紳也特急 280号

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■■■■■■■■■■■  紳也特急 vol,280  ■■■■■■■■■■
全国で年間200回以上の講演、HIV/AIDSや泌尿器科の診療、HPからの相談を精力的に行う岩室紳也医師の思いを込めたメールニュース! 性やエイズ教育にとどまらない社会が直面する課題を専門家の立場から鋭く解説。
Shinya Express (毎月1日発行)
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~今月のテーマ『論文が生む誤解・偏見・差別?』~

●『生徒の感想』
○『日本エイズ学会での学び』
●『当事者の力で感染経路にたどりついたHIV』
○『日本人は「感染経路対策」が苦手?』
●『俯瞰と判断 vs 論文』
○『感染経路は論文にならない?!?』
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●生徒の感想
 先生が「今日の夜、飲みに行きます」と言う話をされた時、正直かなり驚きました。私は感染症に対する知識はあっても、マスクをし、消毒をし、人との食事の機会を減らすだけです。きちんと対策をすれば、マスクをせずに会話をしたり、食事をしたりしても大丈夫だという考えを思いつくことすらできませんでした。知識を持つだけではなく、関心を持ち、考えることが大切だと気づかされました(高2女子)。

 感染経路が限られているので対策をすれば大丈夫なのに広がってしまうのは、知識不足がほぼ理由の全てを閉めているような気がした。けど、経験したり、おっしゃっていたように本当の意味での命の大切さを知っていないと、積極的にそのようなことを学ぼうとはしないと思う。(高2男子)

 テレビや周りの人に言われて何となく信じていることも、実はよく調べると正確ではないことがわかって驚きました。(高2女子9

 日常的にご飯を食べながらスマホをいじってしまうことが多いため、今一度そういうところから見直し、感染しないように心がけたいと思った(高2女子)。

 岩室先生が何度かマスクを外す際、マスクの置き方が気になっていました。マスクに手が極力触れないように外していたと聞き、いつも自分がマスクを外す時、手が触れてしまっているので、今日から気を付けていこうと思った。(高2女子)

 マスクをしているのが当たり前だったので、リスクをしっかり考えれば、外してもいいのではという意見が新しくて、聞いていて勉強になりました(高2男子)

 マスクをどうやってつけて、どうやってとった方が感染しないかを学べた(高2女子)。

 科学的に考えれば当たり前ですが、マスクが必要な場面が、国や学校から指示されているものと違っていて驚きました(高2女子)

 わかりやすく話せば、感染経路についての理解は広まりますが、相変わらず日本では感染経路についての理解が広がらず、新型コロナウイルスの感染拡大も第8波を迎えています。そんな時、日本エイズ学会に参加し、論文が誤解・偏見・差別を生んでいるのではないかと気づかせてもらいました。そこで今月のテーマを「論文が生む誤解・偏見・差別?」としました。

論文が生む誤解・偏見・差別?

○日本エイズ学会での学び
 2022年11月18日~20日に静岡県浜松市で開催された第36回日本エイズ学会にリアルで参加してきました。全参加者の約半数がリアルで参加し、懐かしい方々と楽しく談笑、議論をさせていただきました。日本エイズ学会は発足当初から、他の医療系の学会と異なり、保健医療福祉関係者だけではなく、当事者、NGOの方々が参加する開かれた学会で、いろんな視点からHIV/AIDSの問題を考えられる素晴らしい機会です。
 このご時世なので新型コロナウイルスを取り上げたプログラムを数多くありましたが、シンポジウム『無くならない感染症への偏見・差別 ~ハンセン病、HIV、新型コロナウイルスと、教訓は何故いかされなかったか~』を聞かせていただき、誤解・偏見・差別が生まれる背景を垣間見させていただきました。

●当事者の力で感染経路にたどりついたHIV
 感染経路とは、感染症の病原体が生体に侵入する道筋、経路を言います。すなわち、病原体(ウイルス)が感染している人のどこに存在し、感染する人のどこから、どうやって侵入するか、うつるかを明らかにしたものです。

