正解依存症まん延社会

 コロナ禍を経験し、またいろんなところで感染予防の話をさせていただく中で、つくづく感じさせられたのが、多くの人が求めていることが唯一無二の「正解」だということでした。一通り話し終わった後、「話の内容はよく分かったのですが、で、結局のところマスクは必要ですか、不必要ですか」との質問を受けると、自分自身の普及啓発能力を反省するしかありませんでした。しかし、マスクに限らず、様々な場面について同じように「〇〇は必要ですか、不必要ですか」や「〇〇は是ですか、非ですか」と繰り返し聞かれる中でふと思い出したことがありました。
 新型コロナウイルスが広がる中で、政府の専門家委員会の先生と話をする機会があった時に、きっぱり、「私は岩室先生とは意見が異なります」と言われ、残念ながらそれ以上議論を続けることが出来ませんでした。
 一方で次のように言われたこともあります。

 岩室先生は見えてくるもが多いと、楽しいと表現されていますが、多くの人は逆に混乱に陥ると思います。AかBだけでなくて、A~Zまであったら、どれが正しいのかという視点になるからだと思います。

 なるほどと思いました。新型コロナウイルスとマスクの関係のA~Dを並べてみました。

A:飛沫感染をさせないためにはマスクは必要。
B:自分が飛沫感染しないためには、飛沫を直接顔にかけられそうになったときはマスクは効果的。
C:不織布マスクをしていてもマスクと顔の隙間からエアロゾルはむしろ多く排泄されることになる上、マスクをしていてもエアロゾルはマスクと顔の隙間から吸い込むのでエアロゾル感染対策にはならない。
D:いろんなところを触った指を洗わない、消毒しないままマスクがずれた時にマスクの表面を触ったら、指についていた飛沫やエアロゾル内のウイルスがマスクの表面に付着し、結果的に吸い込むことになって危険。

 「ややこしい話はどうでもいいから、マスクは必要か不必要かを教えてくれ」という方が多いのではないでしょうか。

 確かにそのような視点に陥れば苦痛以外の何物でもないでしょう。でも、人間って、というか生きるってことはそんなに単純じゃないですよね。マスク警察が跋扈した時、科学的に考えられない、一方的に自分の意見を押し付ける人はなぜそうするのだろうか、と考えていました。そこにあったのは、正解依存症がまん延している社会でした。

岩室紳也も正解依存症だった

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