紳也特急 31号

〜今月のテーマ『エイズ検査って受けた方がいいのですか?』〜

●『いまさら抵抗勢力の多さにビックリ?』
○『エイズ検査って受けた方がいいのですか?』
●『メリット、デメリットは何か再検証』
○『エイズ検査を勧めない保健所の医者』
●『受けやすい検査体制づくりと受けることの勧めは違う』
○『検査結果に関係なく生活習慣を考えよう』

◆CAIより今月のコラム
「本の扉の向こうがわに」
———————————————————————
●『いまさら抵抗勢力の多さにビックリ?』
 2月、3月は中学校、高校が卒業式を目前に控え、最後のチャンスとばかりに、性やエイズに関する講演会を依頼されます。今ではコンドームだけではなくトータルな意味での評価をいただいてのことだと思いますが、「具体的なこと(コンドームの装着法)を含めて教えてください」という学校が多く、忙しい毎日です。そんな中で性教育に対する抵抗勢力が多い地域に呼ばれる機会がありました。その地域では保健所が学校との連携を模索し、全校に性教育、エイズ教育を出前でするとPRした結果、管内の1割程度の学校で講演会を実施することができるようになっていました。しかし、学校との事前打ち合わせでは「寝た子をおこすな」、「性交の話はするな」、「避妊具はだめ」と厳しい注文がついたと担当の方は弱った顔で状況を説明してくれました。もちろん学校サイドからは「コンドーム」という言葉はでてきません(笑い)。性教育の抵抗勢力は深ーく深ーく浸透しているんです。
 ところが幸か不幸か、私が行った学校では保健所と学校の事前打ち合わせがされておらず、私も校長先生の雰囲気から生徒の雰囲気やその日の盛り上がり方を見定めながらどのように話を展開するかを決めることにしました。結局はチャンピオン君を使ったコンドームの達人講座を披露し、終わった後に校長室に乱入してきた男子4人組は「チャンピオン君最高」、「パンフレット頂戴」、「俺がうつさないよう彼女のためにコンドーム着ける」と明るく話してくれ、校長先生も喜んでいました。
 その時、保健所の保健婦さんが「厚木保健所でエイズ検査を受ける人を増やすためにどのような工夫をされていますか?」と聞いてきたので「努力はしていません。むしろ本当にエイズ検査を受けるのを勧める必要があるのかどうか疑問に思っているところです」と答えました。その保健婦さんは目を白黒させながら「岩室は何ていう医者だ」と思ったようです。そこで、今回のテーマは「エイズ検査って受けた方がいいのですか?」としました。

○『エイズ検査って受けた方がいいのですか?』
 こんな質問を受けることは余りなく、むしろ「みんなで受けましょう」、「検査を受けやすい体制づくりをつくりましょう」、「感染していることを知ったら相手にうつさないようにしましょう」、「自分の病状をきちんと把握して適切な治療を受けましょう」、といったアドバイスが全国各地で当たり前のように行われていないでしょうか。では、本当にエイズ検査は受けた方がいいのですか? HIVに感染しているか、感染していないかをはっきりさせるメリット、デメリットは何か再検証してみました。

●『メリット、デメリットは何か再検証』

エイズ検査を受けるメリット(順不同)
 ・感染の有無がはっきりする
 ・不安材料を払拭できる
 ・感染していなければより安心
 ・出産方法等の選択による母子感染予防
 ・感染していたら相手に感染させないよう行動を選択
 ・結果的に母子感染も予防
 ・ノーセックスを選択
 ・発病前に治療を開始
 ・発病前の治療でエイズを発症しない

エイズ検査を受けるデメリット(?)(順不同)
 検査結果を知ることでかえって問題となる点

 感染していた場合のデメリット
 ・将来の心配
 ・さらに不安になる
 ・心配でストレスを溜め、エイズ発症を早める
 ・パートナーや周囲に伝えるか否かで迷う
 ・パートナーにわかれば去っていく可能性あり
 ・セックスに対する抵抗が生まれる
 ・抗HIV治療開始時期が早すぎる可能性が否定できない(開始時期が少しで
も遅い方がより使いやすい薬になっている可能性が高い)

 感染していなかった場合のデメリット
 ・感染していないことで過去の性行動が安全だったと誤解
 ・性行動パターンを変えることなく、ハイリスクなセックスを続ける
 ・感染が確定するまで同じような性行動をとる

エイズ検査を受けても受けなくても変わらないこと
 ・検査結果は所詮検査を受ける3ヶ月前の状況の証明でしかない
 ・性感染症や避妊を確実にするにはノーセックスしかない
 ・自分の感染症を相手にうつさないためにはコンドーム
 ・相手の感染症を避けるためにはコンドーム
 ・避妊と性感染症予防を両立させるにはコンドーム

