紳也特急 68号

〜今月のテーマ『「性交」か「性的接触」か』〜

●『性交か性的接触か』
○『正しい保健体育』
●『教科書って何?』
○『女子が触る時代?』
●『何が大事?』
○『性的接触とは?』
●『コンドームを教えたらセックスを勧めることになる?』

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●『性交か性的接触か』

どうして教えてくれなかったのですか
 先日毎年呼ばれている中学校で講演を終えた後、校長先生の前で養護の先生に叱られてしまいました。「いつものチャンピオン君をどうして子どもたちに見せてくれなかったのですか。生徒たちは先輩たちから聞いていて楽しみにしていたんですよ」と。
 最近の性教育バッシングの影響もあり、何となくコンドームを教えなくても伝えたいことは一杯あるのでその場の雰囲気で敢えてチャンピオン君を取り出してコンドーム装着の実演をしなくてもいいと思っていました。その日の講演もそれなりに盛り上がって終わったのですが、コンドームの装着については先輩たちも先生たちも上手く伝えられないから岩室の話を楽しみにしておけ、というコンセンサスが出来上がっていたようです。それを私が先生たちと確認することなく自分勝手に講演内容から外してしまったのはまずかったと反省しています。
 今回の事もコミュニケーション不足から来ることと反省しましたが、教科書検定で「性交」か「性的接触」かでもめているということを聞いて大人たちこそコミュニケーションが取れていないのだと悲しくなってしまいました。ということで今月のテーマは『「性交」か「性的接触」か』としました。

『「性交」か「性的接触」か』

○『正しい保健体育』
 みうらじゅん著「正しい保健体育」(理論社:\1,200円)を読みました。若いうちは、とにかくオナニーをすべきです。セックスは20歳まではしてはいけません。やりてーぜ。入れてーぜ。金玉と包茎。言葉はドキッとするものを使っていますが、こんな教科書はあり得ないと思いつつ、副読本的に見れば結構参考になる内容かなと思いました。この本が興味深いのは、あまりにもわかりやすい言葉を使っている点で、若者たちが自分が悩んでいることを、自分が悩んでいる言葉で表現してくれている点ではないでしょうか。(もちろん昨今の性教育バッシングの状況から「セックスは20歳まではしてはいけません」という言葉だけが独り歩きする危険性もあるでしょうが。)実際、難しい言葉で教えられても、それが自分が悩んでいることだと気がつかない人も多いことでしょう。

●『教科書って何?』
 このような過激な表現の本が売れる一方で、中学校の教科書で性感染症について説明する際に「性交」という表現が適当か「性的接触」という表現が適当かということが議論になっているそうです。しかし、この議論はどこか変だと思う人もいるでしょう。教育の基本となる教科書は、生徒が読んで勉強になり、その後の人生で活かせる情報が記載されていることが基本だとすればわかりやすい表現にすることが大事だということは理解されるはずです。文部科学省が「教科書を見ていただければ判るように、国は性についてちゃんと教えているのがわかっていただけると思いますよ」というアリバイ作りのためにしているわけではありませんよね。

○『女子が触る時代?』
 小学校の先生が「昔は男子が女子の体を触るいたずらが問題だったのですが、最近は女子が男子の体を触って男子の気を引こうとすることが増えてきているように思うのですが、どう考えればいいでしょうか」と相談して来られました。確かに昔は男子が女子の体を触りたくて、性的な対象として意識しつついたずらをしたものです。なぜ男が女の体を触りたいのかと言われても「本能的な性的なもの」としか言いようがないですが、では女子が男子の体を触りたがるのも「本能的な性的もの」と片付けていいのでしょうか。確かに女子の方は男子が女子に触られることを「性的接触」として感じ、女子の行動に反応することを知っているのでしょうが、昔の男子が女子を触った時のような、自分自身の性的興味を満たすためにそのような行動をとっているとは思えません。
 では、どうして女子がそのような行動をとるのでしょうか。もちろんケースバイケースでしょうが、自分自身にみんなの関心の目が集まって欲しいという気持ちが強いのだと思います。男子を触れば確実にその男子が反応することは容易に想像できますし、男子を触るという行動は周囲の目を引くこともまた確実です。女としての自分自身の性的魅力を十分意識した上で、男にとって異性である、性的な対象である自分が触るだけで彼の関心や性的な興奮を惹起できる自分を武器にしているのではないでしょうか。

