「正解依存症」カテゴリーアーカイブ

岩室紳也が考える正解依存症とは次のようなものです。

自分なりの「正解」を見つけると、その「正解」を疑うことができないだけではなく、その「正解」を他の人にも押し付ける、自分なりの「正解」以外は受け付けない、考えられない病んだ状態。

このブログでは正解依存症(correct answer addiction)がまん延している状況を考えます。

「全否定」にならない理由

自分自身が正解依存症の要素があると考えている若者が、周囲との会話で苦労をしているという話を教えてくれました。「こっちの言葉の方が適切じゃない?」と言うと疎まれるので、普段はあまり言わないようにしているとのことでしたが、私が反論と異論という言葉を使ったところ、私の曖昧な言葉の使い方を的確に指摘してくれて助かりました。この方の言語理解能力がすごい、と思う一方で、同年代の友達が指摘されたら「うざい」となるのかなと思いました。ご本人もそのことは自覚しているがあまり、疎まれないようにあまり指摘しないようにしてつらい思いをされていました。

私が新型コロナウイルス対策でいろんな人と話をしていて、「不正解・誤答・反論・別解・間違い・誤り・デタラメ・嘘」と言われ続けてきましたが、なぜか「全否定」とは受け取りませんでした。なぜそうなったかを考えてみると、自分の中に「興味・疑問・異論」があり、「興味・疑問・異論」を否定されない感覚が育っていたのかと思いました。

ケニアの小学校に通っていた時、世の中には正解がないことを叩き込まれていました。人の色も、言葉も、感覚も、それこそ収入も異なっていました。もちろん運動能力に差があるのも当たり前でしたが、Shinyaは落ちこぼれではなく、そういう人でひた。

確かに勉強ができる人と勉強ができない人がいましたが、それが当たり前でした。私が目が悪いことを理由に「教室の前の方に座りたい」と先生に訴えたら、「勉強ができるShinyaは教室の後ろに座り、勉強ができないこの子は先生の前に座るのが当たり前」と言っていました。決して教えてくれたのではなく、それが当たり前でした。日本でそのようなことを言えば今だと大炎上することでしょうが、事実は事実として認めるしかないことを教わっていました。

先に紹介した方は、社会から、大人から、親から、さらに言うと自分自身の中から様々な正解を押し付けられて育ってきたのだと改めて私との育ちの違いを痛感させられました。

不登校、引きこもり、暴走族の共通点

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「全否定」と受け止める理由

正解依存症という考え方に至った理由の一つが、以前から気になっていた「全否定」の感覚でした。このことを児童のこころの病と向き合っている方にお話ししたこともあったのですが、「何ですかそれ?」という反応でした。しかし、いろんな対象に講演をさせてもらい、その感想をいただく中で次のような感想がずっと気になっていました。

自分が否定されたと受け取る

すぐ、全否定と受け止める

自分を少しでも否定されるとどうしようもないほど嫌だった

「正解の反対は?」で書かせていただいたように「正解の反対」には「不正解、間違い、誤り、誤答、誤解、別解、反論、デタラメ、嘘」もあれば「興味、疑問、異論」という対話的な対応もあります。しかし、自分自身も正解依存症の要素があると自ら語っている方から次のようにコメントをもらいました。

正解依存症の人が「不正解・誤答・反論・別解・間違い・誤り・デタラメ・嘘」と言われると「否定」されたと受け止めるのではなく、「全否定」されたと受け止める。

これは、その通りだと思います。というのも、私自身がそうだった(今もたまにある)からです。未だに「0か100か」要は「正解か不正解か」で考える癖がある私は、ちょっとした叱責で自分の全てを否定されたように思う時があります。そういう時は、大抵「完璧」を求めていた時です。

「全否定」と捉える人とそうでない人の違い、育ってきた環境が要因のひとつとしてあると思います。幼い頃から「すごいね、えらいね」と大人の期待に応えて、褒められて、正解しか味わったことがなかった私は、その期待に応えられなかった時、生きてる意味を失いました。

正解依存症になってしまうと、自分以外の正解は受け入れられない、すなわち他の人が言ったことがすべて「否定」に聞こえてしまうようです。このような視点で子育てや相談を考えていかないと、いろんなことが解決しないと思いませんか。

「全否定」にならない理由

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正解の反対は?

