紳也特急 65号

〜今月のテーマ『感謝と褒め言葉があふれる社会づくり』〜

●『生理がうつるって本当ですか?』
○『感謝と褒め言葉で癒し合う社会を』
●『本音はどこに?』
○『自分の背中を見せませんか』
●『誤解されないような工夫を』
○『感謝』

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●『生理がうつるって本当ですか?』
 隣にいる友達を指しながら「私が生理のときにこの子が私の後にトイレを使ったら2〜3日してから生理になったんですけど、よく『生理はうつる』って言うんですけど本当ですか?」と女子高生に聞かれました。
 こう質問された私は無意識の中でその日に講演したHIVが生理(月経)の時の血液を介してうつるかどうかを聞いているのかと思い確認したところ、そうではなく、生理が人から人にうつるものなのかを聞いているということがわかりました。これはある高校で話をした後に校長室まで追っかけてきた女の子たちが真剣なまなざしで聞いてきたことです。感染症の基本を説明し、うつる(感染する)ということは感染源となる病原体があり、感染経路があり、云々と説明してもわかってもらえるか自信がありませんでした。そこで、その場にいた7人の女の子たちに「1人の生理の期間が5日だとするとここにいるみんなの生理の期間を合わせれば35日で1カ月、31日を超えるでしょ。だからこんなに少ない人数でもいつも生理になる時期がダブっている可能性があるので、何となく1人が終わるとまた別の1人が始まるために「うつる」と錯覚してしまうんじゃない、と説明したら「何だ、そういうことか」と感動しながら納得してくれました。
 その後も「コンドームの着け方をちゃんと教えて」というグループが来て間近で丁寧に説明してあげると「難しいんだね。男ってこんなこと勉強していないよね。妊娠するのは私たちなのに。」ときゃあきゃあ言いながら真剣な眼差しで見ていました。「コンドームがこんなに難しく失敗する可能性があるものだと知ったらセックスもちょっと躊躇するよね」と言ったら素直に「うん」とうなずいていました。「自分の体や健康のことをちゃんと考えようとしている君たちって偉いよね」と褒めると、何となく嬉しそうに帰っていきました。一人ひとりの若者は多くの可能性があるのにその芽を摘んでいるのは大人たちではないでしょうか。今年は子どもたちが自己肯定感を持てるように、彼らの存在に感謝し、一人ひとりを褒めることから始めたいですね。ということで2005年の最初のテーマは「感謝と褒め言葉があふれる社会づくり」としました。

『感謝と褒め言葉があふれる社会づくり』

○『感謝と褒め言葉で癒し合う社会を』
 「感謝と褒め言葉」は友人の水谷修さんが繰り返し言っていることです。これは社会からはじき出されそうになっている多くの若者と、夜回りをはじめとして様々な機会を通じて接する中から彼が学んできたことです。私自身もこの姿勢を忘れなければ若者たちは必ずこちらのメッセージを受け止めてくれることを最近の講演会で実感しています。一方で、私を含めた大人たちが「若者に教えなければ」「若者を導かなければ」という姿勢になった途端、若者たちは聞く耳を持たない集団に変身します。これもまた講演会を数多く行ってきた私に若者たちが教えてくれたことです。彼らとの双方向のコミュニケーションが成立しなければこちらの思いを伝えることは不可能で、双方向のコミュニケーションに不可欠なものはこちらの真摯な態度です。

●『本音はどこに?』
 某県で教師が女子高生に対してわいせつ行為をして逮捕された事件を受け、校長をはじめ、教師一同が土下座をして謝ったという事件がありました。私はそんなことで土下座をしたことに驚いていたら、さらに驚かされたのが土下座は校長命令だったということでした。確かに、このような教師がいたことで、その学校の生徒さんたちに対する影響は計り知れないものがあると思われます。校長先生をはじめ、多くの方が戸惑われたことと思います。しかし、なぜ職員全員が土下座をするのかが理解できません。一人ひとりが大人として子供たちに申し訳ないと思う気持ちは理解できますが、買春をするという、そんなプライベートなところまで校長先生や他の教員が管理できるはずもなく、そのようなことについて「謝る」というのは何だか変だと子供たちは見抜かないでしょうか。買春をするような教師は社会のルールとして懲戒免職にし、「女子高生の体をお金で買うような大人が教師をしていたことは悲しいことです。でも世界中に未だに買売春が多く蔓延っていることもまた事実です。この悲しい現実をどのように受け止めればいいか正直なところ校長である私にもわかりません。」と心から悲しんでコメントするだけでいいのではないかと思っていますが皆さんはどう思われますか。

○『自分の背中を見せませんか』
 世の中がおかしくなるパターンの一つに、目的意識をなくして手段と体裁に走ってしまうというのがありそうです。私は1人でも多くの人に私なりのメッセージを伝えてHIVを含めて性で悲しい思いをする人を減らしたいと思っています。ここを忘れなければ大きな過ちはしないのかなと勝手に思っています。ただ、伝え方についてはいろんな意見があることも事実ですので、意見が対立している時は「あなたの考え方もすばらしいですが私にはできないやり方ですね。ぜひあなたなりのスタンスで大いに頑張ってください」と言うように心掛けています。
 結婚前までセックスをしない「純潔」はHIV感染予防ではすごく大事なことだとわかります。しかし、その意味で「純潔」ではなかった私はウソが言えません。子どもたちはすぐにウソを見抜きます。そんな私が精一杯できることは私や私の患者さんを含めた多くの大人たちが歩んできた道を、その一人ひとりの背中が見えるように丁寧に紹介することだと思っています。

