エビデンスが正解にならない時

 「賛成か反対か」では見えない正解で紹介しましたが、1994年の国際エイズ会議でアフリカでのHIV(エイズウイルス)感染蔓延を抑え込むため、男性に割礼をすることを推奨していた研究者に反論した私は、結果として自分が考えている正解が必ずしも他の国で通じるものではないことを思い知らされました。では、それから30年経った今のWHOの考え方はどうでしょうか。いまだに Voluntary medical male circumcision for HIV preventionと紹介され、その有用性が認められています。すなわち、アフリカでの対策として今でも推奨されています。

 では、泌尿器科医でもある私が日本で、「HIV(エイズウイルス)の感染拡大予防のため、男子は積極的に割礼を受けましょう」と言おうものなら、「非常識」「何考えているの」「それでもあなたは医者」とそれこそSNSで炎上することでしょう。すなわち、WHOがアフリカで示した「エビデンス」のあるHIV感染予防手段は必ずしも他の地域での選択し、正解にはならないことがわかります。
 敢えてこのように書かせていただいているのは、いま、流行のように、「エビデンス」「科学的に正しい」「情報リテラシー」と言ったことが言われています。もちろんどれも大事なことですが、次のような事実を皆さんはどう思いますか。

 HPVの9価ワクチンのシルガード9の「効能又は効果」に次のように記載されています。
 ヒトパピローマウイルス6、11、16、18、31、33、45、52及び58型の感染に起因する以下の疾患の予防
 子宮頸癌(扁平上皮癌及び腺癌)及びその前駆病変(子宮頸部上皮内腫瘍(CIN)1、2及び3並びに上皮内腺癌(AIS))
 外陰上皮内腫瘍(VIN)1、2及び3並びに腟上皮内腫瘍(VaIN)1、2及び3
 尖圭コンジローマ

 一方で中咽頭がん患者の85~90%でHPV16型が検出されます。厚生労働省が認可したワクチンでは中咽頭がん予防は適応になっていませんが、どう考えてもシルガード9は中咽頭がんの予防に効果があります。しかし、「ワクチンの適応範囲」ということでエビデンスを求めると、HPVのワクチン(シルガード9)は中咽頭がんの予防にならないことなります。

 性行為でのHIV感染拡大を予防する方法として次のようなことが明らかになっています。
 1.セックスをしない
 2.コンドームを使用する
 3.感染している人が治療してU=U(Undetectable=Untransmittable:治療でHIVが検出限界値未満になるとコンドームを使わない性行為をしてもパートナーに感染させない)を可能とする

 1は現実的ではないのですが、2と3はアフリカではいまだにハードルが高い状況です。小学校の6年間をアフリカのケニアで過ごした人間として、アフリカの国々が経済成長を遂げ、教育も浸透し、コンドームも当たり前のように購入でき、HIVに感染しても治療が当たり前のように受けられる状況になることを願っていますが、そのような状況になるまで後何年、何十年待てばいいのでしょうか。

つづく

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基本を忘れた正解

 繰り返し申し上げますが、子宮頸がんを予防する上でHPVワクチンの有用性は否定されるものではありませんし、岩室紳也は様々な場面でHPVワクチンの有用性を伝えています。具体的に言えば、知的障がいを抱えているお子さんが性被害に遭うというのは残念ながら事実ですし、実際に男の子が性被害でHIVに感染し亡くなられるというケースにも関わらせていただいています。性被害に遭う可能性がある方々で、男女を問わずHPVワクチンを打つ意味は伝え続けています。その私がなぜ、HPVワクチンについて事細かく啓発し続ける必要性を訴えているのか、私もやっと気づかせていただきました。「正解依存症」のことを訴え続けている私ですが、改めて私も正解依存症だったと思い知らされました。

 HPVワクチンについて積極的に推進しましょうと訴えている方に「岩室は自分の思いを押し付けているだけだ」と言われ、ハッとさせられました。科学的事実を伝えようとしていても、科学的な事実に基づいた対話をしようとしていても、相手の思考パターンに、相手が受け入れられる伝え方で伝えない限り、所詮「思いの押し付け」になるだけだと反省させられました。新型コロナウイルスの蔓延時に、リスクコミュニケーションの大切さを散々、身に染みて痛感させられていたのに、やはり人間はリスクコミュニケーションの基本からすぐ逸脱してしまうのだと反省です。
 改めてリスクコミュニケーションの図を見直すと、お互いに意見の交換に留まっているだけで、相互の理解は全く進んでいませんでした。裏を返せば、相互の理解を得ることができない理由に着目する必要があるということです。