病原体(ウイルス)は、どこから、どこへ、どうやって

 HIV(エイズウイルス)の場合、AIDSという病名が付いた病気が性行為、血液製剤使用、薬物の回し打ち、出産授乳でつながった人たちの間で広がりました。しかし、性行為、血液製剤使用、薬物の回し打ち、出産授乳は感染する行為、感染機会で、感染経路ではありません。感染経路が明らかにならなければ、感染しないためには、感染する行為を、感染機会をすべて避けるしかないためだけではなく、感染する行為が、感染機会が、それこそ感染者が偏見や差別にさらされることになります。そのため、感染経路を明らかにし、それぞれの行為で、機会で感染が成立しないための感染経路対策を考えるようになりました。その原動力となったのは当事者や当事者を支えてきた関係者、専門家たちでした。
 男性同性間のセックスであっても、異性間のセックスであっても、感染を防ぐためには感染経路を遮断するコンドームが有効です。違法薬物を注射で使用しても感染しないためには一人だけで注射器を使うことが有効です。すなわち、欧米では感染経路を断つためにできることは何かを考え、専門家が正しい知識としての感染経路対策を伝えたり、関係機関がコンドームを配布したり、薬物の回し打ちをしないため個人で使用できる注射器を配布したりしてきました。

○日本人は「感染経路対策」が苦手?
 ところが日本ではいまだにHIV感染予防のための感染経路対策としてコンドームの有用性を伝えたり、イベントや講演会でコンドームを配布したりすることへの抵抗感が根強くあります。ましてや薬物の回し打ちを避けるための注射器の配布は言語道断とされています。すなわち、感染経路対策より「不特定多数とのセックスはだめ」、「薬物はダメ、絶対」といった感染機会対策、感染者対策を重視し続けています。
 新型コロナウイルスの場合も感染経路、すなわち「ウイルスは、どこから、どこへ、どうやって」を理解するのではなく、当初から夜の街といったハイリスクな感染者集団を特定したり、飲食と言った感染機会を避けたりすればいいといった感情が先立ち、未だに理論的に感染経路対策を考えられないのではないでしょうか。

●俯瞰と判断 vs 論文
 マスクを外せない日本人と、マスクをしない欧米人の違いはどこにあるのでしょうか。欧米人は、物事を俯瞰して見て、マスクのメリットとデメリットを総合的に判断し、社会として何を選択すべきかを決めています。ワクチンも打つ打たないは個人の判断と責任とされています。一方で日本人は「とにかく感染しないため」を重視し、子どもたちの発達に及ぼす影響といったことを考えることができません。なぜなら日本の専門家たちもマスコミも「そのようなエビデンスは、論文はどこにあるの」となるからです。
 広辞苑に「エビデンス」は「証拠。特に、治療法の効果などについての根拠」と書かれており、日本人は「証拠を示せ」という意味でエビデンスという言葉を使います。しかし、Oxford Dictionaryの“evidence”は“The available body of facts or information indicating whether a belief or proposition is true or valid.”とあります。わかりやすく言うと「(新型コロナウイルス対策の)エビデンスとは、現在入手できる一連の事実や情報に基づき、提案された対策が間違いではない、あるいは有効かを考えるためのもの」です。大きな違いは自分で考え、判断するための“evidence”と、他人に答えを教えてもらう「エビデンス」の違いのように思いませんか。

○感染経路は論文にならない?!?
 ある元新聞記者の方はいろんな論文を読み、多くの専門家の話を聞いておられました。専門家が書く論文には客観的に間違っておらず、「感染機会である、3密状態、カラオケ、飲食店で感染が広がった」と書かれています。しかし、「3密状態、カラオケ、飲食店で飛沫感染、エアロゾル感染、落下した飛沫やエアロゾルが付着した食べ物での感染が何割ずつだった」という論文はありませんし書けません。「マスクを外せない子どもたちが陥る精神的な問題」といった論文が出てくるとしてもずいぶん先になるでしょうし、そもそもマスクが原因か否かの証明は難しいので論文にならないのではないでしょうか。
 すなわち、感染機会や感染者は一見客観的な論文になり、専門家の業績となり、マスコミも報道し、その論文を読んだ専門家は自信を持って論文に基づいたコメントをします。一方で感染経路は理論的に「病原体(ウイルス)は、どこから、どこへ、どうやって」を考え、理解し、説明する必要がありますが、その根拠となる論文は示せません。
 誤解・偏見・差別が生まれる背景に何があると思いますか。私はハイリスクな感染機会や感染者を集計した論文と、個人の判断と責任を重視しないだけではなく、強烈な同調圧力を醸し出す、そして何より理論的に感染経路を考えることを放棄した国民性があるのではと思っているのですが、皆さんはどう思われますか?