●『誤解されないような工夫を』
 ところが誤解というのは常に付きまとうものですね。先日、私の講演会を聞き「岩室先生は多様性を認めよとおっしゃいますが、援助交際を含めて社会の悪を容認しろと言うのですか?」と食って掛かってきたオジさんがいました。「そのような受け止め方、考え方があると知り、本当に勉強になりました。私が言う『多様性』というのは決して犯罪や社会悪を含めた多様な状態を認めましょうということではなく、あくまでも社会的規範に照らし合わせてもおかしくないことについて話しているだけですが、表現力が乏しく誤解を招いて申し訳ありません」と返答させていただきました。
 一方で、これだけ多くの性産業が蔓延る中で、医者でも、教師でも、職種や立場に関係なく多くの方が性産業を利用していると言う事実もあり、それをどう考えればいいのか、どう若者に伝えればいいのかがいま一つわかりません。

○『感謝』
 そんなことを悶々と考えていた時に、ある高校生から次のメールをもらいました。「今までしんたんのHPを学校のパソコンで見ようとすると○○市の教育委員会にブロックされて見れなかったんだけど先週見ようとしたら見れたよ!これで○○市の子供たちがしんたんのHPを見て新たに知識を得られるようになりました☆良かったね(b^−゜)」こんなことを考えてくれている高校生がいるというのも本当に励まされますね。感謝です。今年は感謝と褒め言葉があふれる活動を通して、若者たちの心を動かす活動を展開して行きたいと思っています。
 みんなで、「ありがとう」、「すごいね」、「えらいね」という言葉を合言葉にしませんか。

  CAIの皆さん、AIDS文化フォーラム in 横浜にかかわっている皆さん、講演に呼んでくれた皆さん、講演を聞いてくれた皆さんに、そして、何より公務員時代より家にいない私を支えてくれている享子にあらためて感謝したいと思います。

 皆様、本年もよろしくお願いします。

◆CAIより今月のコラム

「本物を伝える力」

皆さんはゴスペルという音楽をご存知ですか?

 「天使にラブソングを…(92年・米)」という映画で歌われ、「Oh,Happy Day」「Hail Holy Queen」をはじめ、お茶の間に広まりました。現在、日本にはゴスペルを歌う団体が約5000団体、総数は3万人以上と言われています。趣味で歌っている方を含めると、実際はもっと多いはずです。私もゴスペルに魅せられ、歌い始めて5年が経ちました。ゴスペルは賛美歌にアフリカのリズムが混ざった音楽です。黒人でもクリスチャンでもない自分が、ゴスペルの世界観を表現し切れないと感じ、歌うことを辞めようと思ったことは何度もあります。

 ある黒人の友達にこの悩みを告白したところ、彼は「今は黒人が”黒人学”を学び、自分達のルーツを学んでいる。ゴスペルは確かに奴隷だった黒人達の音楽だったけど、今は誰が歌うかが問題ではなく、歌の内容を伝えることが大切ではないか」と言います。それ以来、迷いは大分なくなりましたが、今も戸惑いながら譜面に向かうことはあります。しかし「形じゃなくて中身だ」と思い、ゴスペルを歌いつないだ人々の想いを伝えようとすると、不思議と歌う力が戻ってきます。残念ながら、私にゴスペルを歌う意味を教えてくれた友人は、イラク戦争でアメリカへ召集されました。
 日々たくさんの犠牲者が出ておりますが、今も彼が元気であることを心から願っています。

 以前の紳也特急で、岩室先生が「AIDSやHIVで命を落とした患者さんの為にも予防啓発活動を続けたいと思う。」とおっしゃっていました。勝手な解釈ですが、この岩室先生の気持ちと私がゴスペルに向かう時の気持ちに近いものがあると感じました。インフルエンザやSARSと同じ感染症であるのに、AIDSやHIVが下火にならないのは、単に病原体という範囲を超えて、人の考えや行動が深く関係しているからだと思います。思いに対応できるのは、やはり人の思いではないでしょうか。

 自分の力が及ばない部分があるとしても、いかに伝えようとするか。この姿勢や思いこそが「本物を伝える力」だと思いますし、最高の現実感を持って対象者の心に響くのだと思います。私の場合、観客の反応を見れば一目瞭然。ついつい形式や「本場」「本物」ということに縛られがちですが、これからも真っ直ぐな気持ちでゴスペルと向き合っていきたいと思います。

 最後になりましたが、多少無理をしてもお構いなしの健康な身体と、精神的に支えてくれる親・友人達に感謝申し上げます。今年もたくさんの出逢いがありますように・・・。

                                 Y.M.