紳也特急 291号

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■■■■■■■■■■■  紳也特急 vol,291  ■■■■■■■■■■
全国で年間200回以上の講演、HIV/AIDSや泌尿器科の診療、HPからの相談を精力的に行う岩室紳也医師の思いを込めたメールニュース! 性やエイズ教育にとどまらない社会が直面する課題を専門家の立場から鋭く解説。
Shinya Express (毎月1日発行)
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~今月のテーマ『AIDS文化フォーラム in 横浜の30年』~
●『生徒の感想』
○『薬害・MSM・異性間・刺青』
●『日本と海外の評価の違い』
○『“文化”の2文字』
●『続くからこそ“文化”』
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●生徒の感想

 初めて知ったことがいろいろありましたが、一番びっくりしたのがコンドームに表と裏があったことです。(中3女子)
 
 今までは教科書にコンドームの画像がなく、言葉だけで説明されていることがあったりしてもあまり気にならなかったけれど、今日の講演を聞いておかしいと感じました。単語だけ覚えたり、細かいことをあいまいにするのではなく、すべてはっきりと今日の講演のように教えてもらえることが重要だと思った。感染症対策の話も、換気を気をつけろと言われることがほとんどで、サーキュレーターなどの重要さをあまり感じられていなかったので今日知れてよかった。(高2女子)

 研究・周知・実行の中では一番簡単そうに見える周知にも色々苦労があるって話でしたね。(高2男子)
 
 経験談も混じえた分かりやすい話し方だった。ただ、岩室さんが経験したことが壮絶というか、自分らには考えられないようなことばかりであったためか、大真面目に話していると分かっていても、少し笑ってしまう事があった。ただただ話すことだけ話すのと、そうやって笑いありの話し方では、頭に入る効率というか、集中できる力は全然違うと知った。先生の話し方は、私が今まで体験してきた講習会の講師の中でも一番分かりやすかったと感じています。本日はどうもありがとうございました。(高2男子)

 「岩室さんが経験したことが壮絶というか、自分らには考えられないようなことばかりであった」という言葉にハッとさせられました。確かにこれまで経験させてもらってきたことはあまりにも壮絶で、一般の、素人の方だけではなく、医療の専門家の多くの人たちでも経験できない世界だったのかなと思いました。盟友の夜回り先生こと水谷修さんがよく講演会で「皆さんとは違う夜の世界で生きてきた」と話していますが、確かに岩室紳也も多くの人が経験しない、というか気づくこともない世界を見せてもらってきました。ただ、岩室紳也が経験してきたことを多くの人と共有させていただくだけではなく、その経験の意味を、その経験を深掘りし、学ぶ場がありました。1994年に横浜で始まったAIDS文化フォーラムでした。そこで今月のテーマを「AIDS文化フォーラム in 横浜の30年」としました。

AIDS文化フォーラム in 横浜の30年

○薬害・MSM・異性間・刺青
 30回目を迎えた今年のAIDS文化フォーラム in 横浜のテーマは「未来をみつめて」でした。そのオープニングに血液製剤で感染した薬害エイズの被害者の後藤智己さん。男性同性間性的接触で感染したMSMの奥井裕斗さん。異性間の性行為で感染された北山翔子さんが登壇してくださいました。奥井さんはこれまで他の感染経路の方に会ったことがなかったと話され、会場に来られた方もいろんな感染経路の方が同じステージに登壇されているのをはじめて拝見し、いろんなことを考えさせられたとおっしゃってくださいました。
 HIV/AIDSの診療に当たっているといろんな感染経路の方にお会いするのですが、その内2人の方にAIDS文化フォーラムのステージ上で率直な話をいろいろ聞かせてもらってきました。残念ながら亡くなってしまったパトには何度も登壇してもらい、第1回目のコンドームの正しい着け方講座に始まり、感染した時のセックスは自分で選択(choice)したことだから、その選択に反省点はあっても後悔はしていない、などの視点を教えてもらいました。刺青で感染し、妊娠を契機に感染が判明した石田心さんには刺青での感染が実際に起こり得ることを教えていただきました。一方で、今や医療の進歩で体調に全く問題がなく、本業で大活躍のため、お忙しいのも事実ですが、いまだに顔出しができない、登壇をお願いできない社会状況が続いている現実を突きつけられています。
 このように単にいろんな感染経路の方々だけではなく、その方々の深い思いやその後の生き方を含めて教えていただけていることに改めて感謝するとともに、一人ひとりの思いを伝え続ける役割があると改めて思いました。