○『エイズ検査を勧めない保健所の医者』
 私は最近、HIV感染を知っていても知らなくても、どんな人でも「するなら着けようコンドーム」がHIV/AIDSのまん延予防とHIVと共に生きる上で最も重要なキーワードだと思っています。こう話すと必ず「子供をつくるときはどうするのですか」と聞く人がいますので、その「子供をつくる時点、妊娠を希望する時点で検査を受け、妊娠方法、出産方法を選択すればいい」と話しています。
 セックスパートナーが感染しているかしていないかはわかりません。あなたは(と敢えて投げかけますが)パートナーがセックスをする前の3ヶ月は禁欲した上で検査を受け感染していないことを確認してくれることを望んでいるのかもしれません。しかし、それって非現実的です。今までは「信頼できるパートナー」といったわけのわからない表現が一人歩きして、結局のところ「HIV感染は信頼できない人から」という誤解がまん延しています。

●『受けやすい検査体制づくりと受けることの勧めは違う』
 ここまで読んでいただいた方が「エイズ検査を受けやすくすれば受ける人は増えるはず。保健所の怠慢を棚に挙げるな」と怒っていらっしゃるとすれば、それまた誤解です。現在、保健所の検査は匿名、無料を謳っているものの、保健所が不便なところにあり「受けたい人も受けにくい」ということについては大いに反省しています。神奈川県では大和保健所で夜間検査、NATを導入した早期診断、等々、神奈川県衛生研究所の今井先生たちと連携しながら少しずつではありますが受けやすい体制づくりをしているつもりです。インターネットやi-modeで検査サイト検索できるようになっています。エイズ検査を受けたいという人にはできるだけ受けやすい良質なサービスを提供することが必要だと考えその議論は常に続けています。しかし、受けやすい体制をつくることと、検査を受けましょうと勧めることの意味は全く違います。

○『検査結果に関係なく生活習慣を考えよう』
 エイズ対策が曲がり角に来ているのは、従来の手法が行き詰っているからではないでしょうか。「検査を受けやすくして、感染する人を早期発見する」という一見まともな、自分でも取り組めそうな対策に取り組もうとして、実は感染拡大を十分阻止できていないということがないようにしたいものです。検査を受けていても受けていなくてもHIV感染は予防できます。

 HIVはどうして感染するのか?
 感染している人とセックスをするから。
 感染しているか否かを見分ける方法は?
 そんなのないし、必要もない。
 どうして? だって知っておくとこっちが楽じゃない?
 大丈夫! コンドームをつければ相手が感染していてもしていなくともあな
 たにはうつりません。
 そうだよな。検査受けるのも面倒だし・・・
 じゃ、コンドームを着ければいいんだね。
 コンドームを着ければ誰とでもして良いのか?(と怒る大人)
 誰もそんなことは言っていません。
 どのようなパートナーを選ぶかはその人のチョイスです。
 感染予防と避妊をしたければ「するなら着けようコンドーム」。
 確かにノーセックスかコンドームでしか予防できないよね。

 保健所関係者の方々。今一度、検査の意義を考え直してみてください。
 よろしくお願いします。

◆CAIより今月のコラム

「本の扉の向こうがわに」

 本当の自分は、もっと違うはず。
 いつか誰かが自分を見つけ出して、行くべく世界に連れて行ってくれる。光輝く誰かの人生は、本当は自分のものだったかもしれない。そんな風に考えたことがあるのはきっと私だけではないと思う。
 本を読んでいる間だけは、私は違う自分になれた。これといった才能もない臆病な自分から抜け出して、怪物と戦う勇者、名探偵、怪盗にも、誰もが愛さずにはいられない少女にだってなれた。
 私の周りには、いつも本があった。小さい頃は両親が交替で毎晩本を読んでくれた。父が毎日のように本を買って帰ってきていたのを今でも覚えている。
 最近の新聞で東大生が本を読まなくなったことを嘆く記事を見かけたが、学歴と本好きは必ずしも比例しないと思う。私の両親は高卒だけれども、私の歳の頃には遥かにたくさんの本を読んでいたようだ。本以外の選択肢が増えた現在、昔に比べて学生が本を読まなくなったことは事実だと思う。
 文章を読むことは好きな私だが、元来書くことは苦手だった。
 私はあまりにも他人の人生を生きすぎたのかもしれない。小説を読んで、映画、演劇を見ては、私は簡単に泣き、笑う。しかし、自分に降りかかった悲しい出来事、嬉しいはずの出来事の前に感情が麻痺して、泣くことも笑うこともできずにいる自分を見つけ出して愕然とする。私はもっともっと、笑って、泣いていいはずなのに。今なら、なぜ自分の書く文章が面白くなかったか解る気がする。経験が足りないのだ。もっといろんな人と出逢って、沸き起こる自分の感情に素直に向き合い、悲しいことも楽しいことも経験して、それを誰かと共有する喜びも知ったときに初めていい文章が書けるのではないか。
 大学に来て4年が経ち、出逢えたたくさんの人たちの充実した生が放つ光を浴びて、私も少しは前に進むことができたと信じている。本との付き合い方も変わるときに来ている。自分を忘れるために本を読むのではなく、誰かの生を生きることで学び、現実に流されずしっかりと立ち、心を研ぎ澄まして、自分の生を深めるために本を読もうと、今は思っている。

                             K.O