 私がHPVワクチンの議論で一番気になっているのが、HPVが性行為でうつる病原体であるにも関わらず、残念ながら性感染症対策という視点でHPV対策が論じられていないことだと、今更ながら気づかされました。感染症対策の基本は中学校の教科書にも書かれている「病原体の死滅による発生源をなくす」「感染経路を断つ」「体の抵抗力を高める」の三つです。HPVワクチンは体の抵抗力を高める効果はありますが、他の二つの対策も同時に考える必要があります。
 子宮頸がんの原因となるHPVは主にセックスパートナーの亀頭部から子宮頚部に感染するのですが、亀頭部に付着したHPVを完全に死滅されることは不可能です。ただ、HIVをはじめ、ウイルスの感染が成立するためには暴露されるウイルス量を減らすことが効果的だとわかっていますので、コンドームを使用しない場合は事前にペニスをしっかり洗っておくことは一定の効果があると期待できます。
 感染経路を断つ一番の方法はセックスをしないことです。すなわち一生セックスをしない人にとってワクチン接種は不要です。性体験率の低下が顕著になっている状況の中で、「誰もがセックスをするのだから、全員が接種した方がいい」というのは少し乱暴ではないでしょうか。
 「HPVワクチンは子宮頸がんを減らす」というのは正解ですが、一方でHPVワクチン接種を接種したことで大変苦しい状況に置かれています。ではそのようにつらい思いをしている方を生まず、かつHPVワクチンの恩恵で子宮頸がんにならないことを選択したい人にもその選択肢を残すにはどうすればいいのでしょうか。

 一番大事なことは、自分で考え、自分で選択し、結果を自分自身が受け入れられる状況、環境を作ることです。この基本を忘れ、「とにかくHPVワクチンを打ちましょう、それもお金がかからないキャッチアップの時期に」という正解を押し付けていないでしょうか。最終的にどのような状況になっても、すなわちHPVワクチンをめぐる最悪のことは、「HPVワクチンを接種をしなかったために子宮頸がんに罹患した」か「HPVワクチンを接種した結果、重篤な後遺症が残った」です。そのどちらも嫌だからどうすればいいのでしょうか、という方はリスク軽減について改めていろんな情報を集め、実践してください。
 感染症対策に絶対的な正解はないことだけはぜひご理解いただき、ご自分で選択し続けていただければと思います。後悔をしないためにも、させないためにも。

エビデンスが正解にならない時

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科学的根拠という正解の盲点

 インフルエンザのように抗体保有率が流行にどのような影響を及ぼすかがある程度解明されているものもあれば、新型コロナウイルスのように抗体保有率と流行の関係性がまだよくわかっていない感染症も多々あります。ところが最近「科学的根拠という正解」を残念ながら多くの人が掲げるようになり、結果として多くの人を苦しめているように思えてなりません。
 子宮頸がんを予防する上でHPVワクチンの有用性は否定されるものではありません。敢えてこのことを最初に書かせていただいたのは、HPVワクチン推進派の人たちは「岩室先生は推進派ですか、反対派ですか」と必ず突っ込んでくるからです。一方で反対派の人はこう書くと「岩室先生は推進派なのでもはやわれわれの考え方が理解できない人」とレッテルを貼られてしまいます。
 よく考えてみてください。

 子宮頸がんを予防する上でHPVワクチンの有用性は否定されるものではありません。

 ということは見方によれば「有用」とも言えますし、見方を変えれば「有用な側面と、副反応を含めて摂取したくない人がいるならそれもOK」ということです。でも副反応は心配で摂取したくないという思いの人が、「どうせ摂取しないならHPVに感染して子宮頸がんになるのを諦めなさい」ということでもありません。さらに言うと、確かに9価ワクチンはかなり効果がありますが、その効果は100%ではありません。メーカーのHPを丁寧に読めばシルガード9は前がん病変で10.6%、浸潤性子宮頸がんで6.4%に関与していません。すなわち、ワクチンを接種すれば100%子宮頸がんにならないとも言えず、摂取しても気をつけたいことは何かを伝える必要があるのですが、そのようなメッセージを聞いたことはありますか。
 私は子宮頸がんの原因になっているHPVが男性のペニスの亀頭部(もちろん指等もありますが)から感染していることを考えると、亀頭部にHPVが残存する可能性を提言する必要があるのではと言っているだけなのですが、残念ながらそこで「科学的根拠は」「エビデンスは」と言われてしまいます。
 そもそも論文として採用されるものには確かに科学的根拠、エビデンスが求められます。しかし、論文で次のことを証明するためにはどのような枠組みが必要でしょうか。HPV感染のリスクが高い性行為の一つとして「不特定多数との相手と性交渉をしている」ことがあげられています。ということは次のような組み合わせで検証をしないと科学的根拠、エビデンスを持ってペニスをごしごし洗うことの効果を証明することはできません。

