紳也特急 181号

~今月のテーマ『変えられない、わからないことにどう向き合うか』~

○『遅漏についての質問』
●『近所づきあいのご縁で』
○『考えることを放棄していた』
●『事件勃発』
○『偶然の録画から』
●『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』
○『私なりのコミュニケーションを』

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○『遅漏についての質問』
 高校卒業して、包茎手術(カントン)をしました。
 大学生のとき、こすれば勃起するし、固さも持続力ありましたが、なかなか射精できませんでした。オナニーでは自分でいける部分がわかってるので射精できたんですが。ただ、亀頭部分はこすられたりするとくすぐったい感じでだめで、亀頭裏スジしかいけませんでした。
 今でも、裏スジしか感じず、亀頭部分はくすぐったい感じでかわりがないんですが、持続力がないというか、勃起しても長続きせず、行為の途中で萎えてしまいます。亀頭でも感じるようにする方法は何かないのかなーっていうことと、行為途中でも勃起力を長続きさせる方法ないのかーっていうこと、感度アップできる方法ないのかなーっという質問です。これは、やっぱり遅漏なんでしょうか。なにかサプリメント飲めば改善多少はあるんでしょうか。

 HPから相談を受けていると本当にいろんな相談が来ます。性の問題に限らず、体の問題、心の問題で解決策があればそれをお伝えすることで「一件落着」となるのですが、この方のようにそうはいかない場合があります。私の返事です。

 ご相談の内容というのは「遅漏」というより「知覚鈍麻」だと思います。おそらく包茎の手術の際に神経を切断して感覚が伝わらなくなったのだと思います。神経細胞の再生は現時点では難しいので、残っている感覚を大事にするしかありません。裏筋のところを刺激するようにしてみてはいかがでしょうか。あまりこれといった答えをお伝えできずごめんなさい。

 このようなケースは現状を受け止め、向き合い続けるしかありません。容易なことではありませんが、様々な知恵と工夫、そして多くの人の理解が得られる環境整備が求められています。
 HPで相談を受けていると最近特に感じるのが断定的な、「白か黒か」、さらには「自分が受け入れられる」答えを求める風潮がますます強くなっていることです。例えば「この症状、この状況でHIVに感染していますか」と聞かれても、「検査を受けなければ何とも言えません」が答えですが納得してくれません。自分が受け入れられない、変えられない状況にどう向き合えばいいかがわからず、結果としてそのような状況を、人々を排除するような風潮が広がっていないでしょうか。そこで今月のテーマを「変えられない、わからないことにどう向き合うか」としました。

『変えられない、わからないことにどう向き合うか』

●『近所づきあいのご縁で』
 「岩室さん、甥っ子が製作した映画がDVDになったので見てやってくれませんか」、とマンションの理事会関係で親しくさせていただいている方がDVDを届けてくださいました。2年近く前に輪番制で廻ってくるマンションの理事会の理事長に立候補し(もちろん全員OK)、理事会だけではなく関心がある人たちも巻き込みながら、公開拡大理事会とその後の懇親会を重ねてきました。その結果、私が思春期問題に首を突っ込んでいることを知ったその方が、甥っ子さんが自閉症の妹さんを撮影した「ちづる」( http://chizuru-movie.com/ )という映画を紹介してくださいました。
 このDVDを拝見して感じたのが、実際に私の外来を自閉症の患者さんが受診している(もちろん「自閉症」の診療ではなく「包茎」や「性の諸問題」などが目的ですが)にも関わらず、自閉症を正しく理解しようとも、積極的によりよりコミュニケーションの方法を模索しようとしていなかったと反省させられました。

○『考えることを放棄していた』
 病気の人だけではなく、病気の予防も呼びかけておちんちん外来を開いている私の所には、おちんちんを清潔にできるようになることを目的に自閉症のお子さんを連れてこられる保護者の方がいらっしゃいます。そのお子さんたちへの対応方法を改めて振り返ると、保護者の方の行動の見様見真似でやっていました。保護者の方々はお子さんが納得するまで、行動するまで辛抱強く待っていましたので、私も同じようにしていました。一方で、どうすれば本人が積極的に自分のおちんちんのケアをする気になるか、本人がどのような思いで外来に来て、私に関わっていたかについて積極的に考えたことがありませんでした。私の講演に対して大学生が書いてくれた「考えることを放棄しないようにしたい」という貴重なメッセージをいろんなところで紹介しているにも関わらず、実は私も考えることを放棄していたと反省です。