正解に囚われている人と正解についての議論をする中で面白い気づきをいただきました。生成AI等とのやりとりを含めて「正解の反対」を調べてみると次のような答えにたどり着きました。

「正解の反対は不正解、間違い、誤り、誤答、誤解、別解、反論、デタラメ、嘘」

確かにそうかなとも思いますが、一方で「正義の反対は別の正義」という言葉があります。「別の正義」という考え方は、ある意味どうしてこのように同じ正義のはずなのに別の正義が生まれるのだろうと対話的に考えてのことです。となると「正解の反対は別の正解」なのかなと思ったりしました。

「正解の反対は不正解、間違い、誤り、誤答、誤解、別解、反論、デタラメ、嘘」という言葉に出会った時、ふとこれまでの疑問が紐解けたと思いました。私は新型コロナウイルス対策の問題点を自分なりに考え、発信し続けていますが、これまで多くの専門家に「不正解、間違い、誤り、誤答、誤解、別解、反論、デタラメ、嘘」と否定され続けてきました。もちろん私の視点に理解を示してくれている人たちからは「そうだよね」「正解だね」という反応もいただきました。しかし、考えてみるともっと大事なことは、そもそも岩室がどうしてそのような視点に立ったのか。そして否定する側との対話が成立すればもう少し建設的な、「どうしてそう考えるのか(興味)、ここは理屈が通らない(疑問)、ここはこう考えるべきでは(異論)」などの指摘であれば、次なる議論につながります。しかし、残念ながらそのような指摘を受けたことがありませんでした。こう考えることで「正解の反対」には二つの答えがあると思いました。

「興味・疑問・異論」
「不正解、間違い、誤り、誤答、誤解、別解、反論、デタラメ、嘘」

この思考パターンの違いについてもう少し考えたいと思います。

「全否定」と受け止める理由

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正解依存症とアンコンシャスバイアスの違い

正解依存症の話をすると、興味深く聞いてくださり対話が弾む方と、「それってアンコンシャスバイアスですね」と言い切られ、その時点で対話が止まってしまう方がいます。そこで改めて、正解依存症とアンコンシャスバイアスの違いを考えてみました。

アンコンシャスバイアス(unconscious bias)は名の通り、無意識の偏見、思い込みのことです。アンコンシャスバイアスは誰にでもあることなので、そのことに気づき、修正しようとすることはおそらく多くの人がしていることです。最近で言えばジェンダーバイアス、すなわち社会的、文化的に形成された男らしさ、女らしさというのはジェンダーについての理解を深めれば深めるほど、それこそ社会的、文化的に形成されたもので、生物学的な雄と雌の違いから来たものではないことが理解できます。そして社会的、文化的に形成されたものだからこそ、一定の社会や文化の中では重視される一方で、その社会や文化に違和感を持っている人は受け入れられないということもこれまた事実です。ただ様々な背景を理解した上で個人がどのような選択をするかはこれまた個人が考え、選択することです。

一方で正解依存症とは繰り返しお伝えしていますが、「自分なりの「正解」を見つけると、その「正解」を疑うことができないだけではなく、その「正解」を他の人にも押し付ける、自分なりの「正解」以外は受け付けられない、考えられない病んだ状態」です。敢えて「依存症」と名付けているのは、他の依存症、薬物依存症、アルコール依存症、ゲーム依存症、ネット依存症と言われる方々のように、日常生活に支障を来す病的な状態という意味を込めてです。

すなわちアンコンシャスバイアス(unconscious bias)も状況によっては病的になり、ある意味アンコンシャスバイアス依存症となることもあるでしょう。先日、ある依存症のイベントで依存症の専門家が、「アルコールは一日3杯を超えると依存症」とおっしゃっていたので、「岩室紳也は10杯飲むことがあるのですが、とりあえずこのイベントの間は我慢ができますが依存症でしょうか」と反論していました。ま、「病的」の定義は難しく、その方からみると「10杯飲む」という事態を病的と見ておられるのかなと思いました(笑)。

正解の反対は?

