紳也特急 50号

〜今月のテーマ『無言の性教育』〜

●『読者からのたより』
○『相手に思いが伝わらない』
●『無言の性教育』
○『母と娘が反旗』
●『性教育の定義』
○『無言の怖さ』
●『性と向き合える環境整備を』

◆CAIより今月のコラム
「○○○○」

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●『読者からのたより』
 「俺にも生理来る?」は先日、小学3年生息子が発した言葉です。そこで「夢精にもお祝いを!」を推奨される先生に賛同しせっかくの機会なので「男には生理(月経)はないこと」5年生か6年生くらいになると夢精が起きることを話し、夢精があったら是非おしえて欲しいと伝えると・・・怪訝な顔で、
息子「なんで?」
私 「少し大人になったお祝いをするから」
息子「じゃあケーキ買ってくれる?」
私 「もちろん!」
息子「やった〜!朝起きて白いのが出てたらすぐ言うね」「ね〜それでもやぱっり・・俺にも一回ぐらい生理来る?」
 息子の理解度は???ながら・・・まずは第一段階は完了!しかし、実際、夢精を体験するまでに今の素直さが無くなるおそれが十分にあるのでこれからも夢精は決して隠す事じゃないよ〜のスタンスで折に触れ彼に伝えて行こうと思います。
<続報>
 息子のチンコ(我が家でのペニスの呼称)は本人の手により着実に日々、癒着部分が剥がされているようです。入浴前後に必ず「めくって洗うんだよ!」「めくって洗った?」と言い続けた私も今では週1回程度になり最近は彼のほうから「今日はプチっといったよ」(癒着部分が剥がれるとき、音を体感するようです)「今日は剥き過ぎたかな、オシッコがしみた」などと報告してくれるようになりました。おまけに学校で「みんな、めくってオシッコしないからいろんな方に飛んでいくんだわ〜」と同級生にトイレでおしえているようです。(本人談)

(おじさんより)
 HP拝見しました。何が正しいかは別として正しいと思われる情報が悩んでいる者に届くといいですね。自分の情けない体験が誰かの役立つたならと思い立ち、包茎手術で問題を抱えることになったことを紹介します。
 30歳になったばかりの頃、発奮し、夜間営業のある医院を週刊誌で見つけ、思い切って仮性包茎に手術を受けた。その結果亀頭部に血液が充満しないのか硬くならなくなった。術後はさばさばした気分で高揚していたのと勃起の程度まで気にしていなかったので判らなかったのだが、いざ防具(コンドーム)装着の段になっても亀頭部は充血せずです。ギンギンに朝立ちしても亀頭は柔らかいままです。それが原因でセックスを避けるようになりました。40歳代には臨戦態勢にあっても勃起しなくなり、以後防具の不要なセックスの無い生活になってしまいました。安易に医院を選んだ付けが回ったのか因縁かは不明ですが、包茎のための手術を受けるときの病院選びをもご教示していただけたらと思います。ビルの一角にあったそこの医院(クリニック)で手術を受けた部屋の様子は、布カーテンで仕切られるベッドが六床ほどあったように記憶しています。今思い出すと尚更胡散臭い部屋という観があった。
 後悔先に立たず です。
 このようなことは手術では起きえないことでしょうか?私の心理的な問題から発していることなのだろうか。包茎のままでもいいから、セックスライフを楽しみたかったと思いをめぐらす50歳です。

 読者の方、というか皆さんいろんな体験をされているんですね。それらを紹介するだけでもすごく意味があると思い、2つ載せさせていただきました。ちなみに「後悔の後、立たず」の経験は包茎の手術に対する大きな警笛だと思います。私は常々「子どもの包茎は手術不要」、「大人の包茎は自己責任で対処」と言い続けてきました。しかし、「おじさん」のような事例は当然考えられます。包茎の手術は皮膚を切り取る際に一緒に神経も切るため知覚障害、勃起障害が起きてもなんら不思議はありません。包茎手術後を丁寧にフォローした論文というのは見たことがありませんが、大体手術したらもう医者に見せたくないですよね。しかし、このような方が多いようでしたらやはり「包茎手術はよくない」という話をもっと広めないといけないでしょうね。
 ところでこうやって発言されている方だけが性に関心があったり、性教育的なことに関わっているのではありません。むしろ息子さんが「夢精を体験するまでに今の素直さが無くなるおそれが十分にあるので」とおっしゃるように、親がどんなにいろんなことを教えても、それ以外の社会的な刺激や環境の中で子どもは大きく影響されて変わっていきます。しかし、どうも性を語っている人だけが性教育をしていると誤解されていないでしょうか。無言で行われている性教育があるということをきちんと理解していただくために今月のテーマは「無言の性教育」としました。