 不特定多数の、ペニスをごしごし洗っている人とコンドームなしのセックスを人
 不特定多数の、ペニスを洗わないままの人とコンドームなしのセックスを人

 この2群に分けてどちらの方が将来的にHPV感染リスクが高く、かつ前がん病変、さらに子宮頸がんになるリスクが高いかを調べる必要があります。でも、皆さん、この研究に参加しますか。しませんよね。
 何を言いたいかというと、「科学的根拠」や「エビデンス」といった言葉を安易に使う人は、そもそも「科学的根拠」や「エビデンス」の限界を知らないで、それらを正解と思っていること自体が正解依存症ではないでしょうかということです。

基本を忘れた正解

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情報の入手方法で変わる正解

 北山修先生が「最後の授業」https://www.amazon.co.jp/dp/4622075431で「映像は想像力を奪う」と述べています。この言葉に出会ったのは2010年にNHKで放送された「北山修 最後の授業」でした。「目から入る情報はわかったような気になる。耳から入る情報は想像力を育み記憶に残る」という言葉を聞き、すごく納得しました。
 新型コロナウイルスだけではなく、インフルエンザ、様々な性感染症について多くの人はインターネットやテレビ等を通して情報を得ていると思いますが、私は基本的に自分でデータを収集してグラフ化をしたものをネットにアップしたり、講演等で使っています。なぜそうするようになったかというと、一方的に見せられた情報だとそれこそ「わかったような気になる」だけだということを繰り返し経験してきました。
 新型インフルエンザがいい反省例でした。2009年に日本中がパニックになったのに、翌年以降は流行しませんでした。与えられた、マスコミ経由の情報にしか接していなかった当時の岩室紳也は「なぜ1年で流行が収まったのか」を考えることもしませんでした。しかし、どこかで感染症、それも新型インフルエンザのことを含めて講演を依頼された時に調べていく内に、インフルエンザの抗体保有状況が毎年チェックされており、その分析結果を読み解くと、2009年に流行した新型インフルエンザは、結果的に感染が広がり、多くの人が他のタイプと同じように抗体を持つようになり、いわゆる「普通のインフルエンザ」になったことがわかりました。でも、そのような話はマスコミには登場しません。
この一文を読んでくださった方で、新型インフルエンザが普通のインフルエンザになった理由をご存じなかった方はここまでの私の記述で納得されたでしょうか。おそらく「No」ですよね。では次の図を見て納得いただけたでしょうか。

 2009年だけインフルエンザが夏場から流行しました。

なぜでしょうか。そしてそのことを伝えてくれた人に、情報に出会ったことはありますか?

 新型インフルエンザとなった2009pdmの抗体保有率は最初の流行後の2010年2月時点でも低い状況でした。

 抗体価が低いのは何故で、その意味をどうたらえるべきなのでしょうか。

 2009年の流行前に採取されていた血液では抗体価が低かたのですが、それが年々高くなり、結果的に「普通のインフルエンザ」になりました。

 私自身、このデータと向き合いながら、このデータについて紹介しながら、実は自分自身の中での対話を通して理解を少しずつ深めている状況です。こう話すと頼りがいがない専門家に見えるでしょうが、それが岩室紳也の限界なのでお許しを(笑)。