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正解がないからこそ対話を

コロナ禍と言われる時期が過ぎたにもかかわらず、相変わらずマスクをしている人が少なくありません。そんな中、神奈川県の特別養護老人ホームで集団感染が起こったとの報道がありました。個人的には新型コロナウイルスの感染力や高齢者施設での感染拡大は完璧には防げないと思っています。しかし、「特養では利用者、職員ともに通常はマスクを着用して生活している」と書かれていたので敢えて「その対策で、考え方で感染が防げなかったのであれば対策の問題点を考えるべきではないでしょうか?」という意図でFacebookに書き込みましたが、残念ながら議論はごく限定的な形であまり深まりませんでした。

Facebookへの書き込みだけではないですが、議論を、対話を通して岩室紳也は何を求めているのかを改めて考えさせられました。そして自分自身が求めていたことは「当事者一人ひとりの幸せ」だったと気づかせてもらいました。

長年取り組んできたHIV/AIDSですが、HIVに感染している当事者の方は今でも診療拒否に遭っています。なぜだと思いますか。どのような病気になろうが、当事者にとって一番大事なことは、当然の権利として当たり前に最新の医療情報を、医療技術を提供してもらい、自分らしく生きられる環境が与えられることです。新型コロナウイルス感染症は初期の頃はともかく、今ではとりあえず医療にありつける状況にはなっています。しかし、医療にさえありつければ人は幸せではないことは自明の理です。高齢者施設ではマスクは義務化されていますが、本当にそれが必要なのでしょうか。コロナ禍前からマスクをする子どもたちが増えていましたが、コロナ禍後(というか今でもコロナ禍だと思っていますが)マスクは個人の自由、権利になり、他者に顔を覚えられることなく年齢を重ねる子たちが多くなっています。

一人ひとりの幸せは本人が決めればいい。実はこのような正解を訴える方が多いのですが本当にそうでしょうか。今更ですが、岩室紳也が求め続けていることは「一人ひとりの幸せ」だと気づかされました。その一人ひとりの幸せのためにもこれからも対話を重ね続けたいものです。

正解依存症とアンコンシャスバイアスの違い

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「公衆衛生に正解はない」という正解

 医者になった時、というか医学部で勉強していた時に絶対にならないと思っていたのが「公衆衛生医」でした。その岩室紳也が今は公衆衛生が面白く、個人事務所の名前を「ヘルスプロモーション推進センター」としたのは、まさしく「公衆衛生」に目覚めたからです。ヘルスプロモーションという考え方になぜ夢中になったかは次の2枚の図で説明できます。
 公衆衛生を学び始めた時、「人が病気にならないためにどう指導するか」が公衆衛生だと思っていました。もちろんある意味正しいことですが、指導で人が変わるほど甘くないと内心思っていたと思いたと思います。
 しかし、医学部を卒業して2年半で神奈川県立青野原診療所に赴任し、そこでいろんな住民の方と接する中で、人間はそんなに正しい生活ができるわけではない一方で、いろんな人と関わる中で、気が付けば元気になったり、その人なりに幸せな、楽しい生活ができるのだと気づかされました。

