紳也特急 285号

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■■■■■■■■■■■  紳也特急 vol,285  ■■■■■■■■■■
全国で年間200回以上の講演、HIV/AIDSや泌尿器科の診療、HPからの相談を精力的に行う岩室紳也医師の思いを込めたメールニュース! 性やエイズ教育にとどまらない社会が直面する課題を専門家の立場から鋭く解説。
Shinya Express (毎月1日発行)
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~今月のテーマ『中途半端』~

●『生徒の感想』
○『普及啓発の矛盾』
●『出るウイルス量と感染するウイルス量』
○『漂うものも最後は落ちる』
●『手から食べ物、そして口から肺へ』
○『手からマスク、そして肺へ』
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●生徒の感想
 
 依存症は孤独の病気だと話していて、自分もゲームが好きで、家にいる時はよくゲームをしていて、前に少しだけ何でゲームをするのかを考えたら、家にいると誰とも関わらないからだと思ったことがあって共感出来ました。でも、学校に行って、友達と話したり、サッカーをする方が楽しいので、それで依存症にならなかったのだとわかりました。でも友達などと関わっているといいこともあればよくないこともあるので絆(きずな)のもう一つの読み方(ほだし)も知ることができてよかったです。(中3男子)

 奇抜な話題が目立つ講和でしたが、そこの本質は先生がおっしゃっていた「孤独」という病があるのかな、と考えさせられるお話でした。思えば昨今の世の中、性的な話題はともかく、抜本的な性教育までもがはばかられる始末で、こういった物事に対する具体的な対話が難しいがために間違った脅し文句のような広告で知識が広まることが少なくないと思います。だからこそ“保健講和”という形で意見交流の場を提供していただいたことが、とりわけてそういった経験則にも疎い高校生にも刺さったのだと思います。誰しもが社会コミュニティでの生活を求めているものだなと改めて深く感じ取るきっかけになりました。今日はありがとうございました。(高2男子)
 
 私は小学校に入学してから卒業近くまで、幼稚園では仲の良かった人、数名にいじめられていた。しかし、日々された嫌なことや言われたことははっきりと覚えているが、自宅に帰ってから両親に言おうか考えたりしたことはなく、更には自宅で、学校であったことを思い出していた覚えもない。その後、小学校6年生の頃に、周囲の友達がいじめを先生に伝えてくれ、先生や両親に事実が知られることになった。「どうして6年間も言わなかったのか」「よく6年間も耐えられたね」と何度も聞かれ言われたが、それに対しては自分自身でも疑問であった。されたことに対する嫌な感情は今でも覚えており、その人のことを考えるだけで否定的な気分になるが、自宅に帰ると平気だったのはなぜだろうか。講義を通して、それは自宅や両親、家族の存在が大きくて暖かく、かつ唯一の居場所であったからだと、すとんと腑に落ちた。何をされても声をあげずに6年間過ごせて良かったとは到底考えてはいないが、改めて自分自身には最初から居場所があったことが救いであったのだと痛感した。(女子大学生)

 岩室先生の講話を聴いて、「学びて思はざれば則ち罔し。思ひて学ばざれば則ち殆し」という言葉を思い出しました。自分一人で考えたり、逆にインターネットの情報をそのまま鵜呑みにしたりすることの危険性が身に沁みて分かった講和でした。(高2男子)
 
 同じような講演をしていても、当然のことながら一人ひとりの受け止め方は違います。これが普及啓発の難しさでもあり、自分自身の学びにもつながるありがたい機会でもあります。皆さんは「学びて思はざれば則ち罔し。思ひて学ばざれば則ち殆し」の意味をご存じでしょうか。私はよくわからなかったので改めてネットで調べ、「教わるばかりで、自分で考えることが少ないと力はつかない。自分で考えてばかりで、人に学ばないようだと、考えが偏るので危険このうえない」ということの意味を考えさせられました。いろんな人と対話をしながら、繰り返し考え続けることが新たな気づきにつながるのです。
 しかし、残念ながらこの3年間の新型コロナウイルス対策はいろんな意味で対話も、考え続けることも中途半端だったと言わざるを得ません。そこで反省の意味を込め、今月のテーマは「中途半端」としました。