○『相手に思いが伝わらない』
 AIDS文化フォーラム in 横浜の「コンドームをどう教えるか」からの感想です。「小学生からもコンドームを教えるとの事でしたが、エイズを防ぐために第一にノーセックスとおっしゃるのであれば、人間としてもっと大切なものをおしえるべきではないでしょうか」(40代、女性)という意見がありました。 思いを伝えることって難しいですね。これだけを読めば私も何となく「その通り」と思ってしまいます。しかし、私の思いが伝わらなかったと同様、正直なところ、この方がおっしゃる「人間としてもっと大切なこと」というのが何か私にはわかりません。

●『無言の性教育』
 このご意見をいただいた時にふと可笑しくなったのは私のように「発言している人」、「性教育を実践している人」が責められ、意見されているのですが、どうして黙って何もしない人、曖昧なことを言っている人は責められないのでしょうか。コンドームの達人、するならつけようコンドーム、といい続けているといろんな意見が私の元に寄せられます。今までは、「それはですね・・・」と反論したり、釈明したりしていました。しかし、どこかへんですよね。こんなに若者が辛い思いをし、HIV/AIDSや性感染症が広まっているのに何もしない、何も言わない人が批判だけするのはいかがなものかと思っていました。反論する前に「あなたもあなたなりの性教育をしてみなさい」と言っても「性教育なんて受けてこなかった私はこんなに立派な大人になったので性教育なんていらない」と言われて議論が平行線だと思っていました。しかし、それは私の被害妄想でした。無言でいる人もその人なりの「無言の性教育」をしていたということに遅ればせながら気付かせていただきました。

○『母と娘が反旗』
 ある女子大生が父母と一緒にドライブ旅行に行った時の話です。タイミング悪く旅行直前から月経が始まり、彼女はお父さんに「ファミレスかどこかでちょっと休んでもらえない」と頼んだところ「そんなの我慢しろ」と言われ、結局月経が元で喧嘩になって母と娘は電車で途中から帰ってしまったとのことでした。「パートナーや家族の月経を共有しよう」と言っている私の話を聞いて自分の体験を話し、みんなに伝えていいと言ってくれた彼女の気持ちを考えると悲しくなりますね。「女子だけ集め、カーテンを閉めて月経の話を聞かされた世代の男子は月経に関しての性教育も受けていません」と今までの私だったら思ったでしょう。しかし、実はそのように男女を分けて教えていること自体が性教育の一つだったのです。男子向けの性教育の内容は無言の中から「月経というのは男が知っておかなければならないことではなく、大したことではないので将来女性のパートナーができても、月経なんて生理現象の一つなので特に配慮することもない」、あるいは「月経というのは神秘的な女性に起こる現象でそれについては自分の想像力を働かせて知りたいやつは知ればいいもの」という情報を自分で勝手に解釈するよう教育されたと思いませんか。彼女のお父さんは残念ながら無言の性教育「女の月経は女だけで何とかすればいい、何とかできるもの」というのを忠実に守っただけなのに不幸な思いをしてしまいました。月経教育の外に置かれた「無言の性教育」の被害者ですよね。

●『性教育の定義』
 最近、「性教育はいつから始めるべきだと思いますか」と聞かれた時は必ず「性について何も話していないというのも立派な性教育ですよ」と返しています。性情報が氾濫し、小さい子でもテレビの性的な場面を見聞きする環境にいながら大人が、先輩たちが何も言わない、言えないという雰囲気に対して子どもたちは敏感です。その雰囲気を察し「性は密室の問題」、「性的なことについては他人と話すべきではない」という性教育を受けたことになります。その積み重ねが「夢精」について話せない子どもであったり、月経で辛い思いをする子の誕生につながっています。自分の子どもがセックスをして望まない妊娠やHIV感染症となった時に、性教育をしてこなかったことがいけないと思うのではなく、「性は自分の子どもとは無縁のもので敢えて教えたりしなくてもトラブルに巻き込まれないと思って黙っていた、性情報について積極的に排除していた親の『無言の性教育』の結果」と考えられないでしょうか。
 そもそも○○教育という言葉は○○について教えることと思われていますが、果たしてそうでしょうか。英語教育、数学教育というのは確かに英語を、数学を教えることと考えても違和感はありません。しかし、エイズ教育、性教育についてはむしろエイズを、性を教えることと捉えるより、エイズや性とどう向き合うかを教える教育と考えた方がわかりやすく誤解を生まないと思います。「エイズなんて関係ない」と無意識に言っている人がすごく多い中で育っている現代っ子はよっぽどインパクトのあるエイズ教育を他でしないとエイズは他人事と思うのではないでしょうか。「お金が一番」という環境にいれば「性でお金を手に入れる」という方程式を考え付いた子はある意味で賢いと思いませんか。