科学的根拠という正解の盲点

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後悔を生む正解、反省を生む選択

「反省はするけど、後悔はしない」

 この言葉は普及啓発をしている専門家として大いに反省と共に考えさせられた言葉です。
 人に何かを伝える時、つい自分なりの正解を言葉にして伝えてはいないでしょうか。私がHIV/AIDSの問題にかかわり始めた時、「セックスをするならコンドーム」という正解を伝えていたことを反省せざるを得ませんでした。
 ところがある日、家族計画の専門家の助産師さんが「岩室先生、コンドームってこうやってつければいいんですよね」とおもむろに家族計画(避妊指導)でいつも使っている試験管を取り出し、そこに馴れた手つきでコンドームをスルスルっと着けたのを見て「いやいやペニスには皮がありますからそこまで配慮しなければ・・・」と言う思いでチャンピオン君を作成しました。その後、大学生の勧めでYouTubeにコンドームの正しい装着法をアップしたところ、再生回数が新旧のバージョンを合わせると672万回を超えました。
 なぜこれだけ再生回数が伸びたかと言うと、異性愛者の男は自分のペニスにしかコンドームを装着したことがないため、ある意味自己流でやっていますので「正しい装着法」と言うのを学びたくなるからだと思っています。実はこれまで芸能人を含め、いろんな人にチャンピオン君にコンドームを装着してもらいましたが、完璧にできたのは、残念ながら亡くなってしまったHIVに感染した、ゲイで、私の患者&親友&共演者だったパトだけでした。そのパトと次のようなやり取りをしていました。

岩室:コンドームの着け方が完璧なのにどうして感染したの。その日はコンドームを使わなかったの。
パト:使ったよ。
岩室:じゃ、どうして感染したの。
パト:コンドームは所詮ゴムでしょ。たった一回破れたんだ。
岩室:その時のセックスのこと、後悔していない。
パト:どうして後悔するの。自分で、この人とセックスをしたい。コンドームはちゃんと練習して着けた。結果的に破れて感染したけど自分でchoice、選択して決めたこと。反省点はあるかもしれないけど後悔はしていない。

 人はいろんな選択をして生きて行きますが、自分で選択し、結果としていろんな困難、トラブルに遭遇しても、その結果を悔いるのではなく、その後も前向きに生きて行けるようなメッセージの届け方が大事だとパトから教わりました。逆に、自分で選択をしないから、自分で選択をさせてもらえないから後悔につながると思いませんか。

情報の入手方法で変わる正解

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「賛成か反対か」では見えない正解

 HPV(ヒトパピローマウイルス)でも新型コロナウイルスでもワクチンが開発されました。一方で、ワクチンを接種したことで副反応、副作用に苦しんでいる方がおられるのも事実です。そのため、よく「岩室先生はHPVワクチンについて、新型コロナウイルスワクチンについて賛成派、推奨派、反対派のどの立場ですか」と聞かれます。そう聞きたい気持ちは理解できますが、公衆衛生医を自認している私としては「正解依存症の方の質問」と思ってしまいます。
 そもそもワクチンの目的は何でしょうか。HPVや新型コロナウイルスに感染した結果、子宮頸がんに、陰茎がんに、新型コロナウイルス感染症になってしまうことを予防することです。ではHPVに、新型コロナウイルスに感染しないために、感染しても発症しないために出来ることは何でしょうか。ここでは敢えて列挙しませんが、予防のために出来ることはいくらでもありますよね。
 議論が炎上しないよう、敢えて多くの人が関心も情報もあまりない陰茎がんの予防について紹介したいと思います。日本泌尿器科学会の陰茎がん診療ガイドラインには「HPV感染も陰茎癌発症の重要な因子である」と記述されていますので、費用対効果等はさておき、HPVワクチンは陰茎がんの予防手段の一つであると言えます。一方でガイドラインには次のような記述もあります。「割礼による浸潤性陰茎癌の予防効果は,包茎症例に限定されることより,陰茎癌の発生母地となる組織の除去に加え,包皮内の衛生状態の改善,ウイルス感染のリスク低下,それに伴う慢性炎症および亀頭炎の減少が陰茎癌の予防に寄与すると考えられている」や「デンマークでは,1943〜1990年の間で年代とともに陰茎癌が減少したが,割礼率が2%未満のため,浴室付き住宅の普及による衛生環境の改善が陰茎癌の予防に寄与したものと推測されている」と。すなわち、包皮内を常に清潔にし、付着したウイルスが慢性炎症等で発がんにつながらないようにすることは、結果として自分自身のみならず、コンドームを使わない時のセックスパートナーへのHPV感染リスクの低下につながると考えられます。
 公衆衛生、予防対策で重要なことは、考えられる様々な手段を伝え、その中で、一人ひとりが何を選択するのか、何が選択できるのか、どのような環境であれば結果的に目的を達成できているかを考えることです。と偉そうに言っていますが、私自身、1994年の国際エイズ学会でオーストラリアの研究者が「アフリカでのHIV感染予防のためには割礼が有効」と話していたので、私が「包皮内を清潔にしていれば同じような効果が得られるはず」と反論しました。その時、「アフリカの人に清潔の大切さをどう伝えれば理解されるのか。さらにアフリカのどこに体を清潔にするための水があるのか」と反論されました。実はちょうどこの頃、泌尿器科医として「子どもの包茎の手術は不要。むきむき体操で亀頭部を翻転できるようになれば包皮内の清潔は保てる」と訴えていたのでその流れで「HIV予防のための割礼手術に反対」と訴えたつもりでした。しかし「アフリカのどこに体を清潔にするための水があるのか」という指摘を受け、改めて公衆衛生の奥深さを痛感させられました。
 「賛成か反対か」、「〇か×か」は「正解か間違いか」が明確に区別できる場合はいいのかもしれません。しかし、ワクチン以外にも選択肢があるような感染症対策の問いかけとしては適切ではありません。でも様々な選択肢について考えられないと「賛成か反対か」になってしまうのですね。難しいです。

