とは依存先を増やすこととおっしゃり、一貫して人に頼ることを肯定し、そこから学んで前に進むように説かれていた。人に受け入れられることを諦めて自分の力だけを頼りに生きなければならないと思って生きてきた私にとってかなりの衝撃であった。今までの人生の全てが否定されたということによる不快感と、今までの苦悩が全て報われて救われたような感覚を同時に味わった。私の人生の分岐点になる様な、大きな経験をさせてもらった気がしている。もし今回の講義を私が10代の頃に聞く機会があれば、私の人生は全く異なったものになっていたのかもしれない、そう感じられるような時間だった。思いもよらないところで、貴重な時間を過ごさせてもらった。ありがとうございました。(大学生男子)
 
 この感想をいただき、いろんな思いが私の中で行き来しました。ただ、一つだけ思ったのが、この大学生が10代の時に私の全く同じ話を聞いてもおそらく今回のように響かなかっただろうと。私自身も、様々な経験、出会い、他者の話に影響を受けてきました。他者の話で言うと、忘れもしない、もとNHKアナウンサーの松平定知さんの講演を聞いた時のショックは今でもよく覚えています。マイク1本で2時間近く、聴衆を、少なくとも私を飽きさせることなく話していました。しかし、なぜ松平さんの講演が私のこころに刺さったかというと、自分自身が講演をし始めていたからでした。
 
 人は経験に学び、経験していないことは他人ごと。
 
 確かに様々な経験に直接学べる時もありますが、私の場合は自分自身が一つ一つの経験の積み重ねに学んでいたと改めて学ばせていただきました。
 一方で経験に学べないことも多々あったのがコロナ禍でした。これまで、なぜ、人はもっと科学的に感染対策を考えられないのかと思ってきましたが、それは大きな勘違いだったと反省させられました。そこで今月のテーマを「コロナは何も変えなかった」としました。

コロナは何も変えなかった
 
〇専門家ではないので
 ある方とHPVワクチンの議論をしていた時に、「専門家ではないので」とかわされてしまいました。いやいや、今、二人でしている議論、対話は専門家としての知識や知見をやりとりしているのではなく、むしろ一般人が持たなければならない視点についてなのにと思いつつ、「なるほどこうやって議論を、対話を避けるのか」とも思いました。
 コロナ禍で繰り返しマスコミに登壇した「専門家」もそうでしたし、いま、様々な課題をマスコミ、特にテレビで紹介する時に「専門家に聞いてみました」という振りになることが多いですよね。そしてその専門家に疑問を挟まない暗黙のルールがあるかの如く、「しかし、こういう見方もできるのではないでしょうか」といった突っ込みは一切行われません。
 実は岩室紳也は泌尿器科医でありながら、気が付けばHIV/AIDS診療に携わり、薬物依存症の方の診療もしています。そもそもHIV/AIDS診療の専門家は、薬物依存症診療の専門家は誰でしょうか。医療関係者の理解で言うと少なくとも泌尿器科医ではないはずです。なのに、どうして私が対応しているかというと、当初のHIVは他に診てくれる医者がいなかったり、薬物依存症の患者が適切、専門とされる診療科や支援施設、支援団体にアクセスしたがらなかったりするからでした。

●HIV/AIDS診療の今昔物語
 30年前の1994年、横浜で国際エイズ会議が、第1回AIDS文化フォーラム in 横浜が開催され、当時の県立厚木病院で最初のAIDSの患者さんを受け入れるという岩室紳也の人生でおそらくもっとも激変の年でした。その後、HIV/AIDS患者さんが増えるにしたがって、近隣の大学や病院の医師や薬剤師さん、看護師さんと勉強会を開催し、顔が見える関係性を構築するための「小田急HIV沿線の会」を開催してきました。コロナ禍で4年間開催できませんでしたが、つい先日再開し、そこで私は「HIV/AIDS診療の今昔物語」という話をさせていただきました。
 1994年当時、感染が判明した人たちは、治療薬がないだけではなく、セクシュアリティへの無理解や様々な場面で診療拒否に遭遇していました。しかし、歯医者さんと顔を突き合わせ、勉強会を重ねた結果、HIVに感染している人の歯科診療体制を構築することができました。認知症になった方の施設入所に当たっては、施設に出向き、感染防御策等をきちんと丁寧に説明させていただくと受け入れはスムースどころか、「認知症が進む前に、もう少し早くこの方を紹介していただければ、この方の人となりを理解した介護ができたので、次はもう少し早目につないでください」とアドバイスを受けました。在宅ケアは訪問入浴、訪問看護、ヘルパーさんを含め、こちらの想像以上の方の支援を得ることができました。透析が必要な人には透析を受け入れる施設も確保することができています。すなわち、「今」も「昔」も、専門性とか、universal precautionといった理屈の一方的な押し付けではなく、この人を何とかしたいという思いで人と人をつなぎ続ければ、様々なことが少しずつ前に進むということを話させていただきました。

〇「考え続ける」「つなぎ続ける」という専門性
 大学生が「自立は依存先を増やすこと」という言葉に反応してくれたように、私もいろんな依存先を増やし続けてきたからこそ、いろんな人が私の患者さんだけではなく、私たち病院の職員をも支え続けてくださっています。
 一方で新型コロナウイルスの現状を見ると、デルタ株まではいろんな人がいろんな工夫をし、それはそれで一定の効果はあったものの、オミクロン株になり重症化する人が確実に減った結果、報道もされず、でも今また全国で感染者数が増えてきているのに次のワクチン接種は秋冬頃となっています。身近でもクラスターが出ていますが、感染経路対策については4年以上が経過したにもかかわらず全くと言っていいほど浸透していません。
 そもそも新型コロナウイルス感染症の蔓延が始まった頃から、マスコミだけではなく、ほとんどの国民は専門家が言っていることを自分勝手に受け止めるだけで、考えることを放棄したまま今日に至ったのだと気づかされました。これまでコロナ禍の問題点を考えてきたつもりでしたが、気が付けば、「考えることを放棄している日本社会」に新型コロナウイルスが入り込んだというコロナ禍の本質に目を向けていなかったことを今頃気づき、反省している次第です。
 新型コロナウイルス感染症だけではなく、社会には様々な課題が山積しています。これからもできることは何かを考え続けることを放棄せず、できることを重ね続けたいと思いました。紳也特急のトップに「社会が直面する課題を専門家の立場から」と専門家を名乗っていますが、では岩室紳也は何の専門家なのか。「考え続ける」「つなぎ続ける」という専門性を持った専門家になりたいと改めて思いました(笑)。