●『何が大事?』
 このように書いていると、岩室は「性交」と書くべきだと言っているように思えるでしょうが、実は違います。私は「性的接触」でいいと思っています。そもそも教科書はそれだけを生徒が読み、全てを理解するためのものではなく、学校という枠組みの中で、教師が、授業という場で、いろんな価値観を持っている親がいる、多様な発達段階にある生徒さんたちに情報を教えるための道具です。そのため車の運転には道路交通法というルールがあるように、教科書の作り方、使い方には学習指導要領というルールがあります。ここまで読んで「そんな考えはおかしい」と声高に叫んでいる人が多いと思いますが、どうしてこのようなすれ違いが起こるのでしょうか。

○『性的接触とは?』
 確かに「性的接触」という範疇には「性交」、「ペッティング」、「愛撫」、「キス」をはじめとして「手をつなぐ」、「触る」、「アイコンタクト」、等々様々な接触方法があります。目で見つめただけで、見つめられただけでドキドキした思い出は誰にでもありますよね。それもある意味で「性的接触」だったはずです。しかし、このように「性的接触」の範疇があまりにも広く、それを定義することが難しいばかりか、曖昧な表現はかえって正確な理解を妨げるという思いから、昔の私でしたら「そんな曖昧な表現はやめるべきだ」と言い切っていたと思います。実際に現在使われている中学校の教科書には『HIVの感染経路は、(中略)現在では性的接触にほぼ限られています。したがって、エイズの予防は他の性感染症と同様に考えればよいのです。』という記載があります。厳密に言えば、性的接触に含まれるキスではHIV感染は起こりません。ここまでわかっていても今では「性的接触でいい」と思っています。
 このように思えるようになったのは、先日神戸大学の石川哲也先生と対談させていただく中(参考文献参照)で、学校現場で性について教えるようになった経緯や、今でも様々な圧力がある中で「学校で教員が性について教えているだけで画期的なことで、その環境を維持するためには教科書に掲載する言葉としての性的表現に関するコンセンサスが得られていることが一番大事」だと言うことを学んだからでしょう。ただ、「性的接触」と教えている学校での授業だけで全てが完結するとは思っていません。それは学校現場の先生方自身が感じていることです。

●『コンドームを教えたらセックスを勧めることになる?』
 先日、ある医師会で講演をしたところ「コンドームを教えたらセックスを勧めることになる」と一人の医師からおしかりを受けました。「野球を知らない子に教えるのとは違って、性的な興味を持っている子どもに(ということは既に起きている?)コンドームやセックスについて教えたら『コンドームを使うならセックスをしてもいい』と言っているようなものだ」と。なるほど。この先生はパートナーとなり得る女性の気持ち、望まない妊娠、HIVをはじめとした性感染症、コンドームの限界、等々を教えられても本能の赴くままセックスやレイプに走ってしまうんだろうなと思わずにはいられませんでした(ここでは笑えない)。
 こと性の話となると、一つ一つの言葉が刺激的ですので、その言葉に引っかかり私の話全体を見ることができないのは当然なのでしょうね。木を見て森を見ず。というか森の中のある実があまりにも目立つものだから森の中にある実だと言うことさえも忘れ去られてしまうのでしょう。そんなやり取りを聞いていた別の医師は「エイズ予防のためにはコンドームが大事だと言うだけの話であって、コンドームを教えたことで子どもが起きてもコンドームを使えばエイズは予防できる。それだけの話ではないか」と言ってくれました(拍手喝采)。同じ話を聞いても受け取り方は様々ですね。
 「コンドームの教え方はいかがしましょうか?」と最近、初めて講演に呼ばれた学校で必ず講演前に校長先生等に確認させていただいている時に返ってきた言葉です。「岩室先生は医師の立場で話してください。生徒は真剣に患者さんと向き合っている医師の話を聞きたがっています」。大人は自分の背中、生き方をもっと見せるべきだということを理解していただいている先生だと思い、思わず「コンドームの教え方は・・・・」と聞いている自分が恥ずかしくなりました。

参考文献
 石川哲也、岩室紳也:学校保健と地域保健の連携不足は理解不足が原因?
 公衆衛生、69、318‐324、2005