 しかし、公衆衛生に嵌った一番の理由はどうもHIV/AIDSとの出会いだったと今頃気づかせていただいています。HIV/AIDSが世に知られることとなったのが1981年6月でした。CDC(アメリカ疾病予防管理センター)が性的にアクティブな同性愛者の間でニューモシスチス肺炎が広がっていると報告したことをきっかけにHIV/AIDSが認知されました。その後、当然のことのように日本でも感染している人が報告され、1994年8月に横浜で第10回国際エイズ会議が開催されることになりました。
 神奈川県や横浜市は会議に多くのHIV陽性者の方が来られることを想定し、様々な普及啓発活動が行われ、当時保健所の職員でもあった岩室紳也はHIV感染予防について様々な形で啓発活動を行っていました。高校でコンドームの実物を紹介してセックスで感染しないためにはコンドームの使用が重要だと話せば神奈川県議会で「コンドームを使えばセックスをしていいのか」との指摘を受けていました。当時は「予防のことがわかっていない人が極端なことを言っている」としか思えませんでしたが、本当はそのような人たちがいることを前提にした予防啓発活動が求められているということはず~~~~っと後になって気づきました。
 私が公衆衛生に嵌った一番の理由はHIVに感染しているパトとの握手でした。忘れもしない1994年1月29日、FM横浜(ハマラジ)でHIV/AIDSの予防啓発番組に自らのHIV感染をカミングアウトしていたパトことパトリック・ボンマリートさん(故人)が、感染していることは仕方がない、大事なことはポジティブに生きることと楽しく語ってくれました。その感動が冷めやらない番組終了後、思わずパトと握手をしていました。
握手の瞬間、パトの汗が自分の手につきました。医者なので汗(体液)の中にHIVがいることは承知していました。手には傷が・・・・・。そこからHIVに感染したら・・・・・。完全にパニック状態になっていました。でも相談する人もいません。当時保健所に勤務していたので3か月後、何食わぬ顔で保健所の職員に次のように呼びかけていました。
 「皆さん、今年は国際エイズ会議が開催されます。全世界からHIVに感染している人が横浜に来られます。その人たちの気持ちを少しでも理解するため、エイズ検査を受けませんか」と。検査課の人にはなるべく早く結果を教えてもらえるようにお願いしたところ、「岩室先生、全員陰性、誰も感染していません」との報告を受けました。一番安心したのが私だったことは言うまでもありません。

 公衆衛生は一人ひとりが病気にならない、障がいを抱えないように生きるためのものでもある(図1)一方で、実際には病気になったり、障がいを抱えたりする一人ひとりが、いろんな人とつながる中で、気が付けば幸せや楽しさを感じつつ日々を過ごしていける環境整備のためにある(図2)ことに気づかされました。

(図1)

(図2)
 パトが教えてくれたように、HIVに感染してもポジティブに生きているって素敵だと思いませんか。人の生き方に正解がないように、その生き方のお手伝いをすることが役割の公衆衛生にも正解はないと気づかされた時から岩室紳也は公衆衛生に嵌っています。

正解がないからこそ対話を

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岩室が探し続けている正解とは

 コロナ禍と言われる時期が過ぎたにもかかわらず、相変わらずマスクをしている人が少なくありません。そんな中、神奈川県平塚市の特別養護老人ホームで集団感染が起こったとの報道がありました( https://www.yomiuri.co.jp/national/20241211-OYT1T50055/ )。個人的には新型コロナウイルスの感染力や高齢者施設での感染拡大は完璧には防げないと思っています。しかし、「特養では利用者、職員ともに通常はマスクを着用して生活している」と書かれていたので敢えて「その対策で、考え方で感染が防げなかったのであれば対策の問題点を考えるべきではないでしょうか?」という意図でFacebookに書き込みました。書き方に問題があったことは反省ですが、残念ながら議論は深まりませんでした。

 Facebookへの書き込みだけではないですが、議論を、対話を通して岩室紳也は何を求めているのかを改めて考えさせられました。そして自分自身が求めていたことは「当事者一人ひとりの幸せ」だったと気づかせてもらいました。
長年取り組んできたHIV/AIDSですが、HIVに感染している当事者の方は今でも診療拒否に遭っています。なぜだと思いますか。どのような病気になろうが、当事者にとって一番大事なことは、当然の権利として当たり前に医療技術を提供してもらい、自分らしく生きられる環境が与えられることです。新型コロナウイルス感染症は初期の頃はともかく、今ではとりあえず医療にありつける状況にはなっています。しかし、医療にさえありつければ人は幸せではないことは自明の理です。高齢者施設ではマスクは義務化されていますが、本当にそれでいいのでしょうか。コロナ禍前からマスクをする子どもたちが増えていましたが、コロナ禍後(というか今でもコロナ禍だと思っていますが)マスクは個人の自由、権利になり、他者に顔を覚えられることなく年齢を重ねることが本当に幸せなことでしょうか。

