〜今月のテーマ『ダイエットに学ぶ性教育』〜
●『短絡的な発想?』
○『コンドームを教えることは効果なし?』
●『体重コントロールができなかった自分』
○『人の生き方に学ぶ』
●『ライフスキルとは』
○『できなかった自分とできた自分』
●『続けられなかった自分と続けられる自分』
○『ダイエットもコンドーム使用も同じ?』
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●『短絡的な発想?』
講演の後、いろんな人とのコミュニケーションを通して日々学ばせていただいている私です。先日は次のような質問がありました。
Q:講演を聞かさていだだき、感じたことがあります。性感染症やエイズなどの性教育を推進していくと、日本の大問題になっている少子化に拍車がかかるような気がしています。今日も授業で性感染症やエイズについて学習したのですが、生徒が恐怖を感じている様子でした。この前の講演の質問の返答に、先生は「エイズ学習を脅しに使ってはならない」とおっしゃいましたが、生徒は、勝手に恐怖を感じているようです。「少子化との問題」と「どうすれば、エイズの恐ろしさを感じずにエイズ教育を行うことができるか」について、お聞かせください。
A:少子化の原因をまず最初にきちんと分析する必要があると思います。私は「コミュニケーション能力の低下」、「自分中心主義の台頭」が大きく影響していると考えています。このことはエイズの比ではなく恐ろしいと思います。エイズや性感染症を恐ろしく思うのは、「エイズ」や「性感染症」を語るからであって、「エイズになった人」や「性感染症になった人」を語れば決して恐ろしくなるのではなく、その行動や、思考パターンに学べるはずです。一つ一つの問題を自分のこととして受け止めていくコミュニケーション能力を育む手段としてエイズや性の話をすれば脅しにはりません。「エイズ」を語る側に怖さを教えようとする思いがあると思いますが、少なくとも私の話を聞くと「エイズの恐ろしさ」ではなく「無関心でいることの恐ろしさ」を感じると思っています。エイズ予防を強調した結果、すべてのセックスでコンドームを使うようになるから少子化が進むというのはあまりにも短絡的な発想と思っていますが、もしかしたらそのように短絡的に考える子どもたちが多いということでしょうか。私にはそう思えませんが。
こんなやり取りをしながら自分が12キロやせたプロセスを振り返ってみると、そこには性教育につながる多くの示唆があったので、今月のテーマはまるで結びつきそうにもない「ダイエットに学ぶ性教育」としました。
『ダイエットに学ぶ性教育』
○『コンドームを教えることは効果なし?』
こんな質問もありました。「コンドームの装着を教えることは意味がない、という論文があったのですが、そうなのでしょうか」と。どんな論文かも興味はありませんが、まるで「岩室紳也がやっていることは意味がない」と言いたいような論文だったとその方は感じたようです(苦笑)。それにしても相変わらず研究のための研究をしている研究者がいるんですね。そもそも、人の行動に関わる研究を、一つの研究方法、一人の研究手法で妥当性や有効性を検証できるはずがありません。ましてや教える側の力量が大きく影響するのに、そのことを棚に上げて議論をすること自体、研究そのものの稚拙さが露呈されていると思います。まともな研究であれば、岩室を含め複数の講師による差も検証して、どの人がやっても意味がなかったという結論を出さなければ、まるで性教育バッシングお抱えの、恣意的な研究と言わざるをえないですよね。それは今回ダイエットを実践してみて、あらためて人が行動変容をおこすことの、そしてさらに行動変容を継続することのむつかしさを実感するとともに、あまりにも多様な要因が関与することを、私自身が身をもって実感したからでした。
●『体重コントロールができなかった自分』
先月も少し書きましたが、その後さらにダイエットは進み、現時点で7月の最大体重から12キロやせました。しかし、50歳になってこんなにやせると、誰も「ダイエットしたんですか」とは聞いてくれません(苦笑)。がん年齢だからか「岩室さんはもしかしたら病気」と思ってか、やせたことで声をかけてくれる人は皆無といっていいほどです。そしてダイエットに成功したと知ると「どうやってやせたの」とこんどは簡単な方法論を聞いてきます(これも苦笑)。
何を隠そう、私は医者です。知識もあります。家内は保健師で自宅の食環境は申し分ありません。そう開き直ると、「ではどうして太ったのですか」と言われ、結局は「あんたの意思が弱かっただけ」と批判されておしまい。それにしても、どうして人は個人の責任を追及しようとするのでしょうか。
○『人の生き方に学ぶ』
ストレスとは「人と人との関係性の中での、『プライド』が保てない、『こだわり』が解消できない、『被害者意識』が解消できないことの結果」であると都立墨東病院精神科の春日武彦先生が教えてくれました。相手の、個人の責任を追及すれば、最終的に楽になるのは責めている本人です。責めている時に実は本人が被害者意識を持っているということに気づけず、自分の不都合な人たちを何とか押さえ込もうとするようです。