●日本と海外の評価の違い
 30回目を迎えたAIDS文化フォーラム in 横浜のオープニングで、今だからこそ気付かせてもらった「日本と海外の違い」がありました。現在エイズ予防財団の理事長をされている白阪琢磨先生が1988年に世界で最初に抗HIV薬であるAZTを開発されたアメリカ国立衛生研究所(NIH)の満屋裕明先生の元に留学されていた時のエピソードを教えてくださいました。夏休みにバーベキューをしていた時、そこに集まった現地アメリカの人たちに「私はAIDSのウイルスの研究をしている」と話したところ、みんなが「お前は偉いな」と感動しながら聞いてくれたそうです。しかし、日本でこのような経験をすることはなかったどころか、AIDSの研究で留学すると話したところ、医者仲間から「帰国しても一緒にすき焼きは食べないぞ」と冗談とは言え言われていたとのことでした。このような経験があり、ちゃんと取り組まなければならない病気だという認識に至ったとのことでした。
 確かに亡くなった私の母親も「もう少しまともな病気を診たら」と言ったりしていましたが、白阪先生の話と合わせて考えると、日本人は自分の思いや価値観がまるで正解であるかのように思い込み、そのことを疑ったり、物事の本質を考えることなく相手に押し付けるところがあるのかもしれません。

○“文化”の2文字
 AIDS文化フォーラム in 横浜のHPにも、毎年の報告書にも次の文言が記載されています。
 
 なぜAIDS“文化”フォーラムなのか。それはフォーラムを医療や福祉の問題だけではなく、HIV感染者やAIDS患者を病気と共に生きる人間としてとらえること、そしてすべての人間が、HIV/AIDSに関わりを持ちながら、日常の生活・社会的活動に関わっているという側面を大切にしたいという考え方で「文化」の2文字を使ったのです。「文化」の2文字を入れたことで、フォーラムの開催プログラムの幅は大きく広がることができました。
 
 今回、30周年を迎えたからこそ、そして近年、コロナ禍を経験したからこそ、この“文化”の重みを感じています。第1回のフォーラムが始まった1994年の時点で私は37歳の若輩者でした。それからの30年の間に出会った、そして別れざるを得なかった多くの方々に、「生きるとは何か」を教え続けてもらっています。
 今年のフォーラムでも薬物使用の経験を持った人たちの話を聞かせてもらいましたが、同じメンバーに毎年登壇していただいているのは、まさしく「『薬物使用者』というレッテルを貼って当たり前という日本社会の中で生きざるを得ない一人ひとりの今」を聞かせてもらえるまたとない貴重な経験だと思ってのことだと改めて思いました。

●続くからこそ“文化”
 正直なところ、「AIDS文化フォーラム in 横浜はいつまで続けるのか?」という思いは自分の中にここ数年常にありました。ただ、30回目の今年のフォーラムでいろんな出会いをいただく中で、自分自身の今年の体験も、気が付けば30年間このフォーラムを続けさせてもらったからこその積み重ねだと気づかせていただきました。HIV/AIDSと、そしてHIV/AIDSに関係する様々な社会と出会ってしまった以上、そこでの自分自身の学びを、それこそ生徒さんに指摘された「岩室が経験した壮絶な、彼らには考えられないようなこと」を伝え続けることが使命だと思いました。
 今年もAIDS文化フォーラム in 横浜の報告書がほぼ完成しましたが、早速来年の第31回AIDS文化フォーラム in 横浜に向けてのディスカッションが始まっています。是非今年よりバージョンアップした出会いを提供できるよう、仲間の皆様と共に頑張ります。30回も開催できたことに感謝申し上げます。ありがとうございました。