 一人ひとりの幸せは本人が決めればいい。実はこのような正解を訴える方が多いのですが本当にそうでしょうか。今更ですが、岩室紳也が求め続けていることは「一人ひとりの幸せ」だと気づかされました。では、なぜそう思うようになったのかは次の回に書かせていただきます。

「公衆衛生に正解はない」という正解

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「正解探し」の反対が「現実の受容」

 正解依存症の話をしていると、いろんなところで「私も正解依存症」という声をいただきます。そんな中で「正解探し」に没頭している方と出会い、いろんな気づきをいただきました。その方はとにかく「正解がないと不安」なようでしたが、興味深かったのは、結婚や子育てといったライフプランを実現するためにできることを模索されていたことでした。
 確かに今の世の中、「ライフプラン」といったことが当たり前のように言われています。確かにライフプラン、人生設計を立てることは、例えば家を買うためのローンを組む際に、身の丈に合った、収入に見合った家で我慢するといった点では非常に大事な視点です。しかし、結婚や子育てといったことはそもそも計画的にするものなのでしょうか。
 少なくとも岩室紳也は何歳までに結婚をし、何歳までに子どもができ、といったライフプランを考えたこともありませんでした。こう書きながら大リーグのワールドシリーズを制覇した大谷翔平選手は高校生の時からライフプランを立てていたことが報道され、それを着実に実行、実践していることが報道されました。もちろんライフプランを立てることはご本人の自由です。しかし、それを実現できない人が多いことも承知の上で、実現できなかった時に、失敗した時にその現実を受容することも大事です。すなわち、「正解探し」の反対は「現実の受容」だと改めて思いました。
 マズローの欲求の5段階説は誤訳ですが、原文ではマズローは人が必要としていることを階層化し、最上位にself-actualizationを位置づけています。「自己実現」と誤解を生む訳にされましたが、正しくは「(自らの才能や潜在能力に応じて)できることを具現化することが必要」と言っています。そしてself-actualizationの要素の一つとして「現実の受容」を掲げています。「正解探し」をすることは全く問題はありませんが、正解が見つからない場合、自分が思い描いていた正解が実現できなかった場合、その現実が受容できるよう、いろんな関係性を広げておきたいものです。

岩室が探し続けている正解とは

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正解依存症の人が飛びつきやすいSNS

 サッカーJ1リーグのFC町田ゼルビアを知っていますか、何と2023年のサッカーJ2リーグで優勝し、今年、2024年からJ1リーグに昇格したばかりにも関わらず、一時はリーグトップに躍り出て一大旋風を巻き起こしているチームです。2024年10月15日現在、リーグ3位とまだ優勝が狙える位置にいます。そのFC町田ゼルビアが同日、「弊クラブに所属する選手、監督、スタッフおよび弊クラブに向けて誹謗中傷した者を対象に、刑事告訴をすることとなりました」というコメントを発表しました。

 内容について詳細はコメントしませんが、SNSに書き込んでいる人たちは、自分の書き込みを正義、正解と信じています。しかし、正解を押し付けた結果、傷つく人たちがいるというのは本当の意味での「正解」とは言えません。すなわち、今回、誹謗中傷と受け止められるような内容をSNSに書き込んでいる方々は正解依存症と言えるのではないでしょうか。

 改めて岩室が考える正解依存症の定義を紹介すると、「自分なりの「正解」を見つけると、その「正解」を疑うことができないだけではなく、その「正解」を他の人にも押し付ける、自分なりの「正解」以外は受け付けられない、考えられない病んだ状態」です。
よくSNSでトラブルが起こりますが、書き込む方は「何が悪い」、「正解を書き込んでいる」と思い、書き込まれた方は「とんでもない」と実はどちらもお互いの正解をぶつけ合っています。もちろん他者から見れば、それこそ「こっちが正しい」とか「あっちが正しい」ということになると思いますし、今回のFC町田ゼルビアは司法に提訴しましたので白黒が付くと思います。しかし、ここで指摘したのは「どちらが正しい」ではなく、SNSという仕組みが抱える問題点です。