自分がやせた時に最初に感じたのは、やせた自分を自慢し、「やせられない人がだめ」といってしまうと、実は一番惨めになるのはいままで右肩上がりに太ってきた自分でした。「今までやせられなかったあなたがいるでしょ」と考えられるようになったのは、HIV/AIDSの患者さんをはじめとして、様々な状況とともに生きてきた多くの人たちとの出会いのおかげだと思います。本当に感謝です。
●『ライフスキルとは』
「生きる力」とか「ライフスキル」といったことを教えようとする試みがあり、なるほどと思っていた私がいました。しかし、今回やせてみて「岩室紳也のライフスキルってなんだったの?」と思いました。確かに自分の意思は弱かったのかもしれませんが、そんな意志が弱い人が、20年間でたった12キロの増加でとどまったことが奇跡的なのかもしれません。やせるに当たって医者としての知識も役に立ちましたが、別の見方をすれば、暴飲暴食の悪癖から抜け出せなかった私が20年でたった12キロしか太らなかったのは家内を含めた私の環境(サポーター)のおかげかもしれません。医者としての知識があったから、本当は50キロ太っていてもおかしくなかったのを12キロに抑えてくれたのかもしれません。
では、私の「ライフスキル」とやらは、あったのか、なかったのか、どちらなんでしょうね。
○『できなかった自分とできた自分』
ダイエットに成功した今の私と、ダイエットどころか右肩上がりの体重を積み重ねてきた私との違いは実はどこにもありません。2005年7月24日にダイエットを決意させてもらった私ですが、その2日前に参議院議員会館で山谷えり子さんにインタビューをさせてもらい、一緒に写真撮影もさせてもらいました。今ではその時の写真を「こんなデブの男が、いま12キロやせた姿を皆さんの前にさらけ出しています。さてどうしてやせられたのでしょうか」と講演会で話しています。2005年7月22日の時点で私の意識の中にダイエットをしようという意識は全くありませんでした。にも関わらず、その2日後から私のダイエット日記が始まっています。もちろんその2日間の間に、私の「知識」も、「技術・スキル」も何も変わっていません。私の場合は「やる気」を起こすには10キロの体重増では不十分だったのだと思います。「12キロの体重増」と「顔変わりました?(暗に『醜くなりましたね』と言ってくれたある保健師さんの一言)」の二つの条件が重なるという条件が必要だったようです。
●『続けられなかった自分と続けられる自分』
しかし、ダイエットというのは継続することが大切ですし、一ヶ月に2キロ前後にしておかないと、健康にもよくありません。もともと外食が多く、お酒も飲む私ですので、リバウンドの可能性も十分あります。今までもダイエットをしようと思ったこともありましたが、続きませんでした。しかし、なぜか今回は7ヶ月間も何とか継続することができています。ではダイエットを継続できている今の私と、継続できなかった昔の私との違いはどこにあるのでしょうか。
いまの私の仕事はヘルスプロモーションをすすめるにはどのような視点が必要かを研究することです。多くの研究者は「他人」を研究するようですが、それだと「この人のここが悪い」とか「この人のここが良い」といった他人ごと意識の研究になりがちです。「コンドームの装着を教えても意味がない」という研究も自分のことを棚に上げて、というか無意識に考えないようにしている研究でしょう。そして他人を題材に研究を進めるとどうしてもその人の自己責任ということに行き着きがちです。しかし、自分を題材に研究をすると、確かに個人の力量としての「知識」、「技術・スキル」、「意識」をいかに持ってもらうかも大切ですが、それだけでは健康づくりはうまくいきません。個人の力量を発揮しようという気持ちになるための「きっかけづくり」として「心に響く」出来事の大切さとそれを受け止めるストレスマネージメントの力量。さらには思いと取り組みを継続するための「エンパワーメント」を得られる、その時のその人が必要としている多様な環境が重要だということに行き着きます。
○『ダイエットもコンドーム使用も同じ?』
セックスをする時にコンドームを常用するというのが生活習慣になっている人ならいいのでしょうが、生活習慣が確立していない人であればそれを繰り返し自分の中で思い出し、続けるためには「知識」や「技術・スキル」を教えるだけではだめです。岩室紳也がやせるためには生きてきた50年のすべてが、それこそ、こうやってメルマガを書かせてもらい、それを読んでくださっている皆さんがいるという環境も必要でした。無駄なものは何一つありませんでした。だからこそ一生懸命生きているいろんな人の後姿に学び続けられる環境が自分の健康づくりにつながっていると、ダイエットを続けていて感じる今日この頃です。あらためて皆さんに感謝です。