後悔を生む正解、反省を生む選択

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正解がないのが対話

 思春期の様々な問題に向き合っていると、斎藤環先生の「ひきこもりと対話」で紹介された言葉がすごく大きな学びになります。

●対話(dialogue)とは、面と向かって、声を出して、言葉を交わすこと。

●思春期問題の多くは「対話」の不足や欠如からこじれていく。

●議論、説得、正論、叱咤激励は「対話」ではなく「独り言」である。独り言(monologue)の積み重ねが、しばしば事態をこじらせる。

●外出させたい、仕事に就かせたい、といった「下心」は脇において、本人の言葉に耳を傾ける。

●基本姿勢は相手に対する肯定的な態度。肯定とは「そのままでいい」よりも、「あなたのことをもっと知りたい」

●対話の目的は「対話を続けること」。相手を変えること、何かを決めること、結論を出すことではない。

 このように対話には相手に押し付ける「正解」は登場しません。裏を返せば社会には「学校に行こう」「目標を持とう」「仕事をしよう」「男は男らしく、女は女らしく」「みんなと仲良く」といった多くの正解が蔓延(ばひこ)っています。
 裏を返すと、多くの人は相手を、子どもを変え、どうするかを決め、理想の結論に向かって頑張ろうとして、対話ではなく会話をするから疲れるのではないでしょうか。どうでもいい、ただのおしゃべりを重ねているうちに、自分がどうしたいのかが見えてくればラッキーぐらいの対話を重ね続けたいものです。

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紳也特急 296号

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全国で年間200回以上の講演、HIV/AIDSや泌尿器科の診療、HPからの相談を精力的に行う岩室紳也医師の思いを込めたメールニュース! 性やエイズ教育にとどまらない社会が直面する課題を専門家の立場から鋭く解説。
Shinya Express (毎月1日発行)
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~今月のテーマ『次なる失われた30年』~

●『生徒の感想』
○『なぜ「失われた30年」になったのか』
●『終活で気づいたこと』
○『人は考えることを放棄するもの』
●『反省はしても後悔はしない』
○『30年後も続くマスク禍?』
●『二刀流を誇りに』
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●生徒の感想

 LGBTは学者などが人間を知り尽くしたいという自己満足で名前をつけ分類したものだと思うのですが本当に必要なのでしょうか。分類してしまう事自体が差別的であり、LGBTを理解できないというセクシュアリティを持つ人々に強制してしまっているのではないか、LGBTに関わらず、分類さえしなければ差別や争いが生まれることはないのではないかと思っています。(高2男子)

 LGBTQについて理解はしないけれど認めるという言葉がとても印象に残った。私は今までLGBTQについて理解を深めるのが大切だと考えていた。しかし、どのように理解を深めればいいのかよく分からなかった。自分が正しい、自分が普通といった認識を持っていたからだ。先生の講演を聞き、まず私が考えていた普通とはなにか、そもそもLGBTQに普通など存在するのかを考えさせられた。先生がおっしゃっていた通り自分は体は女性であり、性の認識も女性であるが、なぜそうなのかは自分でもよくわからないし理解できない。自分のこともわからないのに同性愛者のことなんて理解できるはずもない。私が自分自身の身体、性を認めているように他の人のことも理解をするのではなく認め合うことが大切ということを学んだ。(高1女子)