 先の正解依存症の定義に「SNSを通して」という言葉を入れ込むとわかりやすいと思いました。

 正解依存症とは、「自分なりの「正解」を見つけると、その「正解」を疑うことができないだけではなく、その「正解」を SNSなどを通して 他の人にも押し付ける、自分なりの「正解」以外は受け付けられない、考えられない病んだ状態」。

 裏を返すと、リアルな関係性でのコミュニケーションだと、相手の言葉に対して「それちょっと言いすぎじゃない」とか、「違う見方もあると思うよ」と返し、返され、「確かに言い過ぎた」とか、「正解と思っていたけどそうじゃなかった」という気づきにつながります。しかし、SNSだとタイムラグの関係で書き込んだ人に書き込んだ満足感だけが残ります。気をつけたいものです。

「正解探し」の反対が「現実の受容」

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熱中症予防の正解???

 猛暑の中、熱中症で救急搬送される人、亡くなられている人が増えています。2024年の夏も猛暑が予想される中、マスコミは、専門家は「水分をとりましょう」「塩分をとりましょう」「エアコンをつけましょう」と言っていますが、それだけでいいのでしょうか。新型コロナウイルス感染症が未だに流行を繰り返す中、「マスク」「手洗い」「換気」しか言わない、言えない専門家たちの正解依存症の繰り返しのように感じているのは私だけでしょうか。

必要な水分量は
 運動をしていなくても1日500mlの汗が出ます。息をしているだけで呼気から400mlの水分が出ています。運動量や気温、エアコン等の作動状況で汗等で失う水分量は当然のことながら異なります。では一番当てになる体内の適切水分量の指標は何でしょうか。「尿量」です。もちろん計測するのが最善でしょうがそこまでしないまでも、一日に1000mlのおしっこを、すなわち最低でも3回ぐらい排尿し、かつ1回の尿量がそれなりに出て、出た尿がいつもより濃くないことを確認しましょう。ここを読んで、自分の尿の濃さを確認していなかった方、ぜひ注意してください。さらに朝起きた時にトイレに行きたいと思わない人は夜の内に脱水になっている可能性があるので朝食でしっかり水分をとりましょう。

必要な塩分量は
 体の機能を維持するため、1日に最低でも8gの塩分が必要です。日本人は昔から塩分の過剰摂取のため、塩分は制限しなければならないという発想になっている大人が多いと思います。しかし、高血圧予防と熱中症予防はある意味相反することになります。高齢者は熱中症になりやすいので夏場は熱中症予防対策をしっかり実践し、塩分制限は猛暑が過ぎてから実践してください。
 汗を1リットル多くかくと3gの塩分が失われると言われています。尿量を維持するために水分を1リットル余分にとった人は、塩分も3g余計にとる必要があります。「大丈夫、スポーツ飲料を飲んでいるから」と思っていないでしょうか。
 スポーツドリンク1000mlだと塩分は1g前後です。アクエリアスは0.8g、ポカリスエット1.2gです。ブルボン塩飴1粒は0.1g、カバヤ塩分チャージタブレッツは1粒0.119g。パン一枚は0.6g。味噌汁は1.5g、カップ麺4.9gです。ちなみにこの原稿を書いていた時に食べたマクドナルドのエッグマックマッフインは1.6gでした。このような数字を考えながら、朝食を取ることが大事だということがわかると思います。

忘れてはならないカリウム
 熱中症の患者さんを診察していると低カリウム血漿の方が少なくありません。カリウムは筋肉の働きを助ける機能があるので、あまり失われない方向で調整がされていますが、失われると、不足すると痙攣や筋肉痛が出たりするので積極的に摂取することが重要です。
 スポーツドリンク500mlだと(アクエリアス:40mg)(ポカリスエット100mg)。ブルボン塩飴(1粒24mg)、カバヤ塩分チャージタブレッツ(1粒15.7mg)に対して、カゴメ野菜ジュース(200ml:180~540mg)、牛乳(200ml:300mg)ですので塩分と合わせて考えると朝食に野菜具だくさんのみそ汁は合理的な熱中症予防策です。バナナは100g(中サイズ1本)で350㎎です。

正解依存症の人が飛びつきやすいSNS

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