○『無言の怖さ』
 正確な情報がなければ正確な判断はできません。しかし、これは性教育だけの問題ではありません。いま前立腺がんの治療で患者が亡くなったことをマスコミが繰り返し取り上げています。今回の手術の是非はともかく、そもそも日本で行われているPSAというのを調べる前立腺がん検診自体が有効なのでしょうか。以下のサイト
http://www.nlm.nih.gov/medlineplus/prostatecancer.html
http://www.cancer.gov/cancerinfo/wyntk/prostate#24
をつぶさに見ていただくと、検診のみならず、前立腺全摘術の必要性についても慎重な記載が多くなっています。さらに、有名なMayo Clinicのホームページには「一生のうちアメリカ人男性は前立腺がんになる可能性は30%だが、前立腺がんで死亡する可能性は3%」とはっきり書かれています。前立腺がん検診で前立腺がんと診断された人の90%は前立腺がんで死なないということを日本の泌尿器科医は言っているのでしょうか。前立腺がんで死亡する人が必ずPSAの検診で発見されているのでしょうか。このことについてほとんどの泌尿器科医はノーコメント(無言)を続けています。(ちなみに日本では前立腺がんで亡くなる方は10万人に12.4人です。)

●『性と向き合える環境整備を』
 「おちんちんはむいて洗え」と銭湯で教えられた時代は「おちんちんとどう向き合うか」を自然と周囲が教えてくれたいい時代でした。一方で最近はお母さんが息子のおちんちんを清潔にしようとすると「男性のプライベートゾーンに母親が介入するのはいかがなものか」という「性教育」が周囲から聞こえてきます。確かに銭湯では同性が「おちんちんを洗いなさい」というので当時も女性が男性の性器について介入することはなく、問題にならなかったのでしょう。自宅に風呂ができた代償は大きく、銭湯でいろんな人がいろんなおちんちんを見せてくれた「性教育」がなくなり、見ることで解消できる悩みを抱え、包茎やペニスの大小について悩んでいる若者が増えています。自然な形で性と向き合えた環境が破壊された今、どのような環境整備が求められているのでしょうか。

◆CAIより今月のコラム

「出会い」
 昨日、行きつけの美容室に行った。髪を切ってもらいながら美容師とたわいのない会話をする。何もないようだが、これがなかなかのリフレッシュになる。そこで私の家の近くに最近、結婚して来日したガーナ人女性がいると聞いた。私の住んでいる所は小高い丘の上にあるため、急で長い坂を登らねばならない。平野育ちの彼女には坂がきつく、ある日美容院の入り口に通じる階段で一休みをしていたところ、スタッフが声を掛けた。それ以来、通るたびに顔を見せるようなったというのだ。そんな話を聞きながら『そういえばこの前美味しいお菓子があったなぁ…まだ残っていたはず!』
 不意に思い出し、お菓子に3行ばかりのメッセージカードを添えてスタッフに託した。その日の出掛けた帰り道、彼女がとても喜んでいたとの話を聞き、こちらも嬉しくなった。近々彼女と会うことになった。楽しみである。

「出会いとは偶然だが、出会うためには行動の積み重ねが必要である。」彼女との一件に関する率直な感想だ。

 今年4月よりCAIに参加し、エイズ・STD・セックスのことなどなど、どのようにしたら正しい性情報が同世代の若者達に伝えられるだろうか?と自分なりに考えてきた。
 以前はお互い向き合って話し合いながら、ちゃんと伝えなくては!という意識が強かったが、最近は考えが変わってきている。お互い向き合って話し合いながら話をすることも大切だが、誰かが聞いていようといなくとも、自分が言い続けることが大切なのだと思うようになってきた。今回のガーナ人女性との一件に戻るが、その女性と知り合いたくて美容院に行ったのではない。私が幸運だったのは、偶然とはいえ彼女と出会うチャンスに恵まれたということだ。

 性情報についても同じことが言えないだろうか?正しい内容であるかどうかだけに気を付け、起きて欲しい出会いに期待しつつ言い続ける。そのうちにSTDって何?エイズってなに?コンドームはどう使うの?など具体的な関心を持っている人とは遅かれ早かれ出会えるような気がするし、特に意識をしていない人にはどこかで偶然出会う気もする。またその時は聞き流されたとしても、『そういえば、こんなことどこかで聞いたなぁ…』と思い出してくれたらしめたものである。出会いが偶然に起こるものだからといって何もしない事が一番良くない。起こるかも知れない偶然が起きるように願いつつ、行動を積み重ねることが必要だ。行動が偶然を生み、偶然が行動を引き出す。これからも良い出会いに期待しつつ、正しい性情報が普及するよう気長に活動を続けて行きたいと思う。

祝・紳也特急第50号
 おめでとうございます。目指すは第100号ですね!
 これからもパンチの効いたコメントを楽しみにしています。

                              M.Y