 自分のためにも相手のためにも、今回のお話を全世界の人たちの共通理解?になればいいなと思います。LGBTで男性同士、女性同士が好きな人がいるから、同性でも結婚できる国もあるのに、日本はまだ認められてないから不思議です。(中3女子)

 学校では色々な問題の正解を求められる、もしくは自分の正解を見出すことが多い。しかし、今回の講習は今までの常識を教えられてきた定石を覆すようなお話だった。学校でこのような切り込んだ話はしないものだと思っていたため驚いた。心の中に秘めていた表には出さないようにしていた考えをしても良いと感じ心が少し楽になった。友達に気軽に話せるようになりたい。堂々と自身を持って人前で意見できるようになりたいと思った。(高1女子)

 日本が正解依存症になってしまっているという点に非常に共感を持てました。近年正しさを追求するあまり多くの人がその行動に理由をつけようとしています。これが自分はとても嫌だと感じます。自分の考えを持たずただ提示されたものに疑問を持たないこと、その結果人が話すことに不正解だと言い正解を話すということが一種のパターンになってしまうことがとても不安です。今日先生に話してもらったことを一つの考えとして受け止め、今後の人生に役立てたいと思います。(高2女子)

 沖縄で開催された第25回GID(Gender Identity Disorder:性同一性障害)学会で学会の名称がGI(Gender Incongruence:性別不合)学会に変更されました。その学会で「トランスジェンダーと性教育」というタイトルで講演をさせてもらう準備をしながら講演をしていたからか、それとも学会で話を聞いてくださった当事者の方々も「理解ではなく存在を認める」という視点に共感してもらえたからか、前記のような感想を多くいただきました。若い生徒さんの力ってすごいですよね。生徒さんや学会の参加者の多くは頭が柔軟ですが、残念ながら私を含め、多くの人は大人になるとなかなか硬くなった頭を、思考パターンを修正することは至難の業です。未だに屋外で、一人で運転している車の中でマスクをしている人たちを見ると、コロナ禍はこれから30年は続くのではないかと思い、今月のテーマを「次なる失われた30年」としました。

次なる失われた30年

○なぜ「失われた30年」になったのか
 日経平均株価が約34年前の1989年末につけた終値を上回り、史上最高値を更新しました。低成長と物価低迷が続いたこの30年余は「失われた30年」と言われていますが、気が付けば欧米の給与が、物価が日本の倍以上に、逆に日本人の給与が、物価が欧米の半分になっています。春闘での賃上げが報道されても、相変わらず「物価が高い」というテレビ報道は消えません。そもそも物価が高騰しなければ、物づくりをしている人たちの収入は増えないのに、どうしてそのことを報道しないのでしょうか。答えは簡単で視聴者が求めていないから、すなわち「そうだ、そうだ」となれないからです。
 「失われた30年」になった本当の理由は100円ショップの台頭を含め、「とにかく安いのが一番」という空気を、考えることなく受け入れてきた、生活習慣、思考パターンが原因ではないでしょうか。でわが家はというと、購入した中古マンションが2.5倍になっても踊らされることなく、身の丈に合った生活をこれまでも、そしてこれからも続けるだけです。

●終活で気づいたこと
 よく「人に迷惑をかけたくない」という話を聞きます。最近はお葬式も家族葬が増え、子どもたちが人の死を、命を感じる機会がなくなっているにも関わらず、大人たちは家族葬を選ぶ一方で「命を大切に」というきれいごとを言って自己満足しています。
 そこでふと思ったのが、「岩室紳也が死んだ時に何が誰の、どのような迷惑になるのか?」でした。事務所を兼ねた自分の部屋を見渡すと、引っ越して来て以来20年以上ほぼ触っていないカメラや、どんどん増えるパソコン関連の機械等があふれていました。それらを一つずつ、いま流行りの終活のつもりでメルカリで処分し続けています。でも、裏を返せば、不要なものが増えてもそのことに気づかないまま、考えることを放棄していた自分がいたということです。他の人には考えることを放棄しないことの大切さを伝えたいと思っていたにも関わらず、当の自分が考えることを放棄していました(笑)。