中途半端

○普及啓発の矛盾
 このメルマガが発行された1週間後の5月8日(月)から新型コロナウイルス感染症は感染症法上の2類相当から5類に移行し、季節性インフルエンザと同じ扱いになります。そこで改めて新型コロナウイルス感染症に対して国民がとっている行動と、岩室がこれまで予防で伝えようとしてきたことのズレ、矛盾に気づかされています。
 3月13日にマスク装着が個人の判断となりましたが、結果的に今まで同様、多くの人が屋外を含めてマスクを装着し続けています。一方で感染した人たちが持っているN抗体の保有率は上昇をし続け、全世代平均で2022年11月に29%だったのが2023年2月時点で42%へと確実に増え続けるといういい方向に向かっています。ちなみにイギリスではすでに80%を超えています。これだけ多くの人がマスクをしているのに感染する人が増え続けているのはなぜなのでしょうか。それは、マスクをしていても感染する経路と、マスクをしているから感染する経路について考えなさいと言われているように思いませんか。

●出すウイルス量と感染するウイルス量
 インフルエンザウイルスに感染している人が1回のくしゃみで排出するウイルス量は200万個。1回の咳で10万個。インフルエンザウイルス感染者のくしゃみをあびて感染する確率は100万分の1。アカゲザルが新型コロナウイルスにエアロゾルで感染するのに必要なウイルス量は数千個から数万個。いろんな方にこれらの数字は教えていただき「そうなんだ」としか思わず、深く検証することを怠っていました。まさしく「学びて思はざれば則ち罔し。思ひて学ばざれば則ち殆し」でした。
 一番考えなければならなかったことは、「くしゃみ」や「咳」だけではなく、そもそも「呼吸」の際にどれだけのウイルスがエアロゾルという形で出続けているかということでした。くしゃみで200万個、咳で10万個だとすると、普通に息をしていれば1分間とは言いませんが、一定時間で数万個は出すのではないでしょうか。しかも、咳やくしゃみの場合は大量にウイルスを含んでいる大きな飛沫はすぐに落下するのに対して、軽い空気中をさまようエアロゾルはその空間の中で濃度を高め、結果として感染するリスクを増やし続けます。こう考えるとエアロゾル対策は本当に重要です。

〇漂うものも最後は落ちる
 エアロゾルは空気の流れを創って拡散、排気しなければ漂い続けますし、マスクをしていても顔とマスクの隙間から口、鼻、肺へと吸入され続けます。でもエアロゾルは1時間もすれば落下します。ここで大事なことは、感染している人が閉鎖空間の中に居続ければその人が排出するエアロゾルがその空間で落下をし続けるということです。雪が降り続ければ積もるように、エアロゾルも、見えないものの落下し、積もり続け、その量は時間とともに増え続けます。落下したウイルスの感染力は1日程度持続します。家庭内感染を調査した論文では、ドアノブや家族が頻繁に触るところからウイルスが検出されたとしていますが、それは感染している人が咳を止める時に手に付着したウイルスをドアノブにつけているだけではなく、家族が落下したエアロゾルを手に付け、それをドアノブにつけた可能性を裏付けるとも言えます。すなわち、感染している人と同じ空間を共有していれば誰の手にもウイルスが付着するということです。だからこそ、接触(媒介物)感染対策が重要になります。

●手から食べ物、そして口から肺へ
 手についたウイルスを洗い落とさずに食べ物に付着させて口にすれば、口腔内にあるACE2レセプター経由で新型コロナウイルスが体内に取り込まれる可能性があることはこれまで伝え続けてきました。しかし、ここで気づかなかったことがありました。皆さん、口に食べ物を入れ、噛みながら味わっているとおいしい香りも味わえますよね。すなわち、食べ物に、料理に付着したウイルスは口腔内で再びエアロゾル化して肺の中に吸い込まれている可能性があります。すなわち、接触(媒介物)感染にはエアロゾル感染という要素もあるということです。

〇手からマスク、そして肺へ
 マスクをしている人がマスクの表面を触っているのをよく見かけます。子どもたちではそのような光景が頻繁に見受けられますが、マスクを触っている指先は当然のことながらいろんなところに触れていて、指先にウイルスが付着している可能性があります。すなわち、手や指に落下したエアロゾルや飛沫の中のウイルスを付着させ、それをマスクの表面に届け、全部ではないものの、少しずつマスク越しに吸入し肺に届けているのです。すなわち、この感染経路は広い意味で接触(マスク媒介)感染となります。
 これまではこのような場面は予防を考える上で問題だと指摘し続けてきました。しかし考え方を変えるとマスクを触るというのはその指をなめるよりは少ない量のウイルスで免疫をつける立派な予防法なのかもしれません。これからは「マスクの表面を触ることは感染するリスクはありますが、マスクにつけるウイルス量が少なければ感染免疫をつけることにつながるのであまり神経質になる必要はありません」と言わなければならないのでしょうか。
 結局のところ、感染予防は本当に奥が深く、中途半端な感染予防対策のように見えていることも、視点を変えると感染予防の一つの選択肢として尊重されるべきなのだと思いました。皆さんはどう思われますか。私は考え続けたいと思います。