●『事件勃発』
 ある日、思わぬ事件が勃発しました。一人の保護者の方が血相を変えて(その時は顔は見えず、声だけでそう感じたのですが)診察時の対応のクレームを受付にぶつけていました。何度も来られている方なので声と状況からすぐに診察室に入っていただき、思いをお聞きしました。そう言えば前回の受診時、自閉症のお子さんがあまり処置に乗り気ではなく帰ったのを思い出しました。お母さん曰く、いつもと違う看護師さんが「頑張ろう」といった趣旨のことを言ったことで本人がその日一日荒れてしまった。そのような対応がないようにして欲しいとのことでした。
 確かに外来での診察では比較的いつもいる看護師さんもいれば、処置や会議、勤務の都合等で別の看護師さんが対応することもあります。もちろん看護師さん一人ひとりに個性があり、対応方法も言葉づかいも異なります。ただ、おかげさまで私の外来についてくださる看護師さんはどの人も気持ちのいい、問題のない方々だったので、私自身、看護師さんが代わることについては特に意識していませんでした。
 ただ、保護者の方の訴えをお聞きしていてわかったことは、自閉症のお子さんに対する対応が従来とは異なり、ごく普通の言葉として使った「頑張ろう」が患者さん自身が受け入れられないほどつらいことだったということでした。今後の対応についていつも外来についてくれている看護師さんと話してもあまりいいアイディアが浮かばず、「当面、岩室だけで対応するようにする」ということにしました。

○『偶然の録画から』
 そんなことがあった数日後、家内が「間違って録画した番組だったけど、すごく考えさせられたので見ない?」と誘ってくれたのがNHKで放送された「君が僕の息子について教えてくれたこと」(再々放送は2014年9月13日15時05分~16時04分)でした。それもあとで気づいたのですが何故か1時間番組なのに30分しか録画されていなかったのに目から鱗、涙、感動の連続でした。早速自閉症の当事者であり、この番組で紹介された東田直樹さんのHP( http://naoki-higashida.jp/ )を検索し、本も注文しました。その後、8月28日の再放送で番組全体を見て、改めて感動すると共に、わからないこと、変えられないこととどう向き合うかについて考えさせられました。

●『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』
 東田直樹さんが「自閉症の僕が跳びはねる理由 ~会話のできない中学生がつづる内なる心~」(エスコアール)を出版したのが2007年2月でした。日本では少しは報道されたものの、あまり関心が持たれないまま時間が過ぎていました。しかし、ある日、日本語教師の経験があり、日本語も読めるアイルランド在住の作家David Mitchellさんの目に留まりました。Mitchellさんの息子さんも自閉症でしたが、この本と出合うまでは息子さんの行動を理解し、受け入れることができませんでした。しかし、この本のおかげで理解し受容できるようになったとのことでした。彼が訳した「The Reason I Jump: One Boy’s Voice from the Silence of Autism」がきっかけで世界中の様々な言語に翻訳され、多くの人々を救っています。
 自閉症(と言う言葉自体がもしかしたら誤解を生んでいるのかもしれませんが)である東田直樹さんがいろんな思いを、言葉を持っていたことを保護者の方がちゃんと理解し、受け止めたことからすべてが始まっています。そして、言葉が思うように出ない、行動も多くの人から見ると突拍子もない、飛び跳ねたり、今でなくてもいいと他の人は思ったりすることを、何と直樹さん自身が自分の言葉で説明する方法を身に着けたのでした。そうなったのも、保護者の方が、直樹さんが豊かな語彙を持っていることに気づき、直樹さんができる言葉の表現方法が何かを見抜き、ローマ字によるキーボード入力やキーボードに見立てたものを使うことで、一つ一つの文字から言葉をつくる方法を獲得したのでした。保護者の方に脱帽です。
 皆さんはパソコンへの入力は何でしていますか。私はローマ字入力です。ローマ字入力はかな入力と異なり、音声に沿った入力方法のため自分自身は受け入れやすかったのですが、もしかしたら直樹さんも同じなのかなと勝手に思ったりしています。一度機会があれば聞いてみたいです。

○『私なりのコミュニケーションを』
 私にとって「自閉症」は周りには当事者の方がいらっしゃるものの、自分自身が何かを考え、できることを模索する問題になっていなかったと反省しています。何事においても「他人事意識」が障壁となることはわかっていても、自分にとって身近な問題にならなければ人は考えもしないというのを改めて反省しています。今度は私なりに、先入観を持たずに自分の患者さんとのコミュニケーションを図り、看護師さんたちとも積極的に自閉症について勉強したいと思っています。
 こう書きながら、キーボードと日々格闘している自分自身も、もしこのパソコンという機能がなければどれだけ自分の周囲とつながっていただろうか、どれだけ情報を世の中に発信できていただろうかと改めて思いました。確かにLINEをはじめとしたSNSでしかコミュニケーションが取れない若者たちも増えていますが、どのようなコミュニケーション手段であれ、人は人とつながり続けることが大事だということを今回も学ばせてもらいました。
 これもまた不思議なご縁で10月にはちづるさんのお兄さんとトークをすることになりました。本当にいろんな縁に学ばせてもらっています。ちづるさん、直樹さん、私の患者さん、そして皆さんのご家族に感謝です。