○人は考えることを放棄するもの
 結局のところ、自分自身が一番学ばなければならなかったことは「人は考えることを放棄するもの」だということでした。コロナでの状況を思い出すと、海外ではある段階から考えることを放棄した結果、マスクを使わず、感染が広がり、多くの方が亡くなり、でもウイルスが弱毒化する中で集団免疫をある程度獲得し、コロナ前の生活を取り戻しています。一方で日本では、3密回避、マスク着用等が浸透し、感染経路について考えることを放棄し、結果的に「とにかくマスク」という生活習慣が残ったにもかかわらず、コロナだけではなく季節外れのインフルエンザの流行に遭遇しています。でも、日本の専門家はコロナ対策が上手くいったから死者が少なかったと言っていますが、コロナ対策の副作用については因果関係が明確ではないのでなかったことになっています。
 一公衆衛生医として新たに考えなければならないことは「人は考えることを放棄するもの」という事実とどう向き合えばいいかでした。

●反省はしても後悔はしない
 亡くなった親友でHIVの患者でもあったパトが教えてくれた言葉です。自分で考え、選択した、決めたことだから、いろいろ反省点はあっても後悔しない。確かにその通りですね。
 人を変えることはできないけれど、人は変わることはできる。ドヤ街で活動している人が教えてくれた言葉です。人を変えようとしている間は、結局は人間という生き物の本質を理解しておらず、人を変えられると錯覚しているだけだと改めて反省させられました。
ではどのように考え、後悔しないようにすればいいのでしょうか。

○30年後も続くマスク禍?
 実はコロナ禍の前から中高生でマスクが外せない生徒さんが増えていました。そのことを問題視する大人たちも気が付けばコロナ禍で「マスクは個人の選択」を刷り込まれ、コロナ禍前の危機感がかき消されてしまいました。今も「春は花粉症の季節なので、多くの人がマスクをしているのは花粉症だからで、もう少しすればマスクをとる人が増える」と思っている人も多いと思いますが、そうなるどころか、30年後は今以上にマスクをしている人が増えているのではないでしょうか。

●二刀流を誇りに
 で、岩室紳也はこれからどうするのか、どうしたいのか。明後日の4月3日に医学生に公衆衛生の講義をするのですが、講師紹介を次のようにお願いしました。

 自治医科大学医学部卒後、臨床医、公衆衛生医の2刀流を実践し続け、AIDS文化フォーラムというボランティア活動は31年目を、東日本大震災後岩手県陸前高田市の支援は14年目を迎える。

 大谷翔平選手の二刀流がすごいと尊敬されているのは、打者も、投手もどちらもすごく大変なことだと多くの人が理解しているからです。確かに打者も投手も結果が数字として残るので誰から見てもその両方で数字を残している大谷選手は「すごい」となるのですが、残念ながら公衆衛生は結果が簡単に出ません。だから臨床医を辞めて気楽に転職できる分野としか思っていない医者が少なくありません。でも、そんなに甘い世界ではないことを学生さんに伝えたいと改めて思いました。
 そして、30年後にマスク禍が悪化し、マスク率だけではなく、自殺が、不登校が増え続けていても、自分にできることは何かを考え、生徒さんと、住民の方と、様々な方々と、一人ひとりが否定されない、一人ひとりの言葉を拾ってもらえる対話を重ね、一人ひとりが元気をもらえ、とにかく後悔せずに済む地域づくりを続けたいと思いました。これからもよろしくお願いします。

紳也特急 295号

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~今月のテーマ『多様性って何?』~

●『生徒の質問』
○『認めていないから認めよう?』
●『多様性の意味』
○『岩室紳也の回答』
●『多様性とdiversityの違い』
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●生徒の質問

 「なぜ医者になったのですか?」
 
 「人とうまく話すにはどうすればいいですか?」
 
 「先生にとって多様性って何ですか?」
 
 このような質問を受けた時、皆さんならどう答えますか。
 
 卒業前のこの時期に講演を依頼されることが多いのですが、講演終了後にこのような質問がひっきりなしに続き、うれしくなります。相変わらずマスクをしている生徒さんが半数以上という現実の中で、20年後にこのコロナ世代で引きこもり、自死が顕著になり、少子化どころか結婚ということが過去の人たちがしていたこととならなければと懸念しています。一方で自分なりに考え、その思いをぶつけてくれる生徒さんにこそ、他の生徒さんが学んで欲しいという思いで返事を返しています。
 「なぜ医者に」というのは私の講演があまりにも医者らしくないと映るからでしょうか。医者になったのはある方に勧められ、「No」と言えず、気が付けばこんな仕事をしていました。「うまく話す」は講演が聞きやすかったからでしょうか。いつも意識していることが「対話」で、自分の思いを押し付ける「会話」にならないように心がけるといいですよと話しています。いろいろあった質問の中で特に印象的だったのが多様性についての質問だったので、今月のテーマを「多様性って何?」としました。

多様性って何?

○認めていないから認めよう?
 「先生にとって多様性って何ですか?」と質問してくる生徒さんがいた時、皆さんはどのような思いでその生徒さんに向き合うでしょうか。一見すると自分の身体的な性とは異なる性自認をしているようにも見えたのですが、実はそれは私にとってどうでもいいことでした。
 そもそもこの生徒さんがなぜ岩室にこのような質問をしたのか、気になりませんか。私は講演の中で、ゲイだということを知らなかった男性の友人が私に自分のセクシュアリティをカミングアウトした時、自分自身のセクシュアリティに向き合っていなかった自分自身の経験談を紹介していました。この生徒さんがその話をどう受け止めたかはわかりませんが、おそらく「多様性を認めよう」「多様性を理解しよう」という声が非常に大きい中で、岩室は一言も「認めよう」とは言わず、はっきりと「岩室は理解できない」と他の人とは違った見方を伝えたのでそこを聞いてみようと思ったのではないでしょうか。
 そもそも「認めよう」ということは「認めていない人が多い」の裏返しですし、認めていない人が多数派だから「認めてあげよう」という上から目線の、他人ごとの発想が生まれるのだと思います。世の中には理解できないことが多い中で、理解できるという発想自体が変です。

●多様性の意味
 「多様性」の英訳はdiversity、variety、multiformity、multifariousness、manifoldnessですが、広辞苑で「多様性」は出ていません。
 Oxford English Dictionaryでdiversityを調べると“The quality, condition, or fact of being diverse or different; difference, dissimilarity; divergence.”とあります。
 ChatGPTに「多様性とは」と聞くと「さまざまな要素や特性が存在することを指します。これは人々や事物、思考や意見、文化や言語などが異なることを包括しています。多様性は、個々の違いを認め、尊重し、受け入れることを重視する考え方や価値観を表しています。社会全体や組織、グループなどにおいて、異なる背景や経験を持つ人々が共存し、相互に学び合うことが重要であるとされています」と回答してくれています。怖いと思いませんか。「認め、尊重し、受け入れることを重視する考え方や価値観」があたかも正しいかのような説明です。
 Copilotでは、「多様性とは、人や物事がさまざまな種類や特徴を持っていることを言います。例えば、人の多様性とは、性別や年齢、国籍、価値観など、人々がそれぞれ違う属性や思考を持っていることです」との回答でした。

○岩室紳也の回答
 先ほどの生徒さんに私は次のように返事をしました。
 
 あなたと私は全く違う人間です。われわれの周りにいる一人ひとりもわれわれと全く違う人間です。性が違う人もいれば価値観が違う人もいます。すなわち私にとっての多様性というのは事実としてそこに存在していることでしかありません。LGBTQ+について「多様性を認め、理解しましょう」という人がいますが、その考え方に私は違和感を覚えます。正直なところ私はLGBTQ+の人のことは理解できません。と同時に、私自身は異性愛者ですが、なぜそうなのか理解も説明もできません。さらに言うと、異性ならだれでもいいかというとそうではないのに「異性愛者」という言い方も実は変だと思っています。
 一方で私は医者です。LGBTQ+の人たちのことが理解できなくてもHIV(エイズウイルス)に感染しているゲイの方の診療もしていますし、FTM、女性から男性に性転換した人の、MTF、男性から女性に性転換した人たちのホルモン療法はさせてもらっています。これは医療技術提供者として当然のことだと思っていますが、それをしてくれる医者が少ないのも社会の現実です。
 
 いかがでしょうか。こう答えたのは次のような考えに基づいてです。
 
●多様性とdiversityの違い
 日本ではdiversityという言葉も「多様性」と同義語として使われていますが、違うということはお判りいただけたのではないでしょうか。英英辞書にあるように、diversity、違いは事実、factでしかありません。他人が認めるとか認めないといった判断が入ることではありません。色覚異常がない人にとって、赤と黒の違いのように。すなわち、日本でいう多様性とは、「他者が認めなければならないもの」のようですが、英語で言うdiversityとは「他者がその存在を認めたり、理解したりしなくても、そこに事実として存在するもの」です。
 LGBT理解増進法なるとんでもない法律ができましたが、私はLGBTはもとより、自分自身も理解できません。皆さんはいかがですか?